第3話 振り返ってはいけない

 こんな話を知っているか?


 俺の通っていた学校には変わった噂話があった。噂話っていってもよくある怖い話とかの類だがな。


 その学校にいくつかある階段のうち特定の階段を登っていると上から「おーい」と声をかけられる。きっと先生が呼んでいるんだろうと思ってさらに階段を上ると次第に階段の上に立っている人の脚が見える。「おーい、そこに誰かいるのか?」と声をかけられるので“いる”と返事をすると「じゃあそのまま上がってきてくれ」と言われる。


 そしてそこからさらに階段を上ると……上半身のない下半身だけの姿の何者かの姿がそこに立っている。そこで慌てて逃げ出すとその下半身だけの何者かが追ってくる。逃げても逃げてもだ。そして追いつかれると「お前の体をもらうとするか」なんてよくありがちなオチがつく。ま、小学生の頃に流行っていた噂話だから滑稽に感じても仕方ないかもしれないな。


 だが、俺がこんな話をしたのはどうしても言いたいことがあったからだ。彼らのように姿の見えないつまりは幽霊と呼ばれる類の者たちは人間だった。あくまで元・人間だがな。ただ、そんな彼らも自分がここにいるってことを知ってもらいたいって思っている。ほら、あんただってもし自分が誰からも気づかれなかったり、話しかけられなかったりしたら不安に感じたりするだろう? それと同じように彼らも俺らに訴えかけているんだ。


 けれども、どんなことがあっても彼らの存在に気づいてはいけない。彼らは俺たちと仲良くしたいんじゃない。自分たちと同じ立場になってほしいと思っているから、自分の存在を気づかせようとする。だからこそ生きている人間より人間らしいと言えば人間らしいのかもしれないけどな。


 なんにせよ、俺が言いたいのはどんなことがあっても彼らに対して返事をしてはいけないって事だ。ろくな目に遭わないから気をつけろ。


 いや、ほんとに……。





 その日は部活が長引いたせいもあってか部活が終わった頃にはすっかり辺りは暗くなっていた。学校から出ると部の仲間が数人、外で談笑している姿が見えた。俺も少しばかり談笑に加わりながら彼らの話に耳を傾けていたが、時計を見ると短針が七時を指しているのを見てそれをきっかけにお開きとなった。


 さて帰ろうか、と思って制服のポケットを探ってみたがいつも入っているはずの自転車の鍵が見当たらない。さしてお世辞にもいいとはいえない頭を回転させて思い起こしてみると、そういえば部室に鍵を置いてきたことを思い出した。


 仕方ないと思いながら部室のある旧校舎へと戻る。俺の通っていた学校は新校舎と旧校舎に別れていて、当時、俺が所属していた部室というのがその旧校舎の三階にあった。暗い廊下を進んで階段を上り部室へと踏み入る。季節は春先だというのに妙にひんやりとしていたのを覚えている。


 窓から差し込む月明かりがうっすらと部室内を照らしていた。部室に入るといつも俺が使っている机の上に目的の物はあった。相変わらずひんやりとした空気が気になったが目的を達成した今となればそれも些細なことだ。


 早く帰ろうと思い踵を返す。だが、鉄製の重い扉を開こうとしたところで“それ”は聞こえた。


『……待って』


 と。


 俺は慌てて振り返った。けれども、部室の中はぼんやりとした月明かりが差し込むだけで他には何もない。


 だけど俺は確かに聞いた。女性のか細く消え入りそうな声を。それも耳元で囁くような声を。


 背中にはじっとりを汗をかいていた。鳥肌が立ちそうな冷たさを孕んだ空気が流れているのに、俺は嫌な気配を感じたまま動けない。


 ようやく頭が落ち着いてきた頃に自分がやったことを後悔していた。


 振り返ってはいけない。決して彼らを感じてはいけないということを。


 俺は再び扉のドアノブに手をかける。すると、首筋の辺りにふぅ……っと冷たい吐息がかかった。


「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」


 もうそこからはなりふり構っていられなかった。扉を思い切り開けると後ろを振り返ることなく全速力で駆け出した。階段も一段飛ばしなんかじゃなく、それこそ転げ落ちるように駆け下りた。ようやく、旧校舎から抜けた頃には体中が汗だくになり、心臓がバクバクと早鐘のように脈打っていた。


 まだわずかに残っていた仲間が血相を変えて飛び出してきた俺に声をかけてくるが、俺は声にならない声を無理やり吐き出すだけで「なんでもない……」と返した。


 ふっと誰かの視線を感じて見上げると、旧校舎の三階さっきまで俺がいた部室の窓から青白い女性のような人影がそっとこちらを見下ろしていた。


 今でもあのまま留まっていたらと思うと背筋がゾクッとする。くれぐれも彼らのことを気づいてはいけない。彼らはいつでも俺たちの側にいてあちらの世界に引き込もうとする。だからこそ彼らは俺たちを引きとめようとするのだから。


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