第25話 浴場と欲情

 王都の大聖堂にある、薄暗くほこりっぽい地下室。

 そこでは大司教の男と、その部下との密談が交わされていた。


「今日は魔術学院の校外学習初日だな」

「はっ、生徒たちを護衛する兵士たちの中に、我ら教会側の人間を潜り込ませております。彼女は若いのに聖騎士の称号を与えられるほどの実力です。《魔女カトリーヌ》の妹アリス・カルヴァン討伐はスムーズに行くことでしょう」

「よし。念の為、傭兵と異端審問官を合宿所付近に配置しておけ。明日までには間に合うだろう」

「承知いたしました」


 部下は一礼し、男のもとを去る。

 男はロッキングチェアに腰掛け、神に祈る。


「学院と我らは不可侵の関係……アリスが学院の敷地から離れた今しか、討伐のチャンスはない……これを逃せばもっと面倒なことになる……」


 男は切実に、部下の成功を祈願した。



◇ ◇ ◇



 夕方、エドガーとその教え子は合宿所の食堂にて夕食をとった。

 今日のメニューは仔牛のカツレツ定食と、学食で提供されているものと大差ない。


 食後、エドガーは合宿所の巡回を開始した。

 今は生徒たちの入浴時間であるため、覗きを未然に防止しなければならないのだ。


 エドガーは廊下を巡回し、ついに女湯の入口付近に到着した。


「ふーん、誰もいないのか。拍子抜けだな」


 エドガーは思わず呟いてしまう。


 健全な男子であれば、女湯を覗きたいという願望を持ち合わせるのが自然だ。

 誰か一人か二人くらいは入り口で右往左往していてもおかしくないと思っていたのだが、当てが外れたエドガーは嘆息する。


 エドガーは学生時代、とあるシミュレーションを幾度となく繰り返していた。

 それは「女湯に現れたテロリストを一人で撃退し、女子から英雄視される」という計画だ。

 しかし当然テロリストが現れるわけもなく、そもそも女湯に入れるはずもなく、結局はただの妄想に終わってしまった。


 今はもちろん、そのような妄想を抱いてはいない。

 女湯に入ってしまいその結果覗き見してしまう、というのなら致し方ないが積極的に入るつもりなど毛頭ない。

 そのようなことをすれば犯罪者として連行されることだろう。




 閑話休題。

 女湯の前でうろつく男子がいなかったことを確認したエドガーは、合宿所の外に出る。


 合宿所の浴場は露天風呂になっており、外から覗こうとする不埒者がいると思われる。

 もっとも到着時に下見をした限りでは、覗ける位置に到達するには悪路を歩む必要があると思われるのだが。


 エドガーは獣道を進み、木々をかき分ける。

 夜間なので目の前は真っ暗だが、光属性魔術を行使すれば視界は開ける。


「──誰ですかっ!? 止まりなさいっ!」

「えっ!?」


 女性の叫び声が突然聞こえてきたため、驚いたエドガーは思わず立ち止まってしまう。

 茂みの中から一人の若い女が現れ、警戒した面持ちで問うてきた。


「あなた、もしかして変質者ですか?」

「いいえ、違います。私は魔術学院の教師なのですが、異性の浴場を覗く生徒を取り締まるべく、ここまでやってきたのです」

「うそっ……教師……大変失礼いたしました!」


 その女は勢いよく頭を下げて謝罪する。

 よく見てみると彼女は武装しており、恐らくは魔術学院の校外学習にて護衛を勤める兵士なのだろう。

 しかも華美な装飾を施された剣を持っており、聖騎士の身分だと思われる。


 エドガーは彼女に問いかける。


「あの……もしかして私、お邪魔だったりしますか?」

「はい、邪魔です! さっさとどこかに行ってください!」


 女兵士は叫ぶように、とても失礼なことを言い放つ。


 エドガーはこのとき、ふと疑問に思った。

 何故この女性は一目見ただけで、自分を「変質者」だと決めてかかったのだろうか、と。


 ここは確かに獣道ではあるが、覗き以外の目的でも使われる道であるはずだ。

 最初から「変質者」という単語が出てくるということは、そういう発想を抱いているに違いない。


 エドガーはそう思い、女兵士に揺さぶりをかける。


「この辺りって、女性兵士が巡回してたりするんですかね?」

「えと……いえ、巡回しているのは私だけです……」


 女兵士が目を逸らしたのを見て、エドガーは確信してしまった。

 彼女こそが女湯を覗こうとした「変質者」そのものであると。


 そもそも兵士がこの一帯を巡回するという話を、エドガーは一切聞いていない。

 兵士たちは今頃、合宿所の建物の中で見張りを行っているはずだ。

 この女兵士は独断で、女性用露天風呂の周辺をうろついていたということになる。


 自分の仮説が間違いないと思ったエドガーは、彼女の手首を掴む。


「な、何をするんですか!? 離しなさい、変態!」

「それはこっちのセリフだ! 君、変質者だろ! 隊長に報告するから、ついてくるんだ!」


 女兵士は必死で抵抗し、手を振りほどこうとした。

 しかしエドガーの言葉を聞いた途端、彼女は不敵に笑い始める。


「うふふ……よろしいのですか? 今ここで私を隊長に突き出しても、あなたが一方的に悪者扱いされるだけですよ?」

「──なに?」

「あなたはこう報告するつもりでしょう? 『この女が女湯を覗こうとしていた』と。でも、一体誰がそんな言葉を信じるのでしょうね? むしろあなたが女湯を覗こうとしたと疑われてしまいますよ?」

「いや……そんなはずはない……」

「それと今、私の身体に触ってますよね? 痴漢で訴えてもいいんですよ?」

「馬鹿馬鹿しい……不審人物である君を拘束するために、手首を掴んでいるだけのこと……」


 エドガーは女兵士の妄言に耳を傾けまいとする。

 しかしながら何故か、彼の心臓はバクバクと脈動し始めた。


 そんな彼の耳に、女兵士は甘い声で囁く。


「一緒に女湯に行きましょう? そしてお互い、このことはナイショにしましょ? ね?」

「こ、断る……」

「ねえ、いいでしょ? あなたも私も女湯を覗ける、双方にメリットがあると思うのですが」

「嫌だ、覗きたくない……、自分から火中の栗を拾う馬鹿がどこにいる……?」

「うふふ……やっぱり覗きたいんですね。分かりますよ、その気持ち。女の子は可愛いですからね」

「あーもう! 見逃してやるからさっさと失せろ、この変態! 俺は合宿所に帰るからな!」


 エドガーの怒りは頂点に達し、女兵士の手首を掴んでいた手を離す。

 すると彼は女兵士に腕を掴まれてしまった。


「一緒に行きましょう? そして共犯になりましょう? さもなくば、あなたが覗きをしようとしてたと隊長に報告しますよ?」

「ちっ、分かったよ……近くまではついて行ってやる。ただし覗きはしない」

「駄目ですよ? ちゃんと覗いて、私と悦びを分かち合うのです。でないと隊長に、あなたが覗き魔だと訴えますからね?」

「クソッ、どうしてこんなことに……」

「まあまあ、いいじゃないですか。覗かざるを得ない状況に、私が持っていってあげたのですから。感謝して下さいね?」


 エドガーは渋々、女兵士とともに女湯を覗きに行くこととなってしまった。


 露天風呂に向かう道中、女兵士はエドガーの腕にまとわりついて離れない。

 女が好きなんじゃなかったのかよと、エドガーは心の中で悪態をついた。



◇ ◇ ◇



「はあ……いいお湯ね……」

「はい……気持ちいいです……今日の疲れが取れちゃう……」

「ずっと入っていたいですねー……」


 露天風呂にて、ルイーズと女子のクラスメイト計10人は入浴している。

 アリスとベアトリスは顔が弛緩しきっており、ルイーズもまた心地よく思っていた。


『──ああ……あの銀髪の子、スタイルが良くて綺麗ですね……金髪の子はちっちゃくて可愛い……ピンク髪の子はおっきくて可愛いです……はあ……しあわせえ……えへへ』

「──ん?」


 突如、外から変な声が聞こえてきた。

 声質からして女性だろうが、女性を性的な目で見る女性もいると聞く。


 ──「銀髪の子」って私のことよね……

 ルイーズは「綺麗」だと褒められたことを嬉しく思いつつも、気味悪く感じた。


 覗き魔がいると判断したルイーズは光・風属性魔術で閃光弾を生成し、それを柵の外側へ放り投げた。



◇ ◇ ◇



「はあ……いいですねえ……女の子……しゅき……だいしゅき……」


 柵で囲まれた露天風呂の近くに到着したエドガーと女兵士。

 エドガーが女兵士に先に覗くように提案したところ、彼女は諸手を挙げて柵にへばりついたのだ。


 彼女の恍惚とした溜息と声。

 エドガーはそれにドキッとしつつも、あの女は女に欲情する変態だと頭を振る。


「ああ……あの銀髪の子、スタイルが良くて綺麗ですね……金髪の子はちっちゃくて可愛い……ピンク髪の子はおっきくて可愛いです……はあ……しあわせえ……えへへ」


 恐らく女兵士が言っているのは、ルイーズ・アリス・ベアトリスの三人のことだろう。

 確かに女兵士の評価は何一つ間違っていないが、女が抱くにはあまりにも危険すぎる発想だ。


「──ん?」


 突如、露天風呂の柵の内側から何かが飛んできたのを、エドガーは視認する。

 飛来した物体を魔術で解析すると、それは錬金術で生成されたスタングレネードだと判明した。


 エドガーは目を閉じて耳をふさぎ、魔術障壁を展開させる。

 その直後、瞼越しからでも感じられるほどの強い光と、耳をふさいでも聞こえる爆音を知覚した。


「ひゃうっ!?」

『──きゃあああああっ!』

『──さっさと消えなさい、この変態!』


 少女の裸体に見惚れていた女兵士は、突然聞こえてきた爆音に驚き、声を上げてその場に倒れる。

 彼女の声のせいで、中にいた生徒全員に覗き魔の存在を気づかれてしまったようだ。


 エドガーは気絶している女兵士を担ぎ、急いで露天風呂から撤退する。

 このとき彼は「覗かなくて正解だった」「あの女に先を譲って正解だった」と安堵していた。

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