第3話 再会 その1

 俺と紗季が出会ったのは高校二年の夏頃だった。


 今にして思えばあいつとの出会いは唐突だったというか、降ってきた災難というか、あの時の俺にしたらなにもかもが目まぐるしくて、それでいて濃厚な時間だった。


 そのころ俺が活動していた部活は、高校にある部活の中では珍しい天文部。


 部といっても部員一人だけの名ばかりの部活だった。そもそも俺がこのたったひとりの部活に入るきっかけになったのは、真衣奈の父親、祐介さんが原因だった。


 祐介さんは俺が通っていた学校の教師で、ついでにいうと俺のクラスの担任でもあった。親父の親友だった祐介さんは俺が入学すると同時に、勝手に「お前の部活、天文部な」と決めてしまった。天文部は祐介さんが顧問を勤めている部活で、なにより去年の卒業生がいなくなったのが原因で、廃部寸前だった。そこで顔見知りでもある俺を道連れにすることで、廃部の危機を免れたというわけだ。


 当時、通っていた学校で部活は強制だったから、特にやりたいことがなかった俺にとっては願ってもない話だった。


 こうして半ば強引に入部させられた形だったけど、祐介さんと二人で活動していくうちに次第に星の魅力にとりつかれていった。夢中だったといえる。


 毎日見ているはずの星空は、よく見ると一日ごとに違う姿を見せてくれた。羽虫が飛び交う夏の夜に、虫に刺されながら星空を眺めたり、冬の寒い風が吹く中、天体望遠鏡を担いで、学校近くの山で寒さに震えながら一日を明かしたこともあった。そんな男二人だけの天文部だったけど、俺は割とそんな毎日が好きだった。今になって思えばきっと、祐介さんなりに親父を失ったことで塞ぎ込みそうになっていた俺を励ましてくれていたのかもしれない。


 それから一年経ったある日、二年生になった俺の元に紗季がやってきた。


 そもそも紗季がこの天文部に入るきっかけになったのは、学園祭でのことが発端だった。


 毎年この学校では学園祭が行われていて、部活以外でも出し物をしないといけない。俺がいたクラスは去年、この街の歴史なんていう誰が得をするのかわからないような出し物をして、あまり楽しい思い出がなかった。その反動からか、今年は何か大がかりなことをやりたいと、その年のクラスの出し物はプラネタリウムを作ることになった。ちなみに今年は大がかりなことをやろうと言いだしたのは他でもないクラス担任も勤めていた祐介さんだ。


 クラスでプラネタリウムを作ることに決まったが、誰も星のことには全く詳しくない素人の集まりばかり。そこでクラスで唯一、というよりは学校内に唯一、天文部に所属している俺に実行委員として白羽の矢が立ったというわけだ。


 実行委員に決まった日から俺はプラネタリウム制作に取り掛かることになった。


 けれど、一口にプラネタリウムを作るといってもこれが簡単じゃなかった。


 まず、星の配置やら、見える星の光の加減、舞台装置となる投影機の作成や星を映し出すためのスクリーン、その他もろもろのことを考えたりすると気が遠くなりそうな気分だった。


 そんなある日。


 その日もいつものように積み重なった課題を一人、部室棟の奥にある天文部部室とは名ばかりの、通称物置小屋で片付けている時だった。


 ガッシャーン! とけたたましいほどの音を立てて部室の窓の一枚が、唐突に割れた。思わぬ出来事に作業の手を止めて何が起こったのか考えてみるけど、こういう時はたいてい頭がうまく働かない。せいぜいわかったことは窓ガラスを見るも無残なガラス片に変えたのが、たった一球のソフトボールが原因だったってことだ。


 俺の拳よりも大きなソフトボールは思ったよりもずっしりとした重量感があった。そのせいか体育の授業の時にでたらめなフォームで投げて、クラスで下から三番目の順位をありがたく頂戴したことを思い出した。というより当たったら死んでいたかもしれない。


 すっかり風通しのよくなった窓からグラウンドを見下ろすと、主犯格らしいソフトボール部の連中が上を見上げてため息を吐いているのが見えた。このあとで先生たちに怒られることを考えたらご愁傷様としか言い様がない。


 とりあえず散らばった窓ガラスを片付けてから、出来れば忘れていたかった学園祭の準備に取り掛かる。けれど手を動かしてみても動かすばかりで、作業が進むことはない。一度途切れた集中力は思わぬ来客でもある白球と同じく、あてのない彼方へと飛び去ってしまったようだった。


 ふぅ……と、一息吐いて手を止める。すると机の上に置いてあるソフトボールに目が止まった。


 そういやこれ返しに行かなきゃな。そう思っていたところに珍しくこの日二番目の来客があった。


 ドタドタと騒がしい物音のあと、バーン! と開かれた部室のドア。


 そして一言、


「あ、頭大丈夫ですか!?」


 これが俺と紗季のファーストコンタクトだった。



「それじゃあ二人の再会を祝福して再び──」

「「「かんぱーい!!」」」


 大樹の号令で再びの乾杯。どうでもいいけど、こいつはただ単に騒ぎたいだけなんじゃないかって思えてくる。


 形だけの乾杯を終えると、さっきまで別の女の子に群がっていたはずの連中が、今度は新しくやってきた紗季も交えて話に花を咲かせていた。紗季も紗季らしく遅れてきた割には上手いこと溶け込んでいた。俺はそんな彼らを距離を置いて見ていた。するとそれを見かねたらしい大樹がジョッキを二つ持って話しかけてきた。


「楽しんでるか相棒」

「誰が相棒だ」


 大樹からビールが注がれたジョッキを受け取る。


「にしてもさ、お前があんな可愛い子と友達だったなんて奇跡だよな」

「なんだよ奇跡って」


 すでに出来上がった大樹が中ジョッキ片手に俺の肩に手を回してきた。それを軽く払いのけながら、なみなみと注がれたビールを煽る。


「お前って女っ気がないから心配してたんだよ。もしかしたらあっちじゃなくてそっち系の人かなってさ」

「バカ言え。俺はいたって普通だ」


 ビールを流し込みながらタバコに火をつける。俺にもくれと大樹が一本抜き取った。


「えー、そんなことないよー」

「いやいや、ほんとだって」


 向こうのグループはお通夜みたいな雰囲気のこことは違って大変盛り上がっているようだ。一瞬、紗季と目があった気がしたけど、友達の女の子に話しかけられて話の中へと戻っていった。


「あっちは楽しそうだな」

「だったらお前も混じってこれば?」

「いや、遠慮しておくよ」

「そっか」


 すっかり根元まで短くなったタバコをもみ消すと、二本目のタバコに火を灯した。


「そんなことよりも俺にかまけてていいのか?」

「何がだ?」

「女の子だよ。さっきまでアタックしかけてただろ」

「ああ、それね。ま、俺のことは気にすんな。それよりもお前のほうこそ、えっと紗季ちゃんだっけか? 話しかけてこなくていいのか?」

「……別にいいよ」


 そう言ったがもちろん本心なんかじゃない。話したいことは山ほどあった。


 どうしてあの時何も言わずにいなくなったのか。


 どうしてあの時何も言ってくれなかったのか。


 どうしてあの時俺は──。


「ま、お前と紗季ちゃんの間にどんな因縁があったのかなんて知らねーけどさ、友人は大事にしたほうがいいぜ」

「因縁なんて……なにもねえよ」

「素直じゃねーな。別にいいけどよ。ただ、ぼやぼやしてっと他の男にとられるぞ? 紗季ちゃん結構人気高いっぽいし」

「なんだそれ。俺には関係ない話だろ」

「ま、そういうことにしておきますか。んじゃ、俺は戦場に戻るぜ」


 大樹はタバコを吸い終えると、再び盛り上がってる彼らの元へと戻っていった。


 友人……か。


 ふと、大樹の言葉が蘇る。もし本当に紗季が俺の友人だっていうなら、どうしてあの時何も言ってくれなかったのか。一言でも別れの言葉を告げてくれていたら、まだ俺はこんな気持ちにならなかったのかもしれない。けど、その全てが今さらだった。


 モヤモヤする気持ちを吐き出すように、タバコの煙を吐き出す。なのに気持ちは晴れるどころか、タバコの煙でさらに曇ってしまった。


 手持ち無沙汰に携帯をいじってみるが、画面に浮かぶのはどうでもいいようなニュースが表示されているだけで、一文字だって頭に入ってこない。


 帰ろうか。時間もそれなりに経っていたし、これ以上ここにいたって意味がない。そう思い、席を立とうとすると、


「ここいいかな?」


 不意に声をかけられて顔を上げる。見上げたところに紗季の顔があった。


「……生憎だけどこの席はうまってるんだ。他に行ってくれ」

「何言ってんの? 誰も座ってないじゃない」


 紗季は俺の冗談とも本音ともつかない拒否の言葉を無視して、さっきまで大樹が座っていた席に座った。


「久しぶりだねハカセ」

「俺はハカセなんて名前じゃない。宮野翔吾っていう名前があるんだ」

「そんなの何年も前からわかってるって。だけどハカセはハカセだよ」

「わかってないだろ」


 顔を背けるようにしてジョッキを傾ける。大して美味くもないビールを、さも美味そうに飲んでみる。それでも紗季はこっちの気持ちもお構いなしに話を続けていた。


「それにしてもすっごい偶然だよね。ハカセとまたこんなところで会うなんてさ。偶然っていうよりは奇跡ってやつかな?」

「それ、さっき別のやつにも言われた」

「なんて?」

「お前があんな可愛い子と友達なんて奇跡だって」


 大樹に言われたことを復唱すると紗季は「ほほぅ。それは興味深い話だね。可愛いってことは否定しないけど」笑いながら俺と同じようにジョッキを傾けていた。


「でも、偶然でも奇跡でもこうやってハカセにまた会えたことは感謝しないとね」


 紗季が嬉しそうに微笑む。あれから二年ぶりに見るはずの彼女は大人になっているはずなのに、笑った顔だけはあの頃のままだった。瞬く星が光るような瞳に、誰もを惹きつける魅力的な笑顔。知らず俺の胸は鼓動を早めていた。


「にしても、ハカセは変わんないね。あの頃のままだ」

「そういうお前だってあんまり変わってないように見えるけどな」

「そんなことないよ。わたしだってちゃんと大人になってるんだから」

「例えばどこがだ?」

「えーと、胸?」

「……なんで疑問系なんだ」

「じゃあどこなのよ」

「俺が知るか!」


 売り言葉に買い言葉を交わしながら、空いたジョッキにビールを注ぐ。もはや、お酒を楽しむというよりは、ビールを注いで飲み干すという作業に変わりつつあった。


「ビールってあんまり美味しくないよね」

「じゃあなんで飲んでんだよ」

「んー、その場の雰囲気?」

「なんだよそれ」

「なんていうのかな、みんなが飲んでるから飲むみたいな感じかな」

「じゃあ飲まなきゃいいだろ」


 と、紗季を挑発するようにビールを煽る。もちろん、俺だってこれを美味いとは思わない。すると紗季は「まぁそうだけどね」と言って俺と同じようにビールを飲んでいた。


「それじゃあ次、中村大樹いきます!!」


 俺たちから少し離れたところでは、大樹がジョッキからピッチャーに持ち替えて一気飲みをしていた。イッキ! イッキ! とはやし立てる声がこっちまで聞こえる。


「あっちは楽しそうだね」

「だったら混ざってこいよ。俺と二人で飲んでても楽しくないだろ」

「別にいい。楽しいのは大好きだけど、ああいったノリはちょっと苦手かな。それに今はハカセと話してる方が楽しいし」

「……なんだよそれ」


 不意な言葉にたまらずビールを一気に飲み干した。というより、そうしないと今俺がどんな顔をしてるかバレてしまいそうだったからだ。


「それにしても若いってすごいね」

「若いってお前も同じ年だろ」

「あっはは、それはそうか。お互いに年取っちゃったもんね。あれから二年だっけ? 時が経つって早いね」


 紗季が盛り上がっている彼らを遠い目で見ていた。それはあの時と変わらない、紗季が俺に時折見せていた寂しそうな目だった。


「覚えてる? 学園祭のときのこと」

「忘れた」

「嘘つき。本当は覚えてるくせに」

「……ああ、覚えてるよ。というより、あんなの忘れろってほうが無理だろ」

「まだ根に持ってるの? ハカセって案外根に持つタイプなんだね」


 紗季が口を尖らせながら言う。


「お前、根に持つって言うけどな、あのあとすごい大変だったんだぞ。祐介さんには怒られるし、窓ガラス片付けなきゃいけないし」

「あ、あれは事故で──」

「確かに事故かもしれない。それは仕方ない。だけどそのあとだ。初めて会った人間に頭大丈夫ですか? はないだろ」

「でも、無事だったんだからいいじゃない」

「無事だったからな。あんなの本当に当たってたらどうなってたか……」

「当たらなかったことが奇跡だよね」

「それを自分で言うか?」

「あはは、ホント申し訳ない……」


 呆れたように言うと紗季も反省しているのか、それ以上なにも言ってこなかった。


 今となってはあの時のことは笑い話で済んでるが、よくよく考えてみるととても恐ろしいことだ。


 もし、名前も知らないどこかの誰かさんが俺を罠に嵌めようとして企んでいたことだったら、ずいぶんと手の込んだことだと思う。


 でも、あの時ならともかく、今ならそのどこかの誰かさんに感謝してやってもいい。それこそ、あんな奇跡みたいなことでもなけりゃ俺はこいつと、紗季と出会うことなんてなかっただろうから。


「楽しかったよねあの時。みんな夜遅くまで学校に残っててさ、なんだかお祭りみたいだったよね」

「お祭りみたいっていうか、実際お祭りの準備をしてたんだけどな」

「あっという間だったよね」


 紗季が昔を懐かしむように呟く。あっという間だったなと俺もそれに返した。

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