第4話 ローレライの歌

 少女の顔が迫った瞬間、城島の手にした自動拳銃は奪われた。


 充分に訓練を受けた自分が、いとも簡単に武装品を奪われるなどあってはならないことだ。しかもその銃口が、わがこめかみに突きつけられているとなれば、これ以上の屈辱はない。


「どうした? 撃てよ」


 城島は自分の左側に立ち、銃を構える少女に言った。だが、彼女の無表情は崩れない。いや、そもそも感情というものがないのだ。


 覚醒し侵略された『脳』は、宿主である人間の体をコントロールすることはできても、そのパーソナリティを再現できない、とされている。つまり、ローレライによって侵略された人間は、思考はもとより、人格や心も完全に失ってしまうというのだ。やはり、どんなに頑張っても、コミュニケーションは取れないというわけだ。


 突然、少女が動いた。突きつけた銃口はそのままに、体を寄せてくる。


「な、なんだ……」


 それが、なにを意味するのか知っているように、彼女はもう片方の手で城島のヘッドセットを外した。


 城島の全身から血の気が引いていく。ローレライの歌声から完全に無防備な状態にされてしまったのだ。こうなれば、選択はふたつしかない。歌によって『脳』を侵略されるか、それとも『死』か。


 決断は早かった。


 突きつけられた銃口を無視して、城島は少女の腕を取った。そのまま右肩を彼女の脇に入れて一本背負いを決める。


「うりゃ!」


 少女の体は見事な弧を描いて、雪の地面に叩きつけられた。綺麗に決まった技の衝撃は、通常ならば気を失うレベルである。しかし、少女は何食わぬ顔で立ち上がると、強烈な蹴りで反撃してきたのだ。


 華麗な右ハイキック。


 顔側面に激痛が走る。


 首の骨が折れるくらいの衝撃を受けて、城島は頭から雪に突っ込んだ。


 これでいいのだ!


「さぁ、殺せ! ここで止めを刺してみろ!」


 鼻と口からの出血に戦闘服を汚して、城島が立ち上がった。彼は自らの尊厳を守るために『死』を選んだのだ。


 ローレライの行動論理は昆虫の『蜂』や『蟻』に似ているという。種全体を取りまとめる大きな存在か、もしくは意志があり、『個』はなんらかの方法でその情報を共有し行動しているのだ。


 俺はそんな虫けらのようになるのはご免だ! こいつらの仲間になるくらいなら、人間として死んでやる!


 相手が銃を撃ちやすいように、腕を広げて立ちふさがった。


 だが、少女はその挑発に乗ってくるようすがない。


 業を煮やした城島は、編み上げブーツの側面に隠し持ったサバイバル・ナイフを取り出す。これで自らの命を絶つこともできるが、ここは戦って果てるのが兵士としてのプライドだった。


 城島はサバイバル・ナイフを振りかざして少女に突進した。


 ――われらは、同胞を殺さない。


 唐突に声が響いた。


「えっ?」城島の脚が止まる。「な、なんだと?」


 ――われらに、同胞を殺すことは許されないのだ。


 それは頭に直接響く声だった。周囲を見回したが、思い当たる人物はひとりしかいない。


「まさか、きみか?」


 相変わらず少女は無表情だ。しかし、城島への問いに答えて言葉は続く。


 ――そうだ。わたしが直接話しかけている。


「ローレライと話せるなんて報告は聞いたことがない。根本的に感情のないきみたちに、人間とのコミュニケーションは不可能とされている」


 ――誤りだ。こちらからコミュニケーションを取らないというだけのことで、必要とあれば、情報は交換する。


 城島の耳に、うめき声が聞こえてくる。


 大破した特殊車両の周囲に、血まみれで死んでいたと思われた隊員たちが、その身を起こし始めていた。うめきは彼らの口から漏れたものだった。


 隊員は誰一人、死んではいなかったのだ。


「これは……?」


 ――われらが同胞を殺さないという証拠だ。残念だが、殺せというきみの要求には応えられない。


 なるほど。人間を殺せば、仲間を増やすことができないということか。ローレライの歌によって覚醒する『脳』が多ければ多いほど、彼らは人類を駆逐する戦力を得るのだ。


 城島は手にしたサバイバル・ナイフを見た。残された手段は、これで自らの命を絶つことだけだった。


 だが――そう考えた瞬間、サバイバル・ナイフは見事に弾き飛ばされていた。


 こちらの心を読んだとしか思えないタイミングだ。そして、心を読んだ能力と同じく、少女は見えない力で城島のナイフを弾いたのだ。


「この野郎!」


 怒りを爆発させて城島が詰め寄るのを、手のひらを突き出し少女が止めた。


 ――時間だ。


「……時間?」


 ――奴らが、来た。


 少女の顔が空を仰ぐ。


 城島も顔を上げた。


「奴ら?」


 空が炸裂した。


 暗黒の空を、火球が飛んでいく。尋常な数ではない。禍々しい灰色の尾を引いて、無数の火球が山や街へと落下していくのだ。


 いたるところで赤い閃光が走り、爆発が起こる。


 紅蓮の炎と黒煙が広がって、あっという間に街は火の海と化した。


 城島はわが目を疑った。


 ……冗談じゃないぞ。こんな状況は想定していない!


 動揺は、ほかの隊員たちにも確認できた。


 大破した特殊車輛の周囲で意識を取り戻した隊員たちが、城島の姿を見つけて声をあげたのだ。


「隊長! これは一体どういう状況なんですか?」


「……俺にも分からん」


 城島は呆然と答えた。


 ――同胞よ、共に往かん。


 言葉と同時に、少女は手にした銃を捨てた。


 それが、合図だった。


 テレビのボリュームを絞るように、世界から音が消えた。


 一瞬の静寂の後、無音の世界に穏やかな旋律が滲みだしてきた。


 それは、歌声の清流だった。乾ききったスポンジが水を吸収するように、メロディに魅せられた心が潤いを取り戻していく。 


 突然、意識の中心に映像が結ばれた。それは眼球を通した物理的なものではなく、超常的な感覚で見る光景だった。


 美しい曲線を描く光の弦が見える。弦を爪弾くのは、優しい風だ。


 弾ける光の音魂は、心に響く様々な自然界の音である。


 波。


 風。


 雨。


 雷鳴。


 鳥のさえずり。


 獣たちの咆哮。


 あらゆる音のさざ波が空間をたゆたっていく。


 ローレライの歌。


 それはなんと心地よく、生命の底から染みわたる美しい旋律か。


 城島は、隊員たちもヘッドセットを失っていることに気がついた。みながローレライの歌を聴いている。抵抗するいとまもなかった。気づいたときには相手の術中にはまり、気持ちよく歌声に酔いしれているのだ。 


 ――必要とあれば、情報は交換する。


 少女が言った言葉が蘇る。


 そうか。今がそのときなのだ。


 間違いない。少女は俺たちを必要としている。いや、俺たちだけじゃない。ローレライや『昆虫脳』が次々と人々を襲うのは、なにか緊急の事態が迫っているということなのだ。それは、街を火の海にした火球と関係がある。


 ふいに、歌声が消えた。


「ああっ」


 思わず声を漏らした。


 頭部が、疼く。


 自分の『脳』が疼いている。


 なんだ、この感覚は? 頭の中で革命が起こっている!


 城島は頭を抱えて膝をついた。全身を貫く快感。しびれるような疼きに身もだえをした。


 ブラックアウト。 


 深い闇がすべてを覆う。


 闇。闇。闇。


 その中に――かすかな囁きが聞こえてくる。


 ――ようこそ。われらが世界へ。


 闇の先には小さな光。


 城島はその光に向かって手を伸ばした。


 湧き上がる空気の泡。無数の気泡が光の天井を目指す。


 天にゆれるのは、青い空だ! 


 ここは――海!


「ぐっは!」


 空気を求めて城島が喘いだ。だが、そこに海はない。あるのは、真っ赤に燃え上がる世界と、炎を瞳に映した少女の姿だった。


 ――ここから一キロ先で、同胞が『蝕』と接触している。


 少女の声が明瞭な意志を持って迫ってきた。


 ――彼らと合流し、われらは共に戦うのだ! みな雷の如く、走れ!


 城島の両脚が大地を蹴った。爆発的なスタートダッシュに、降り積もった雪が舞いあがる。人類最速の走りなんて目じゃない。脚が磨り減ってしまうほどの超人的な速度で国道を走り抜けるのだ。


 体が勝手に動いていた。


 それは、誰か他人の意志によって動かされるロボットに、意識だけを載せられたという感覚だ。唯一、視覚だけは自由になるようだが、三百六十度の視野を持っているとなれば、通常の感覚器官の働きではなかった。


 いまも、背後で追走するほかの仲間たちの姿が見える。


 特務機関、AIB《アンインセクトブレイン》の部隊が、こんどは侵略者側の尖兵となって地を駆ける。それは、なんとも複雑な光景だった。


 そうだ。――俺たちは、ローレライに侵略されたのだ。

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