骸郷に煙るアロイコア

門一

EP.1

1-1

 消灯された廊下は地の果てまで続いているとさえ錯覚できた。

 採光を目的とした窓はない。太陽に神が宿っているのだとしたら、その目が届かないであろう地下100メートル地点を選択してまでここを埋設した事実は、かつて存在した従事者たちが抱えた罪悪感の裏返しでもあった。


 正方形のトンネルを覗いているかのように、暗く、森閑とした一本道には有機的なぬくもりの一切を感じることはできない。


 不中性化材でコーティングされたコンクリート壁に刻まれる【セクターⅥB】の印字は、言葉自身さえその語意を忘れてしまっていることだろう。

 まるでこの施設は、生きたまま時間を止めてしまったかのようであった。確約されていた筈の永遠・・に不意の休止が訪れ、ただ音もなく、いつまでも再始を待ち続けているのだろうか。


 沈黙を破ったのはセクターⅥBの最奥、廊下に面したモニタールームからだった。


 建築基準法に準じて設置された引き違い戸のガラスが、点呼の要領で先端から弾けだす。

 同時に室内で明滅と銃声が繰り返され、廊下に弾痕で曲線を描いた。透明な小動物が縦横無尽に駆けて、存在証明としてのその足音だけをかろうじて追うことができているかのようだった。


 それから4秒ほどの沈黙を置き、硝煙が消えぬ中、闇をかぎわけて一人の男が割れた窓を這って廊下に転がり込んだ。

 マードマンは、命の危機に瀕していた。

 デニム生地のツナギにMA-1という作業員風のいで立ちで、ニット帽子から伸びたもみあげと顎髭はヘルメット紐のように連結して顔を覆っている。中肉中背で、毛深さの印象とは裏腹に熊のようだと形容するにはいささかやせ細ってもいる。

「ツいてない――、ああ、ツいていないぜまったく。新調したばっかだっていうのに」


 先刻の銃撃に被弾したようで、右足の膝から下は生えているというよりはぶら下がっているという風情。意思に従っていないことを見てとるのは容易だ。何度も拳で右足を叩くが、火花が散るばかりて機能が復帰することはとうとうなかった。

 引き違い戸下の壁面を背にもたれかかり、呼吸は不全そうな音を立てて荒々しかった。

 

 一つ息を吐く。目をつむり、マードマンは何かを決心した後、右腕を対角線側に伸ばして左肩甲骨に刺さっている真鍮製の栓のべ4本を全て抜き出し、そのまま小指を強く引っ張った。

 腕と肩の接地面のすぐ横の、チューイングガムくらい大きさの皮膚が畳替えしの要領で飛び出した。結合部因子とよばれるクランクで、男はそれを右に何度か回すと、乙の字の姿を露にしてクランクはポロリと腕から転がり落ちていく。


 そして手首を掴むと、大根でも抜くかのように左腕を肩から外した。内部の神経コード類は純正の方が少ない粗悪品であるため正常に脱着が行われず、何本かの神経コードは銅線そのものが千切れてしまう。

 彼にとっては、それも覚悟の上だった。痛みに表情を歪ませることがないのは、最初に栓を抜いた時点で痛覚のプログラムは一時的に停止するプラグインを導入していたからである。


 身体を離れた左腕の内、親指を除いた4本の指を拳の内側に折り込み、グッドマークでもバッドマークでもある形を作る。こうすることで緊急時を想定した対応モードに入ったことを左腕は確認し、手首の赤色ランプは点滅を繰り返すようになった。


 次にその突き出た親指の第二関節を外側に折り、内部に見える赤色のピンを勢いよく抜く。

 ランプは明滅の速度を緩めるが、モードの状態を示す為ではすでにない。小さな信号音が一定の間隔をあけて鳴り始めた。

「地獄に落ちろ犬ッコロめ!」


 男は胸を膨らませてその声を廊下中に響き渡らせた後、カタパルトの要領で背中側のモニタールームに左腕を投げ入れた。信号音は無音との間隔が短くなりはじめ、その音差が表裏一体へと落ち着いたころ、床を跳ねてモニタールームの奥に消えていった。

 マードマンは顔をうずめる。


 発光。

 爆発。


 モニタールーム内の電子機器や家具が倒れたり崩れたりする音が、爆破による轟音のバックコーラスとして伴わせながら飛び出した。


 衝撃波がセクターの廊下を走り抜け、天井からはパラパラとコンクリート片がパン屑のようにこぼれ落ちる。

 残響はセクター間をつなぐ連絡通路へと去っていく。その空間に佇んでいた音の全てを呑み込んで、まとめて外へ押しのけてしまったのだろうか。

 廊下は再び沈黙に包まれた。

 マードマンは左腕だけで身体をゆっくりと持ち上げて、瞳孔ライト――2000ルーメンとは聞いていたが、実際に灯してみるとそれほどまでの出力は感じないと彼は思いながら――越しにモニタールーム内に視線を走らせる。


 硝煙の隙間から見えたそれは、さながらスクラップ工場の様相を呈していた。明朗にその位置が検討できる爆破地点においては黒い光が壁に照射されているようで、マードマン自身もカタログスペックでしか把握していなかった爆発の威力を実像的に物語っていた。基盤が飛び出た電子機器や粉々になった事務椅子の破片が辺り一面に散らばり、瓦礫がれきの山を築いている。

 パチパチと火を上げる書面やそのクズなどが視界をチラつき、マードマンにはそれが、自分が得るはずだった報酬・・が引火して燃ゆる像に映った。


 破壊した設備の内どれだけが換金に値したのかを考えると頭が痛くなる――尤も、そのようなプラグインは装備していないが――。くず鉄を拾い帰ってくるだけじゃ賭した命に見合ってもいなかった。

 機能不全の右足と爆破に使ってしまった左腕のことを思えば、収支面においては本当の意味での骨折り損としか考えられず、進退窮まった状態がよりいっそう収縮されるという事実に直面していた。


 だが、もたらしたのは決して悪い結果だけではなかった。マードマンは歓喜

の湧き上がる様を、状況を理解したイコールの先で五身に感じていた。

 ″これなら生きてもいまい。やった。俺がやったんだ。ツいてる、やっぱりツイてるんだよ今日は、クソ″

 【番犬】を一人始末してみせた。自分たちと何ら変わらない同等の機械生物でありながら、長い歴史の中でたまたま手に入れただけの権力を振りかざして同胞達を弾圧し続けてきた、あの、忌まわしき連中を。

 念願の一矢を報いることが叶ったのだ。

 マードマンはそれが至上の幸福であるという結論にいたり、安物のCPUは処理過程を終了させる。


 気分が高揚し、もう一度腰を下ろすと大口をあけて笑い出した。機構の噛み合いも悪くなっているようで、ひと呼吸のたびに歯車が軋む音がしたが、それさえも自身の感情が発露しているだけのことだろうと、この時ハートマンは分析する。

 いや、心に空いた虚しさを埋めるにはそうするしかないのだ。


「どうだ、みたか、なぁ、おい‼ その瓦礫の山がお前のお墓だ、お似合いだぜ。俺のションベンでR.I.Pでも刻んでやろうかい‼」


 それから数刻を経て。

 あふれ出た衝動も底をつき、高笑いの勢いも収まり始めた時だった。マードマンは背中から覆いかぶさるような得も言われぬ圧を感じ、違和感を確かめようと無意識に首を捻った。瞬間、彼のコンピュータはその状況を理解するのに時間を要することになる。


 モニターが投影したそれは、データバンクに眠る【レンコン】という植物根の断面図が最も類似した画像であった。しかし、資料のレンコンに対して眼前のはラッカー塗装でどす黒く、円形の孔の大きさも採寸されたように均一的で、配置にも秩序が伴われている。

 鉄製のひんやりとした無機質さは殺意を構造化したもので、その切っ先は間違いなく、今、自分に向けられていた。


「今のは」煙の中から姿を現したのは男性の影だった。彼の視界においてもシルエットが独り歩きしているかのようにカラスの濡れ羽色である理由については、爆発の煤を被っているためか、闇に紛れているためか判別はつかない。


 丈長のポンチョと無造作に跳ねるショートヘアー。弓的を斜めに切って、ひしゃげたV字に配置したような陰深い三白眼は、無機質さから来たす冷血の装い。


 その瞳で窓枠越しにマードマンをじっと見下ろし、腕に直結した22口径回転小銃機構の銃口のべ5門を、彼の顔面に強く押し付けた。いわゆる5砲身ガトリング砲を取り回しやすいサイズに小型化した形状に見えるのだが、機構部には手のひらとしての可動域を想定した切れ込みや手動操作機構マニピュレーターを指す印字が刻まれていることから、換装武器ではなくあくまで男の腕であることを表明していた。

 指のそれぞれが銃身と銃口を兼ねていて、イソギンチャクの影絵を作るようにすぼめた形がガトリング砲を模ってみせるのだ。


「今のはいいパワーだったぞ、なあ、おい。正式ライセンスを持った【り師】の爆薬だな」

「どうして生きてやがるんだ」マードマンは狼狽した。死体を確認したわけではなかったが、爆発の威力から鑑みてもまず無事でいられる筈がないのは火を見るよりも明らかであった。

 自分の想定した物理演算の外から起きることまで思慮できるCPUを搭載していなかったことを強く後悔した。

 この落胆をぶつける先が見当たらず、また今の状態ではそこに至ることさえもままならない。

「お前の言葉を借りるなら」


 ひとつ。男はあいた左腕でポケットから電子タバコを取り出すと慣れた手つきで吸引し、天を仰いで煙を吐き出した。尚も視線と意識はマードマンに向けられており、隙を晒すような素振りは一切なかった。


 その白い軌道が、漫画の吹き出しとしての役割を得たかのようにも見え、マードマンは文字を刻むためのテキストボックスを空想の中で広げた。もはや、今の彼には事態を好転させる案を逡巡するだけの気概はなく、皮肉も栄誉も込めて記念日となる今日をメモリーに刻むための入力モードとなっていた。


「俺がツいてたのか、お前がツいてなかったかのどっちかだろうな」


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