三月の終わり、ホテルのレストランにて。

今夜はどんな服を着ようか。


美術館に行ったときは、ワンピースを褒めてくれた。


ただあまりにわかりやすい、例えばピンクなどの可愛らしい

ドレスを選ぶのはしゃくに感じるところがある。


こうも時間をかけて、デパートをゆっくり歩いているのは、

ドレスコードがあるレストランを奏に指定されたから。


イベントでもないし格式ばった服装をする必要はないが、

ホテルのレストランと聞けば、手持ちの服では悩ましい。


ドレスコードと奏の口から出たときには松葉も驚いたが、

大学が卒業間近でほとんど働いて過ごしていたというし、

懐に余裕はあるらしい。


ブランドの並ぶフロアでショーウィンドウを

ゆっくり見ていると、ショップ店員に声をかけられた。


「そのショーウィンドウのドレス、素敵ですよね。

こういう形のドレスをお探しですか?」


普段なら店員をかわして買い物をする松葉だが、

本当に迷っていたというのもあり、素直に応じることにした。


「レストランで食事をする予定なんですけど、

あまり華美なのはどうかと思ってて……」


店員について店内に入ると、彼女はすぐに

何着かのドレスを見繕ってくれた。


くすんだ青のワンピースや黒のパンツドレス。

袖や裾に余裕のあり、着やすいけれども気取った雰囲気がない。


どれも松葉の服装を見て選んだであろうデザインで、

華美すぎず派手な装飾もない、好みのドレスだ。


「春らしい色でしたらこちらはどうです? 

こちらのグリーンもおすすめですよ」


だがこのドレスを着て、奏は喜ぶのだろうか。


あのキスの後も平然としていて、

いつものように写真を撮っていたし。


松葉は正直それを腹立たしいと思っていたが、

相手の好みに服まで譲歩するのはどうかとも考えていた。


「……レースのってあります?

総レースのドレスとか」


ふと頭をよぎったのは美術館で見た鮮やかなピンクだった。

あそこまで明るい色は着れないが、抑えた色ならいいかもしれない。


笑顔の店員は、細身のネイビーのレースワンピースを持ってきた。

裾にはスリットが入っていて、派手すぎない印象がある。


「丈も膝下まであるし……ええ、十分ね」


店にたどり着くまでに存外時間をかけてしまった松葉は、

そのドレスを着替えていくことにした。


今から行けば予約の時間ににちょうどいいくらいだろう。

店員に礼を言ってデパートを出ると、まだ夕陽が残っている。


もう春も半ばで、日暮れの時間もだいぶ延びた。

初めて奏に出会ってから、もう二か月近くが経っていることになる。


ほとんど毎週のように顔を合わせる間柄になるとは、

まるで予想していなかった。


今週は特に、一週間が長いように感じられた。


デパートからすぐのホテルのロビーを通り、エレベーターに乗る。


最上層のレストランへと上るエレベーターからは

ガラス越しに街の明かりが灯る夜景が見えたが、

松葉にはそれを眺めている余裕はなかった。


何せホテルのレストランを仕事のパーティ以外で

使った試しがなかったし、今夜は異性である奏と、

二人きりなのだから。


入口に着いた松葉が名前を告げると、すんなりとボーイに案内された。

ビュッフェのような広いフロアをイメージしていた

松葉の想像は裏切られ、通されたのは個室へと繋がる通路だった。


どうやら店内は個室とビュッフェフロアの半々らしく、

内心の緊張を表に出さないよう、柔らかいマットの上を歩くので精一杯だ。


扉が開けられ、松葉が個室へ入ると奏はもう着席していた。


二人の食事にしては大きなテーブルと、

四脚の椅子の待つ席で。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る