1234,12,123!

タニオカ

173㎝

夏の日の目にしみるほどの日差しと熱気。


流石の真夏日の暑さで温められたタータンの上では、じっとしているだけでも汗が流れてくる。視線の先にはゆらゆらと熱気をたたえた赤いマットと白とオレンジの縞模様のバー。そしてその後ろに見える緑の芝生。


深呼吸で息を整え、目の前のバーに意識を集中してバーを飛び越えるイメージをした。


聞こえてくるのは自分の呼吸のリズムとトラック競技に向けられた各校の力強い声援。


集中するに従って段々と応援の音が頭の中から締め出されていき、やがて呼吸の音と鼓動の音が支配する。


よし、いまだ!…1234,12,123!


円を描くように徐々にスピードを上げながら助走をして、タンッと強く左足で踏み切る。

真上に跳んでバーに背中を向けるように空中で身体をひねる。

バーの高さは自身の身長プラス15㎝の173㎝。

跳べるはず、この日のためにたくさん練習もしてきた。


いけっ!


バーの上を腰が通過して、足を素早く引きつけるようにしたが、お尻がかすった。その少しの衝撃でバーはマット上で一度跳ねてからタータンの上に落ちていった。


マットの上に後転しながら着地して、バーがなくなった風景を眺める。跳べていた…。

踏切が少しだけ遅れた?


今の跳躍を頭の中で振り返りながら、熱々のマットから火傷をしないようにすぐに降りて選手控え用のテントに向かった。


先程も1度失敗してしまったから、チャンスはあと1回。


すれ違いざまに明日香先輩がどんまい、とエールをくれた。今度は明日香先輩が跳ぶ番だ。


テントに入ると

「おつかれ!いやー惜しかったねー」

と他校の先輩である朱里さんが声をかけてきた。

タータンの上にバスタオルを敷き、その上でストレッチをしていた。朱里さんとは中学生からの付き合いで、明日香先輩を含めて大会入賞の常連メンバーだ。

私も自分のバスタオルの上に座りながら

「腰は超えてたんですけどね…。残念でした」と答えた。


広いテントの中には私と朱里さんを含めて3人しかいない。もうベスト4に入れるのは確定している。もちろん順位は大切だけど、今回はそればかりを気にしていられない。


「そうだねー。次で跳ばないと告白がまたお預けになるもんねー」

「ちょっ!声がデカイですよ!やめてください!」


朱里さんはニシシッとイタズラっぽく笑ってから、明日香先輩の跳躍に視線を移した。

私もつられて同じ様に視線を向けた。

明日香先輩は助走のスタート地点でバーを見据えながら、息を整えているところだった。


そうなのだ。私はこの今チャレンジしている173㎝を無事跳ぶことができたら、中学生の頃からずっと憧れて、片思いをしている工藤先輩に告白をするつもりなのだ。


3年生の先輩たちはこの大会で引退をしてしまうから、今後の部活での接点がほとんど失われてしまう。その前に、この高さをなんとしてでも跳びたかったのだけど、なかなか自己ベストが更新できず、ついにラストチャンスまで来てしまった。


視線の先では明日香先輩が手を上げてから、助走を始めた。リズムよくスピードを上げていきながら、踏み切ると先輩は少しの余裕を持ってバーの上を跳んだいった。流石、明日香先輩だ。


おー、と気の抜けた感動を口にした朱里さんは戻ってきた明日香先輩とハイタッチして入れ替わる様にして、テントから出ていった。


「お疲れ様です。格好良かったです。明日香先輩」

先輩ははにかみながら、ありがとうといい

「あんたも、跳べれば告白なんだから、集中して、頑張りな!」と茶化しながら、声援をくれた。


朱里さんも余力を残しながら無事にクリアして、全員が2回目の跳躍を終えた。

3回目を跳ぶのは私ともう一人だけだ。

これで跳べなければ大会も、告白のチャンスも終わってしまう。


3回目の跳躍はもう1人の子から始まったが、

踏切のタイミングがずれたのか、バーを手で弾いてしまい、あえなく失格となってしまっていた。人の失敗を見るとますます緊張が増してくる。


審判達がバーを置き直すのを待ちながら、深呼吸をする。


2人の応援を背中に感じながら、テントの陰から出て、強い日差しの下、スタートの目印のテーピングの所まで歩く。

大会が始まった時には、他の選手の目印が多くて、自分の物を見つけるのに苦労したが、今残されているのはわずかに4枚だけだ。一番マットから離れたところに、先程失格になった子のテーピングがあり、次にネコが描かれた朱里さんのテーピングとそれに隣り合う様にしてイヌが描かれた明日香先輩のテーピングが貼られている。その2枚よりも少し前に、ウサギが描いてあるテーピングが私の目印だ。


白とオレンジのバーを睨みながら、今日の跳躍を振り返る。1回目は踏切が早くて、2回目は遅かった。3回目の今回はその中間を狙って跳べれば、高さは足りているのだからきっ跳べるはず。

もうじき真上にくるという日差しが容赦なく、肌をじりじりと焼いていき、汗が出てきた。


集中、集中!これがラストチャンス!


バーに意識を向けるに従い、音がどんどんと消えていき、辺りに霧がかかった様に世界が狭まり、私とバーだけが存在するような錯覚を起こす。


息を整える。少し深く息を吸い込み、止めて、手を上げてから左足で一歩目を踏み出す。

1,2,3,4、跳ねる様に、

12、速く、

12、もっと速く!

3、跳べっ!


不思議なもので、高跳びを跳んでみるのと、見ているのでは流れる時間が違っている。

成功する時は得てしてその感覚が強くなる。

今回もとても長く感じる跳躍だった。

肩がバーを超え、腰も超えたら、足を引きつけ、後転しながら着地する。


視線を向けるとバーは落ちなかった。

審判もクリアの合図を出している。


やった。跳べた。

これで告白ができる。


長年の願いが叶ったことでホッとしたのか、まだ実際に告白もしていないのに涙がでそうになり、急いでテントまで戻った。


「おめでとう!」

2人が同時に抱きついて来た。

長身の2人に埋まる様にしながら

「ついにやってやりましたよー!」

と感動を伝え、安堵のため息をついた。


「あれ?こいつもう終わった気になってんな?」と朱里さん。

「まだまだ、次は175㎝に挑戦だよ!」と明日先輩。

「そうそう、もしかしたらあいつの身長伸びてるかもしれないし、余計に高めに跳んどいた方がいいぞっ!」


そうなのだ。

なぜ173㎝にこだわってるかと言えば、私の告白しようとしている工藤先輩の身長と同じ高さだからだ。


中学生の時は、自分の身長を跳ぶことができたら告白しようと試みていたのだが、徐々に伸びていく自分の身長に記録が追いつく前に先輩は卒業してしまい、それが悔しくて我武者羅に練習していった結果、高校に入学する頃には自分の身長を優に超えて、自己ベストは165㎝と立派な跳躍をできるようになった。

ここまで成長したのならば、せっかくだから工藤先輩の背を飛び越せるくらいの記録を出してから告白を…、と考えた結果、告白はこれほどまでに伸びに伸びて、ついに最後のチャンスになってしまったのだった。


本当に跳べたのが現実かどうか、もう一度バーの方を見ると、審査員達がバーの高さを調整していた。


本当に跳べたんだ。感動に浸っている私を尻目に、朱里さんと明日香先輩はもう気持ちを切り替えて入念にストレッチをしていた。


残るは私たち3人だけだから、必然的にこのこのメンバーの中から優勝者が決まってくる。私は2年生だけれど、2人は3年生。最後の大会なのだから、気合いが入って当然だ。


私も先輩たちに負けないように、さらに記録を伸ばすべく、柔軟を始めた。




「いやー、おわった、おわったー。おつかれー」と、最終的に180㎝を跳んで優勝した朱里さん。

「負けて悔しいけど、自己ベスト更新できたから、満足だよー」と、178㎝を跳んだ明日香先輩。

「お二人ともすごく格好良かったです!」と、175㎝を3回失敗して、最終的に173㎝を記録した私。

3人揃って競技場の外にある芝生広場でダウンをしていると、遠くに工藤先輩の姿が見えた。先輩の競技のスタートは午後からなので、アップをしているようだ。


「おっ!ちょうどいいじゃん。いってこーい」と文字通りに背中を軽く押してくれた2人にお礼を言いながら、小走りに先輩の下に向かった。


大会中に告白して集中を乱すのも申し訳ないから、それとなく競技が終わった後の予定を聞いて時間を作ってもらえるようにしよう。

そう思い、ふんふんと鼻息荒く進んで行くと、ふと先程の朱里さんの言葉が思い出された。


—もしかしたらあいつの身長伸びてるかもしれないし、余計に高めに跳んどいた方がいいぞっ!—


まさかね…。


「先輩!お疲れ様です!」

「おー、おつかれー。最後は残念だったなー」

「見ててくれたんですね!ありがとうございます」

「かわいい後輩の活躍を見る最後のチャンスだからなー」


かわいいって言われた。えへへ、っと顔がにやけていないか心配になる程うれしくて照れてしまった。


「あれって、どんくらいの高さだったんだ?」

「最後のですか?最後は175㎝でしたよー。でも自己ベストは更新できて173㎝跳べましたよー」

先輩の身長を越えましたというアピールを力強くしてから本題を切り出そうとすると

「マジか!あと少しで越されるとこだったんだな」

という衝撃的な言葉が耳に飛び込んできた。


あれー?聞き間違えかな?


「あれ?先輩、今175㎝ってことですか?」

本当だったら大変なことに…。


「おう!久しぶりに測ったら、遂にキリのいい身長まで伸びてたんだよ」


とてつもなく爽やかで嬉しそうな笑顔を向けられた私は、ひきつる顔を隠しながら先輩にエールを送り、アップの続きに戻って行く先輩の後ろ姿を見送った。


どうやら私の跳躍はまだまだ伸びるようだ。

こうなったら大学まで追いかけっていってやる!


真夏の空は青く晴れ渡っている。

灼熱の2020年の夏。

もっと高みを目指そうと心に決めた夏だった。

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