EP.3

3-1

ウィルソン・ホームドは、骸郷の全域を展望できる国家庁最上階からの景色をいたく気に入っていた。

 最も背の高い建造物となる国家庁は円柱状のタワー構造物で、そこを中心として骸郷の街並みが円形に広がる。

 まるで裏返しの画鋲のような形状を成しており、全域の内、国家庁麓から3割の円は際立って高級感にあふれる住宅街や絢爛なビル群が並ぶ。

 国家庁職員や有権者が住むその場所を上部街と呼び、一般労働者や貧困層が一緒くたに生活する残り7割の円を下部街としていた。


 境域の向こうには荒涼たる地平が広がる。ウィルソンにはその光景から、可視化されない警告が聞こえていた。

 この惑星の未知なる領域が「汝らの発展は井の中の蛙に過ぎない」と戒めているように思えているのだ。


″そうだとも。それでいいんだ″


 長く伸びた顎髭を伸ばすように撫でて、離れた指の先端が窓のガラス面に着地する。ウィルソンは深いシワの刻まれた顔をひしゃげて小さく笑みをこぼした。この瞬間、彼の破顔を捉えたのは沈みかけの太陽だけだった。


 街郷では場所を選ばず廉価に取り揃えられる洋服が主流だが、ホームド家のドレスコードは、権威の象徴として代々伝わる法衣を身に着ける伝統の中にある。

 古代ローマに見られるチュニックのような純白の丈長服で、裸足であることが義務付けられていた。


 国家庁の最上階は中央に移動用のエレベーターが柱のように貫いてあるだけで、階層の全てがウィルソンのための空間だった。夕暮れの斜陽が西の奥に姿を埋めかけていて、東の地平線からは三日月が頭頂を覗かせだしている。表裏が一転して、また暦は進む。


 街郷には未だ多くの施設や家屋が人類の記憶を残して眠り続けている。初代ホームド、つまるところ【アロイコアナンバー1】が遺文明の存在をヒントに火を起こす手段を見つけてから1000年が経過しようとしていた。

 ウィルソンは手にしたワイングラスを傾け、深く息を吐いた。アルコールを混ぜた吐息がガラス面に貼りつき、白い幕を描く。

「国務大臣。失礼します」


 ウィルソンの背後でエレベータードアが開き、遺文明局ないしは国家庁の正装にあたる、培養本革の軍服に袖を通した大柄の男性が姿を現した。


 長い歴史を誇る国家庁において、採用された初年度から培養本革の材質以外に手をは加えられておらず――これは製革技術の進歩が背景にあるため――、その角ばったシルエットは多くの子供たち、とくに男児の憧れの象徴として不動の位を築いている。


 姿形はキッシュと全く同じユニフォームになるわけだが、性別さえ問わず統一された伝統着の前に表だって目立つ差異はない。しかし、二名の間にある「時間」という彩色は、それぞれの風格へ顕著に影響を及ぼしている。


配給時はもえぎ色だった表面は、経年劣化により、黒く薄い膜を覆って錆鼠さびねずへと変色していく。

 勤続年数の指標として指され、その職員の国家に対する忠誠心と信頼度の基準ともされていた。


 これは国家庁の職員が始業前に唱和する【超えた苦難と忠誠は姿に現れる。己を磨き忘れることなかれ】という訓示を反映したものとされ、選考当時の真意は別としてこの軍服を採用した先祖たちを、ウィルソンは敬愛していた。



 際立って色褪せたそれを纏う体躯は、筋肉質とは言い切れず肥満の領域に片足を突っ込んでさえいた。しかし、フォックスタイプのサングラスを横断するように縦筋の切り跡が右目に残っており、堂々としたたたずまいの裏付けに闘争で身に着けた遍歴を、その即席ではない強面が物語っている。

 猛々しいトサカのような黒色のソフトモヒカンは、毛先に向かって薄赤とき色にグラデーションが入っているがそれは夕日を吸収したようにも思えた。

 唇は厚く大きいが、女性局員からはセクシーだと専らの評判である。


「ゼウス君か」ウィルソンは顔もむけずに応じた。「何か問題でも?」


「先日報告書にあがった、人文明研究施設内への侵入者のことですが」

 ゼウスの右手にはA4紙のプリント画像が握られており、その内容は、レーゼル達が撮影し報告書にまとめたデータのコピーであった。

「姿をくらませたと報告されていたかね」

「おそらくは、推定時間が最も近い民間調査員のレーゼル・クインターベイが発見し、その場で捕獲しております。アロイコアを抜き出した後、番犬の局員に【ノルマ達成分の一部を貰う】という約束で秘密に取引を行っているようでして……」

 ウィルソンはそこで満足そうな笑みを浮かべ、「そうか、そうだよな」と小さく呟きながら頷いた。困惑した表情でゼウスは続ける。

「こういったモラルの低い行為は、いずれは国民の負担として降りかかります。先日の【ゼブ】における爆破事件が示す通り……」


「それでいいんだよ」ウィルソンは言った。「国家庁に所属するくらいなら狡猾じゃなくちゃ」

「ですが――」ゼウスが反論しようとするも、この態度になると現国務大臣は何も聞き入れなくなることはよく理解していた。予想通りウィルソンがゼウスの言葉を遮って続ける。カタカタと笑うガイコツに説教垂れられているようで、心底不快であるはあるがその感情を顕在化することはできなかった。


「いいかい。裕福は幸を生むが繁栄には伴われない。我らアロイコアの生で享受する幸福の全ては消費行動だからだ。失っただけの何かを補填しようと自ら動けるだけの人間を、君はどれだけ知っている? 少なくとも私は、上部街において一人も知らない。対して、下部街に蔓延はびこる飢えというスパイスはどれだけの利便性と革新をもたらそうとしている? スラムの座敷市へ行ったことはあるか。私たちが国家庁ここの売店でアロマシガーを1カートン購入するよりも安く、遺文明局で重宝される地下産の腕換装パーツが掘り出されている」


 ゼウスは辟易していた。この国家庁に在籍を始めてから、頭痛の種のほとんどはウィルソンにあると断言ができた。自分がもう少し若く、SNSが今のように流行していたらこの男に対する恨みつらみをネットの海に放流し続けていただろう、その点においては、生まれた世代と今の立場には感謝していた。


「つまり、野放しでいいと?」窓から映る骸郷の空は、通信跡を電粒子が飛び交い、工業排煙が心臓の駆動を示し続けているように夕焼けの空へと昇華していった。淀んでいる、とは思ったがゼウス自身は汚らしいと感じたことはなかった。

「いいや、それもまた違う。発展の糧と我らの面子はまた別問題だ」

「ですから一刻も早い処罰を」

「今回の件は、セクターⅥBの侵入者を正当に取り締まることのできなかったこちらの落ち度だ。闇取引を請けた局員に対しても特に対処はない」


 ウィルソンは踵を返す。深紅色の絨毯に皮脂が染みた足跡をペタペタと残し、ゼウスの横を通り過ぎると、エレベーターの呼び出し釦を捺した。

「より精到せいとうな事前対処を期待しているよ。それこそが君たち国家庁職員、ひいては上官諸君の使命だ」


 半円弧型のエレベータードアが両端にスライドし、大きく開いた口の中にウィルソンの後ろ姿が消えた。その等間隔に敷かれた轍はエレベーターに到達すると忽然と消滅し、絵画に切り取れば霊的現象にも見えた。


 室内にぽつねんと残されたゼウスは、絨毯に映る白い足跡に、脳裏に焼き付くしわがれ顔を投影し、皮の靴裏で強く踏みつける。何度も、何度も、声に発せられない怒号のエネルギー――国家庁内では不要に大声を張れないようにプログラムがインストールされている――のはけ口としているかのように。

 


――ああ、クソ‼ お前がそうやって生ぬるいから、俺たちが割ばっかり食ってるんだろうが‼


 全身に力が篭り、手にしたファイルはクシャクシャに形を変えていた。ウィルソンに手渡すことさえ叶わなかったことに対する無力感も同時にゼウスの背中を覆った。今晩は深酒になるだろう、とひとり思案した。


 ゼウスの脳内の通信機構が電波を受信する。ゼウスはこめかみに右人差し指を押し当てた。


「キッシュです」

  若手の女性職員からだった。署内では堅実かつ実直であるという評価ではあるが、時折り女性とは思えぬ粗暴な言動をチラつかせることでも有名だった。

 数日前に【とんでもない調査報告書】を挙げたことで、ここ数日は笑いの種であった。尤も、彼女の管理下の調査員――くだんのレーゼル・クインターベイ――が独りでに行ったもので、誰が担当になっても笑い者となる結果は避けられなかったであろう。人徳が積み重なった罰が当たったんだよ、というのが署内の総意だった。


「レーゼル・クインターベイへのセクターⅥ再調査依頼の件ですが、依頼手続き書類を準備しました。捺印をお願いしたいのですが……」

「今戻る」

「ありがとうございます」キッシュが電話口の向こうで、ためらっているように言葉を濁した。

「どうかしたか?」

「……何か、怒ってます?」

「気にするな」ゼウスは息を吐いた。「お前に対してではない」

 通信を終了させた。国家庁の一層を丸ごとウィルソンの居住空間にしたフロアはあまりにも広大で、ゼウスはここで一人で生活するライヴ感を想像することができなかった。あまりにも手に余る、巨大なる静寂な箱の中で目覚める朝はどのような気分であるのか。


 少なくともゼウス自身の夢想では、その居住空間に住み着いているといよりは、そこに飼育されているような気分になる。

 想像力の性能については昔からあまり手を付けてこなかった。



 消して悪い環境ではない職員住宅の1LDKで、スポーツを観戦しながら廉価の缶ビールを開けることが何よりもの幸福なのだ。


 少なくとも、ゼウス自身が思う中では。


 

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