第7話' 正史『日本書紀』ついでに『古事記』(後編)

 正史『日本書紀』に天武の次代 持統女帝が 手を加えた例として 最も分かりやすいものと言えば、最高神 天照大神の「天孫降臨」神話だろう。この神話には、持統女帝から孫 文武天皇(第42代)への皇位継承が投影されていることが指摘されていた。

 多分 持統は 天武が掲げていた最高神が気に喰わず、その辺の記述をいじくったのだろう。私は もともと天照大神にあたっていたのは 日本史上初の女帝 推古天皇だったと考えているが、かの女帝の御代に起こった日食が天照大神の「天岩戸」神話に投影されていたのではないかと拝察していた。

 ちなみに、私が "推古天皇=天照大神"だと比定しているのは、何も日食と「天岩戸」神話の関係だけではない。詳細は省くが、

"天照=推古"を起点として 神話に 当時の系譜を当てはめていくと、 42 。正史『日本書紀』は 持統女帝が孫である文武天皇に位を譲るところで終わっており、それは時代の要請とも合致していた。恐らくは、持統も 最初は天武の作っていた神話の系図をある程度 踏襲していた,いな 踏襲せざるを得なかったのだろう。

 私は、持統の先代 天武天皇にとっての根元ルーツ・正統性は かの時代(推古朝)にあり、それを後の権力者が 神話だけでなく、当時推古朝の状況も書き換えたものと揣摩憶測している。かの時代は、蘇我氏全盛の時代だった。


推古

||

敏達-⬜︎-舒明-天智・天武-壁-文武


天照

||-⬜︎-ニニギ-海幸・山幸-不合-初代

スサノオ


 なお、正史『日本書紀』の最後を飾るのは 持統女帝であるが、もう一つの歴史書『古事記』で最後を飾るのは 日本史上初の女帝 推古天皇。この時代 中国などにおいて、歴史書の最後を飾るのは、前王朝最後の君主 あるいは 新王朝の初代だった。

 皇祖神 天照大神の地位・位置ポジションを乗っ取り 乗っ取られた2人をこの位置に持ってくる辺り、2つの歴史書の立場の違いがうかがい知れるが、この時代 2つの対立する勢力があったと私は想定していた。

 大方、その対立勢力それぞれが、自陣営の正当性を主張し、他陣営の主張を否定する意味合いもあったのだろう。正史『日本書紀』は言わずと知れた反蘇我の書であり、恐らく もう一つの歴史書『古事記』は親蘇我の書であった。

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