「掬い上げる」「パスポート」「堕ちる」

 もうずいぶん昔のことだけど、夏祭りの夜店で違法にパスポートすくいをしたことがある。今では廃れてしまったけど、その頃は誰もが金魚掬いをするようにパスポート掬いに精を出していたものだ。


「いらっしゃい。一回千円だよ」

 麦わら帽子を被ったおやじが愛想よく言う。僕は念のためにこう訊いた。

「掬い上げたパスポートは貰って構わないのかな?」

「もちろんですとも。大きな声では言えませんがね」


 裸電球に照らされた水面には、色とりどりで、多様なデザインのパスポートが機嫌良く回遊している。何とも国際色溢れる光景だ。

 しかし、生きのいいパスポートほど掬い上げるのは難しい。僕は三回試して、三回とも失敗した。


「残念でしたね。これはおまけです」

 そう言って手渡された小ぶりなパスポートは、何しろ違法なので使う機会はなかなかない。高額で転売する人もいるらしいが、そこまで堕ちる気にはなれない。


 そんなわけでそのパスポートは捨てられることもなく、今でも僕の部屋の水槽であの日のように元気良く泳ぎ続けている。

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