第四十四章  壁の中の彼女

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 私たちはパトカーに乗って登山道を突っ走っていた。行き先はもちろん八神邸だ。


「八年前の秘密の全容が見えてきたね。百合という女性が殺されて、その死体は八神邸のどこか壁の中に埋められてしまった。何人かの使用人もその作業に関わっていたのよ。石田友起も泉知郎その一人だったに違いないわ。犯罪の片棒を担ぐことになってしまったからこそ、石田はあそこまで心を病んでしまった。泉の方は幸いというべきか、認知症のおかげでそのことを忘れてしまったみたいね」


 私は誰にともなく、そうまくし立てた。


「そして、その指示を出せたのは当主だった八神勇心しかいない。もし彼以外の人間が百合という女性を殺したなら、事件は明るみに出たに違いないもの。危険を冒してまで事件を隠し通すメリットがないんだから。絶対的な権力者である八神勇心の犯した犯罪だからこそ、使用人たちを動かして事件を隠蔽することができたのよ」


「落ち着きなよ、楓。ちょっとうるさい」


「これ以外に考えられないでしょ」


「だから落ち着けって」


 助手席に座った梢が首をこちらに向けて怒鳴った。


「泉さんの証言が八年前のことを指し示しているかどうかの確証はまだない。いくつかの記憶が混濁している可能性だってある」


「でも――」


「判ってる。あんたの言いたいことは判るし、あたしだってその可能性が高いと思うよ」


「きっと、地下室だよ。高石さんが言ってたじゃない。西棟の地下室が三年前まで立ち入り禁止になってたって。あそこに死体が埋まってるんだわ。だからしばらくの間立ち入り禁止になってたんだ。そうよ、そうに違いないわ」


「しかし、死体が埋まっているという証言を得たから壁を掘らせろ、という要求が果たして通りますかね」


 ステアリングを握る本宮が不安そうに言った。


「八神家の人間からすれば、八年前の不祥事は隠し通したいはずでしょう」

「たしかに」


 八神明雄は八年前の事件については何も知らない、と答えていた。しかし、当時のことについて質問した際、彼は一瞬ではあるが動揺したそぶりを見せた。

 私はそれを見逃さなかった。


 彼は知っているはずなのだ。


 それなのに「知らない」としらを切ったということは、隠し通すがあるということだ。


「八神明雄は反対するでしょうね。彼は隠蔽推進派だ。八神勇心亡き後、あの家の実権はおそらく明雄が握るでしょう。八神林檎は大人びているがまだ十七の子供だし、勇心の直系の親族はもうほかにいない。明雄を説得しないことには、壁の中の遺体も確認しようがない」


 梢がうんざりしたように言った。彼女も同じことを考えていたようだ。


 八神邸に到着後、すぐに八神明雄のところに赴き、直談判した。彼は食堂の長いテーブルの端でコーヒーを飲みながら私たちの話を聞いていた。


「別に問題はないが、遺体なんてあるわけがないだろう」


 彼は小馬鹿にしたようにそう言った。


「痴呆のジジイの言葉を真に受ける探偵に捜査協力を依頼するとは、警察はよほど人材不足なんだな」


 明雄は嫌味たっぷりにそう言って、本宮に視線を投げた。


「ではなぜ地下室は三年前まで立ち入り禁止だったのでしょうか」

「知らんよ」


「百合という女性のことを、あなたは知っていましたね?


 明雄の片眉がぴくりと動き、一瞬だけだが彼は呼吸を止めた。その反応は間違いなく内心の動揺を表しているように思えた。


「百合、という女性がこの屋敷で亡くなっているはずなのです」

「馬鹿なことを。百合? 誰だね、それは」


 過去のことについてはあくまでしらを切るスタンスでいるようだ。

 梢も現段階で百合についてはあまり追及する意思はないようだった。彼の気分を害してこちらの要求が通らなくなる可能性を危惧していたのだろう。


「それでは西棟の地下室の壁は崩してもいいわけですね?」

「好きにしてくれ。うちの使用人も自由に使ってくれていい。ただし、私も立ち会おう。それが条件だ」


 すんなりOKが出たのは正直意外だった。


 本宮は万が一遺体が出た時のため、本部に連絡をしていた。明雄は一度席を立ち、数人の男の使用人を引き連れて戻ってきた。その中には松戸もおり、全員つるはしやスコップなどの道具を手にしている。


「さあ、化石発掘に行こうじゃないか」


 西棟一階の北端にある階段を降りると、目の前に木製のドアが立ちはだかった。建付けが悪くなっているようで、開くと軋むような音が鳴る。使用人の一人が先に入り、明かりを点けた。


「ここが……」


 陰気な場所だった。

 室内にはカビのすえた臭いが充満し、床には使わなくなった工具や古い農業機械などが散乱している。天井を見上げると、むき出しになったパイプや配線の類が目に入った。四方を取り囲む壁はモルタル塗りの壁で、いたるところにひび割れが見られた。

 歩くたびに、床に積もった砂埃が舞い上がり、私は激しくせき込んだ。


「さて、どこを掘らせましょうか」


 明雄は部屋の中央に立って、周囲の壁を見回している。


「あそこしかないでしょう。明らかに後から塗り直した形跡があります」


 そう言って、梢は右手の壁の端に立った。その場所だけモルタルの塗りが荒くなっていたのだ。色も他の壁と微妙に違い、ひび割れもほとんどなかった。


「だろうな、あそこしかない。よし」


 さっそく明雄は使用人たちにその壁を崩すよう命じた。梢は少し離れたところに立ち、私はその後ろから様子を窺った。本宮は緊張した面持ちで問題の壁の横に立っていた。


 体格のいい使用人がつるはしを振り上げ、勢いよく壁に打ち付けた。鈍い振動と共に大きな音が地下室を震わせる。手ごたえを感じたのか、彼は再びつるはしを持ち上げた。

 最初の一撃で入った亀裂が徐々に広がっていく。パラパラと破片が落ち、やがて小さな穴が開いた。


「レンガが積まれているようですね」


 本宮が言う。どうやら積み上げた煉瓦の上からモルタルを塗ったようだ。

 なぜそんなことをする必要がある? それは暗に、この壁の向こう側に何かが隠されたことを示していた。


 穴を広げるようにしてモルタルを崩して剥がすと、案の定私たちの前にはレンガ壁が立ちはだかった。縦二メートル、横一メートルほどのスペースがレンガによって塞がっているのだ。


「実はね、私もがなぜ塞がれたのか、前から疑問に思っていたんだ」


 レンガの前に立って明雄は言った。


「通路? この先がですか?」


「ああ。ここには元々扉があったんだ。少なくとも、私が子供だった頃は頑丈な木の扉がはめ込まれていた。この家を出て独り立ちする時だって、そうだ、あの時だってここは塞がれていなかった。それが二年前に帰ってみると、なぜか扉を剥がして通路を埋めてしまったというじゃないか。伯父に訊ねても何も教えてくれないし、使用人は全員入れ替わっていて、施工当時のことを知るやつはいなかったんだ」


「この先には何がありますか?」


「短い廊下があって、その先に小さな部屋があったと記憶している。それだけだよ。なるほど、君たちの言うように遺体を隠したのであれば、ここを埋めてしまうのも頷ける。だが、いったい誰の遺体なんだ?」


 明雄の話しぶりは、まるでこの壁の先に何が隠されているのか、とでもいうようだった。

 明雄は八年前の事件――百合殺しについては間違いなく知っているはずである。ついさっき百合の名前を出した時だって、彼の表情には焦りのようなものが窺えた。

 それなのに、こうも簡単に地下室の壁を崩す許可を出すとはどういうことだろう。


 百合の事件と地下室の通路が塞がれたことは無関係なのか?


 百合の遺体は別の場所に埋められているのか?


 それとも、遺体がどのようにして処分されたのか、明雄が知らされていないだけかもしれない。


 私はぶんぶんと首を振った。


 たしかなことは、このレンガ壁を崩せば明らかになる。


 鬼が出るか蛇が出るか。


 使用人たちの努力の末、ついにレンガ壁が崩された。がらがらと音を立てて、レンガが穴の奥に落ちていく。私はごくりと生唾を飲み込む。まるで墓暴きの盗掘隊になったような気分だ。

 ぽっかりと大きな闇が口を開けている。私たちは無言のままその穴に近づいた。


 瞬間、私は鼻を手で覆った。


「うっ」


 とてつもない臭気がその穴の向こうから漏れ出してきたのだ。


「こ、これは」


 穴に一番近いところにいた松戸が顔をしかめながらその場を離れた。彼の表情には底なしの苦悶が窺える。

 その場にいた者たちは一様に鼻を押さえている。その死の香りを鼻孔に取り込まぬよう、皆、必死になっていた。それでも、腐敗した臭気はわずかな指の隙間から侵入し、私たちを苦しめた。


「な、なんだこの臭いは……」


 明雄は放心したようにそう呟く。


「こ、これは」


 本宮が懐中電灯の光を穴に投げかける。その光線は魂を失った白い残骸らしきものを無残に照らし出した。


「本当に出た」


 梢が穴に駆け寄る。

 私はその後ろにぴったり張り付いて、中の様子を窺った。そして、それを正視してしまった。

 全身の毛が逆立つような恐怖が瞬間的に私の体をその穴から遠ざける。そのままバランスを崩し、私は思い切り床に尻もちをついた。


「ひ、ひぃ」


 見てしまった。


 私は見てしまった。


 穴のすぐ手前に、崩れたレンガに埋もれた白骨遺体が横たわっていた。





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