このあまりに大きな光に照らされて

水汽 淋

第1話 あまりに大きな光に照らされて

 私の仕事は言葉を知らない若者達に、悪口を教えることだ。表現規制がどうのとうるさい大人たちに、反逆の意思を示すことだ。汚い言葉というものをひた隠しにする政府に、言葉には自由があると訴えることだ。


 やるべきことは色々ある。


 まずは窓際に置いたラウンドテーブルで紅茶を嗜むことだ。品位ある行動をこころがけるべし。それが私達のモットーだ。

 ペアリングのオススメはパウンドケーキではなく、マドレーヌだ。製法はあまり変わらないが、見た目と込められた意味には大きな違いがある。例えばマドレーヌがホタテ貝の形であるのは、こぶりで巡礼の持ち運びに都合がいいからで、巡礼のシンボルはホタテ貝だからだ。


 私の仕事は道を見失った若者達に、マドレーヌを持たせて聖地の方向を指さしてあげることだ。


 パウンドケーキはこの場合、不適切だ。パウンドケーキは週末に大切な人と食べるもので、人間関係がひたすらに希釈された今、大切な人は真の意味で存在しないからだ。浅く広くが主流の昨今、狭く深い人間関係は時代遅れだ。


 代わりに、道標を求めている。目標を探している。行く先もあてもない若者達に、私が方向を指し示してやる。社会という鳥籠の中で宙ぶらりんになった彼らに、私達はとりあえずの居場所を提供する。決められたレールの上を歩きたくないけど、そのためにはどうすればいいか分からない。そんな奴らが大半だ。


 なに、聞いてくれ。私もそんなことを感じる一人だった。


 それを変えてくれたのが、この団体のリーダーであるアカネだ。私はアカネと会ったことがある。集会でみんなの前に出て、堂々と喋るその姿はまさに、私達を導いてくれる指導者だった。


 私は彼女の言葉を一言一句漏らさず覚えている。彼女の御声を聞きたいなら言ってくれ。これは秘密だけど、私は彼女のスピーチの全てを動画におさめている。


 これは三十人もの彼女の考えに同調した団員が集まったときのものだ。私はこれが初めての集会への参加だった。

 さぁ聞いてくれ。まるで私の言葉にできない部分を、見事に言い当てられたかのような気分だ。彼女の第一声は、三十秒もの沈黙のあと始まった。


「……皆さんは好きな言葉がありますか。なんでもいいです、それを頭に思い浮かべてみてください」


 私が好きな言葉は愛だ。先生も両親もそう言う。愛こそが全て。愛こそがこの思いやりコミュニティで生きるのに必要な要素の全てだ。

 隣でずっと一人で呟く男の子の声が聞こえ、彼の好きな言葉は慈悲、だ。愛情、だ。めちゃくちゃになるまで愛しあいたい、だ。


「私の好きな言葉はファックです。セックスです。殺すぞです。でぶです。くたばれです。死ねです。めんどくさいです。ハゲです。クソです。でべそです」


 アカネの声はあまりに清々しく、当然のように扱う言葉のようだった。挨拶として使われているとでも言うかのように、それは自然だった。

 私達は全員が硬直していた。ふしだらで破廉恥な言葉の奔流は、私達に思考を放棄させた。隣から聞こえる声は好きだ、だ。信じられない、だ。犯したい、だ。


「これらの意味が分からない人もいるでしょう。初めて聞いた、という人も。その人達はあまりに正しく純粋です。私達という世代は、そのような言葉を知らないようお膳立てされた教育を受けてきました。それはこの言葉を知らなければ、それに準じた行動をとらずになるだろうという期待のもとからです」


 私が知っている言葉は、アカネがあげ連ねたもののうち半数ほどだった。その半数を親の前でいえば、きっと勘当ものだ、と私に確信させるほどの。

 けれど並列に語られたそれら全てが、その類の言葉であるだろうことを私は知っている。憤る人間が少ないのは、まだショックから立ち直れていないからだ。


「私がこの活動をする理由は、これらの言葉の解放です。皆さんには目を覚ましてほしい。このまま言葉の制限が進み、検閲が始まると、私達はただただ国に翻弄されるだけの操り人形になってしまいます。反論するための言葉を知らないのですから。だから、この言葉を使っていけないというのはおかしいのです。絶対に。言葉は自由でなければならない」


 場内は静まり返っている。アカネが涙ぐみ、振り絞るような声でいったその言葉たちに、私達は胸を打たれている。

 この世の光全てがアカネに当てられているかのようだ。あまりの眩しさに目が開けられず、目蓋の狭間からようやく姿を確認できる。


 どこかから拍手が聞こえた。弾かれたように私は立ち上がって、声にならない叫び声をあげながら、手が腫れるほどの拍手をした。隣でも叫び声と拍手が聞こえる。永遠あれ、だ。絶対にお前を殺したい、だ。俺は地に埋まりアウラを感じることから始める、だ。その場合、気にすべきは酸素をどうやって取り入れるかだが、狂乱する男は十中八九、なにも考えていないだろう。


 だから、私はマドレーヌを持て、と言う。巡礼の証であるマドレーヌさえあれば、例え倒れたとしても引きずって連れていこう。死んでくれて構わない。手を繋いで皆でゴールするのが今の流行りだ。

 聖地への方向は教えてあげよう。君達はただついてくればいい。


『動画から来ました! あなた達の考えに僕も賛成です! 僕がするべきことは、なんですか?』 


 アカネが指差す方向に行くことだ。私はカタカタと、匿名のおそらく学生にメッセージを送る。


『この聖地巡礼の列に加わること。使ってはいけない言葉を最後に添付しておいたから、しっかりと読み込むこと。使うときは恐れないこと。孤立はしない。私達がいるから。そして最後にもう一つ。あなたはこれを毎日言わなければならない。ネットでも、リアルでも、どこでもいい。安心してくれ、後悔はきっとさせないから』


 書かれてあるのは自己啓発と同じようなものだ。それは高架下のトンネルのグラフィティ、授業で配られたプリント裏の落書きと同じ。遠回しな自己表現だ。

 そこにはとびっきりの悪口と、禁止され規制されたいくつもの表現が書かれてある。

 例えばそれが世間的にとびっきり破廉恥で、育ちが悪いと顔を背けられるようなものであったとしても。昔はおはようと同じ頻度で使われていた代物のはずだ。


 そう、例えば、お前なんか死んでしまえ、だ。

 そう、例えば、お前の母ちゃんでべそ、だ。

 そう、例えば、お前なぞ生きる価値などない、だ。


 私の仕事は大人達によって消された自己表現の仕方を教えることだ。

 詳しいことはホームページのガイドを見てくれ。それでも分からないならQ &Aで納得のいく答え。なお不満な点があれば、直接メールを送って運営からの答えを待つがいい。

 私はそれら一つ一つをしっかりと確認し、丁寧に返信することを約束しよう。 


 ちなみにだが、これは団体とは全く関係ない。私個人が勝手にやっていることだ。しかし、これに参加することで、君は悪口の適切な使い方を知るだろう。アカネの集会に参加するために、一度ここで心を慣らしておくべきだ。

 ではなぜ始めたか、という質問にも答えよう。許可があってのことなのか。その理由を答えよう。

 これを始める前、最後に出た集会で、私はアカネと目があった。五十人もの団員がいる中、私と目があった。なんと、一時間の講演で五回もだ。 


 その時私は察した。行動を起こせ、ということをだ。話を聞くだけじゃない。私自身がこの活動を、アカネの思考を、考えを。その全てを理解した私が広めろということだ。

 集会にはもう数ヶ月参加していない。私は次のステージに移っている。  


 ああ、信じて付いてきてくれて構わない。私はアカネの考えていること全てがわかる。アカネの発言その全てを録画し、毎日聴き返す私だ。それを見抜いたアカネはさすがだ。彼女は私を信頼しているに違いない。


 参加するなら今のうちだ。私の活動は、さらなるステージへと進もうとしている。今、会員は三百五十人もがおり、建てられたスレッドでさかんに議論が行われている。皆格調高く、自分に誇りを持っている。最も人気な話題は、決行集会についてだ。今ならまだ間に合う。私達は集結し、国会へと突き進んでデモ活動を行う。さぁ、参加してくれ。聞き入れない頑固な議員達に、暴力で訴えることもやぶさかではない。声をあげるのなら今だ。フランス革命のように、私達は王をやっつけることでアカネの考えが浸透していくと確信している。


 さぁ、リンクはここだ。分からないことがあれば、なんでも聞こう。大人も子供も男も女も。私は誰も差別しない。区別しない。この世において重要なたった一つのものは、私に、アカネに同意することだ。

 アカネのカリスマを感じてくれ。アカネの言葉を聴いてくれ。アカネを信じてくれ。アカネがどれほど素晴らしい人間か、身をもって体感してくれ。

 そうすれば、きっとあなたは私と同じくアカネの凄さに感化され、この巡礼に参加したくなるはずだ。


 あなたの仕事は、さぁ、声を上げることだ。アカネへの賛美歌を歌い上げることだ。

 この私の思いが届くなら、ああ、死んだって構わない。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

このあまりに大きな光に照らされて 水汽 淋 @rinnmizuki

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ