第16話 回復魔術と規制

 昼休み明け。

 エドガーと教え子たちはグラウンドに集合している。


 まだ9月中頃であるため、昼間は直射日光が強くとても暑い。

 地面からの照り返しも強く、若干眩しく感じる頃合いだ。


 だがそれでも、教師エドガーと教え子たちは気合を入れて授業に臨んでいた。


「さて、今日の光魔術実技の授業だが……みんなには回復魔術をやってもらう」

「か、回復魔術の訓練ですか!? ど、どうやって練習するんですか!?」

「怪我人がいなければ回復魔術の行使は出来ません! 回復魔術の濫用は、教会によって禁止されています!」

「どうやって怪我人を用意するというんだ!? いや、そもそも怪我人を用意すること自体、猟奇的な発想だ!」


 教え子たちは口々に、授業への不安感を吐露する。

 エドガーは「はい、静かに!」と両手を叩き、意識を自分に向けさせる。


「被験者は俺だ。ダガーで指を軽く切るから、それを回復させてみて欲しい」

「あなた、それ本気で言ってる? そんなことして痛くないの?」


 ルイーズは心配そうな表情をしながら反論した。

 彼女の気遣いについては嬉しく思うエドガーだったが、しかし撤回するつもりは毛頭ない。


「フッ……俺を誰だと思っている? 元異端審問官たるこの俺は、切創せっそうごときで疼痛とうつうなど知覚しない……」

「《漆黒の闇》と《邪竜》を右腕に封印してる人は、やっぱり言うことが違うわね──けど今回の授業、教会の言う『回復魔術の濫用』に当たらないの?」


 全ての魔術は、宗教を教え広める教会組織によって管理されている。

 「魔術は全知全能の神が与え給うたもの」なので、彼らが必死に規制をかけるのも当然だ。


 回復魔術を始めとする光属性と、そして闇属性の2つは特に神格化されており、使用に際してはいくつか制限が課せられている。

 そのうちの一つが「回復魔術の濫用禁止」であり、怪我人がいないのに不必要に行使してはならないと定められているのだ。

 たとえそれが練習目的であったとしても、傷一つない人間への「無駄撃ち」は厳禁なのである。


「それも大丈夫だ。怪我人を放置するのは教会の望むところじゃない。たとえそれが、自傷行為によるものであったとしても」


 エドガーの説明を聞き、教え子たちは納得した。

 彼は早速自分の左親指をダガーで傷つけ、傷口からは血が滴り始める。


「まずは誰からやる?」

「は、はい!」


 エドガーの前に現れたのは、教え子であり旧友でもあるアリスである。

 彼女はいの一番に手を挙げたものの、表情は真っ青だった。


 エドガーの怪我を早く治してあげたい、彼女は恐らくそう思っているのだろう。

 いい友人を持ててよかったと、エドガーは自分の幸運を喜んでいた。


「ところで、正統魔術の《二大要素》は覚えているか? 魔術教育の初歩中の初歩だったと思うが」

「えっと……か、神に対する信仰心と、生来の適性です……」

「正解。じゃあやってみせてくれ。詠唱はこれな」


 エドガーは教本を差し出し、書かれている一節を指し示す。


 アリスたちは一応、回復魔術の理論については一通り学んでいるはずだ。

 しかし光属性魔術の詠唱は、他の属性と比べてである。

 詠唱の内容を忘れている可能性を考慮し、エドガーは念の為に見せているのだ。


 アリスはその教本を一瞥し、大きく息を吸う。


「《供物を以って、願い奉る。ゆ……唯一神よ、我に救いを。彼の者に癒しの力を》」


 アリスは言葉を詰まらせつつも、詠唱を実行する。

 エドガーの左手が魔力によってきらめき、親指に付けられた傷がみるみるうちに塞がった。


「エ、エドガーさん……大丈夫……? 治った……?」

「治ったよ、アリス──みんな、これが回復魔術だ。怪我人が発生しなければそうそう使うものじゃない。だから今、実践的な使い方を身に付けて欲しい。本番が起こってからじゃ遅いからな」


 エドガーはこの後、次々と指を切っては20人もの教え子たちに回復魔術を使わせ続けた。

 指を切るたびに彼らに心配されたものの、戦場にて苦痛を味わってきたエドガーにとっては、蚊に刺されたようなものだ。


 教え子の成長と虫刺され程度の痛み、天秤にかけるまでもない。



◇ ◇ ◇



 王都のどこかにある、薄暗くほこりっぽい地下室。

 そこで初老の男は、自身の部下の報告を聞いていた。


「ふむ……あの《魔女》の妹アリス・カルヴァンが王立魔術学院に通っている、か」


 男は部下から手渡された資料を流し見し、嘆息した。


 とある理由で、本部はアリスを狙っている。

 男が所属する支部に偶然ターゲットが居合わせた形となり、面倒なことになったと男は思っているのだ。


「魔術学院とは互いに不可侵を約束している。下手に手出しは出来ぬな……もし寮生活をしているのであれば、学院の敷地外に出る機会も少ないだろう……あの《魔女》も、大切な妹を安全な場所に逃がすだけの知恵があったようだ」

「それで、いかがなさいますか?」

「今すぐフリーの暗殺者と、統制のために末端の者を向かわせよ。我らとの繋がりを悟られないように留意するのだ」

「かしこまりました」


 男の指令により、部下は頭を下げる。

 もう報告は終わりかと思っていた男だったが、部下は思い出したような表情を見せた。


「それと、アリスの関係者ですが、これまた奇妙な男で……」

「続きを」

「はっ。アリスの担任教師なのですが、名前はエドガー・シャロン。それでここからが問題なのですが、彼は『自分は元異端審問官である』と吹聴しています。もっとも、『右腕に《邪竜》を封印している』などという《設定》を演じていることもあり、ただの妄想だと思われますが……」


 部下の報告は、男を驚かせるものだった。

 なぜなら男は「エドガー・シャロン」という人物に聞き覚えがあるからだ。


 エドガーは凄腕の異端審問官で《魔術師殺し》と畏怖された男だ。

 彼は魔術に対する造詣が深く、さらに魔術師が苦手とする剣術・弓術・体術まで身につけていた。

 様々な戦闘術を達人レベルにまで修めた執念は、感服する他ない。


 だがエドガーは、数ヶ月前に殺されたと聞いている。

 仮に彼が生きていたとして、本名を名乗り続けるのも奇妙な話である。

 「《魔術師殺し》エドガー」と「教師エドガー」は別人である可能性が高いと、男は判断した。


 ──そもそも《魔術師殺し》などと呼ばれた男が、「《邪竜》を封印している」などとのたまうはずがない。

 そのような子供の戯言をあの男が発するわけがなく、頭が狂っているとしか思えない。


 男はそんなことを考えながら、部下の報告を聞き続ける。


「エドガーは教え子であるルイーズ王女殿下に、とても気に入られている様子です。さらにどういうわけか、国王陛下との関係も少なからずあるようです」

「なるほど──その『エドガー』なる教員は捨て置け。不正確な情報のせいで魔術学院や王国を敵に回してしまった、などという事になれば我らの威信が保てなくなる。狩るのはアリスだけでいい」

「御意……」


 部下は一礼したあと、静かに退室する。

 男はロッキングチェアにもたれかかり、一息ついた。


「まったく、面倒なことになったな……まさかこちらがアリス討伐をすることになるとは……魔術学院が相手なら、本当は手出しするべきではないのだが……本部の指示なら仕方あるまい」


 組織への服従と、そして部下や自分自身の安寧。

 両者との板挟みに苦しむ男は、神に救いを求めた。



◇ ◇ ◇



 王立魔術学院にて、エドガーの「光魔術実技」の授業が終わった後。

 ルイーズやアリスを始めとする10人の女子が、更衣室にて制服に着替え直している。


 室内は様々な芳香が混ざり合っている。

 ミルクやチョコレートのような甘ったるい香り、柑橘系のさっぱりとした香り、花のような香り、そして若年女性特有の香り。

 あの変態教師エドガーなら悦びそうだと、ルイーズは嘆息する。


 彼女は気持ちを切り替え、隣にいるアリスに話しかける。


「それにしても、エドガー先生の授業はすごかったわね……」

「はい……痛そうでした……」


 アリスはエドガーの流血を思い出したのか、顔をやや青ざめさせていた。

 生徒に与える影響をもう少し考慮して欲しいと、ルイーズは思っている。


 アリスは悲しそうな表情を浮かべながら続ける。


「怪我してない人に回復魔術を使っちゃだめ、っていうのは分かるけど……なにも自分で傷つけなくても……」

「そうよね。校外学習で回復魔術を使う機会はあるんだから、それまで待つべきだったのよ」


 学院や王都から少し離れた合宿所で寝泊まりし、魔物退治などの実習を行う。

 それが校外学習の主な活動内容で、あと1週間後くらいに行われる予定だ。


 魔物退治は危険がつきもので、必然的に回復魔術の出番が多くなる。

 だからわざわざ授業でやらなくても、学ぶ機会はいくらでもあるのだ。


「あっ……でも、エドガーさんは『本番が起こってからじゃ遅い』って言ってたような……」

「そういえばそうだったわ。難しいところよね……」

「──ういっす! 女子のみんな!」


 突如、大きな音とともに更衣室の引き戸が蹴破られた。

 入口付近には3人の男が立っており、彼らはそれぞれ剣を持っている。


 ルイーズは突然の闖入者に対し、恐怖のあまりすくんで声も出なかった。

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