第10話 平民エドガーと名門魔術教師

「みんな、おはよう」

「おはようございます!」


 翌朝、エドガーは教室に入って教え子たちに挨拶をした。

 生徒たちは彼に返事をしつつ、「もうすぐホームルームか」とそわそわし始めている。


 一方のエドガーは、始業のチャイムが鳴るまで本を読むことにした。

 が、そうする前に男子生徒マルクが教卓前までやってきていた。


「おはようございます、先生。昨日は助けて頂きありがとうございました!」

「マルク、おはよう。なに、あれくらいお安いご用だ」


 昨日、マルクは廊下で下品な話をし始め、それをルイーズに盗み聞きされていた。

 殺意のこもった笑みを浮かべていたルイーズから教え子を守るため、エドガーは腕が疼いたふりをしてマルクを逃したのだ。


「それでその後、ルイーズ様とはどうなったんですか!?」

「握手してもらったよ。心がとても温まった」


 エドガーはルイーズの方をチラチラ見ながら、マルクに事実を断片的に伝える。

 彼女が近くにいる以上、「火傷しそうなほどの愛を一身に受けた」などという詩的表現を使うのは不適切だ。


 ──よかった、ルイーズには聞かれてない。


「そーですか。なんか拍子抜けしちゃったなー。それなら先生に助けてもらわないほうがよかったかも」

「はあ……おーい、ルイーズ! マルクが君と握手したいんだってさ!」


 自分の席についていたルイーズが、ビクッと体を動かした。

 そして彼女は立ち上がり、エドガーとマルクの方に向かって歩き出す。


 一方のマルクは、鼻の下を伸ばしてとても嬉しそうにしていた。

 火属性魔術によって温められた手で、低温火傷しそうになるまで手を握られ続け、その後回復魔術を施されるという責め苦を受けると知らずに。

 だがもし彼がマゾで変態なのであれば、ルイーズに手を握ってもらえるのはむしろご褒美だ。


 事実、ルイーズの手はとても柔らかくすべすべしていて気持ちよくて、さらにいい香りだった。

 しばらく手を洗わないでおこうと思ったエドガーであったが、晩酌のときにうっかりワインをこぼしてしまったため、それは叶わなかった。

 くそっ、普段はこぼさないのに昨日に限ってッ!


 閑話休題。

 近づいてきたルイーズに、マルクは顔を真赤にしながら手を差し出す。


「あの、ルイーズ様。俺と握手してもらっても──」

「ごめんなさい。私、エドガー先生に用があるの」


 ルイーズはマルクに一瞥もくれず、エドガーに向き合う。

 エドガーとしては、そんな彼女の行為は意外でしかなかった。


 事実上ルイーズに無視された形になったマルクは、哀愁を漂わせながら自席に戻っていく。

 それを気にする素振りを見せず、ルイーズはエドガーを見据えながら言った。


「先生、お願いします。私に魔術を教え──」

「──おい、貴様!」


 突如、教室の外から叫び声が聞こえてきた。

 エドガーやルイーズ、そして教室にいた生徒たちはその声の方を向く。


 その声の主は、20代後半くらいの男性教師だった。

 その教師はエドガーを睨みつけながらずんずんと歩き、彼の座っている教卓の前で立ち止まる。


 エドガーはこの事態に困惑しながらも、椅子から立ち上がって一礼した。


「えっと……確かジャン・ヴァレーズ先生でしたよね? 私、エドガー・シャロンと申します。今後ともよろしくお願いします」

「挨拶はいい。貴様、ルイーズ王女殿下と昨日決闘したそうだな? たった今クラスの連中から聞いたぞ」

「はい、そうですが……」


 あまりにも喧嘩腰に話しかけられたため、エドガーは面を喰らっていた。

 せっかく挨拶したのに無視するなんて酷いと思いつつ、警戒心を強めていく。


「平民の分際で、よくもそんな分不相応な真似が出来たな。もし殿下が怪我をされたら、どう責任を取るつもりだったんだ!」

「え……? あの、殿下から決闘を申し込まれたのですが……」

「ならば断れ! 本来ならばな、殿下と同じ空気を吸えるだけで光栄なものなんだよ。それが平民ならなおさらだ!」


 ジャンはつばを飛ばす勢いで、一気にまくしたてる。


 確かに彼の言うことはもっともだと、エドガーは思っている。

 もし王女たるルイーズに怪我を負わせてしてしまえば、罪に問われる可能性は否定できない。


 昨日の決闘の時、エドガーはルイーズを無傷の状態で降参させることが出来た。

 だが、もしルイーズがほんの少しでも勝ち気だったなら、彼は降参宣言がなされるまで魔術で攻撃し続けたことだろう。


 しかしながらルイーズは、怪我を承知で決闘を申し込んできたはずだ。

 ジャンは彼女を心配しているつもりなのだろうが、むしろ彼女自身の誇りを汚していると、エドガーは思った。


「それを貴様という奴は、拝顔の栄に浴するばかりか殿下と魔術の勝負だと!? 平民風情がいい気になるなよ!」


 ああ……これが身分差別かと、ジャンという貴族然とした男を見据えながらエドガーは思う。


 エドガーは元々、教皇を国家元首とした教国に住んでいた。

 教国に貴族はおらず、その代わり聖職者が特権階級だった。

 しかし聖職者は国民や信者のため、そして神のために献身すべきだとされており、とても庶民に対して威張れるような立場ではなかった。


 名ばかりの特権階級だった元聖職者エドガーは、貴族ジャンの傍若無人っぷりを見て、何故か恥ずかしく感じてしまう。


「もう一度言いますが、殿下から決闘を挑まれたのです。そこに私の自由意志なんてありません。挑まれたのに断ったら、それこそ殿下に対して失礼です」

「だったらわざと負けろ! 貴様、殿下を完膚なきまでに叩き潰したらしいな。平民風情が王女殿下に楯突くなど、格上の教師が格下の生徒をいたぶるなど、許されざる行為だ!」

「それは違うわ!」


 突如、静観していたルイーズは反駁はんばくした。

 ジャンは今まで彼女の存在に気づいていなかったのか、体をビクッと震わせる。


「ル、ルイーズ王女殿下! 申し訳ありません、すぐにこの平民風情に謝罪させますので!」

「そんなことより、『わざと負けろ』っていうのは聞き捨てならないわね。私は正々堂々と勝負したかったのよ。もし対戦相手がわざと負けるなんてことになったら、興醒めもいいところだわ」

「で、殿下! ですが──」

「それに、確かに完敗だったけど『叩き潰した』っていうのは訂正しなさい。エドガー先生があまりにも強かったから私自ら降参しただけで、怪我なんてしてないから」


 ルイーズは王女様らしく、威厳をもってジャンを諭す。

 すると彼は、頭を抱えて呟き始めた。


「嘘だ嘘だ嘘だ……殿下が降参なんてありえない! ──もういい……エドガー、この私と決闘しろ。魔術の名門ヴァレーズ家の一員として、そして先輩教師として、徹底的に教育してやる!」


 エドガーは「ヴァレーズ家」についてはあまり知らない。

 なぜなら彼は元々、外国から移住してきた男だからだ。


 しかしそこまで自信があるのなら、相手にとって不足はない。

 エドガーの心は闘争を求め始めた。


 一方、ルイーズは彼の両手を取り、綺麗な赤眼で彼を見つめてこう言う。


「ねえエドガー先生、放っておきましょう!? 身分を笠に着た振る舞いは学院では処罰対象だから、学長と国王陛下に進言して──」

「ククク……ハハハハハハッ! いいだろうジャン閣下ムッシュ・ジャン。その決闘の申し出、確かに受諾した。ルイーズとの決闘を──俺の思い出を冒涜されるのは、不本意なのでなッ!」


 エドガーは怒りを封印し、あえて道化を演じる。

 右手で顔を覆い隠し、哄笑し、尊大に挑戦を受け入れ、悦に浸る。

 教え子たちはそんな彼を見て「カッコいい!」「頑張ってね!」といった声援を送っていた。


 一方のルイーズは「はあ……あなた、実はバカ?」と呆れ返っていたが、「フッ……そんなの昨日の時点で分かりきっていたことだろ?」とエドガーは返事する。


 称賛、応援、そして愛でようもある冗談。

 注目を一心に浴びるエドガーを見て、ジャンは怒りに震えていた。


「貴様……どうやら口の利き方から教えてやらねばならんらしい……平民風情が貴族である私に偉そうな口を叩くばかりか、ルイーズ王女殿下を呼び捨てにするなど、万死に値するぞ!」

「違うの! 私が先生に、敬語を使わないように頼んだのよ!」

「クッ……もういいです──今日の放課後だ! そこで雌雄を決してやる!」


 ジャンはエドガーを睨みつけながら叫んだあと、教室をあとにする。

 が、出口で一旦立ち止まり、再びエドガーに振り向いた。


「──いい忘れたが、私は魔術大学を次席で卒業したエリートだ。精々頑張り給え。ハハハハハハッ!」


 ジャンは得意げに語ったあと、今度こそ教室から出ていった。

 彼の闖入ちんにゅうのせいでクラスの雰囲気が凍りついてしまっているのを見て、エドガーは嘆息する。


「エドガーさん……あんな人に負けないで……絶対に勝って!」

「アリス……君……」


 おとなしいと思っていたアリスによる柄にもない叫びを聞き、エドガーは気合が入った。

 エドガーと同じく教国出身である彼女もまた、貴族制に馴染みがないせいか、横柄な態度を取る貴族が許せなかったのだろう。


「アリスさんの言うとおりだ! ──そうだ! みんなで放課後、先生を応援しに行こう!」

「マルク、それナイスアイデア! 俺も行くぜ!」

「わたしたちが応援すればー、先生も元気出ますよねー? 先生ってー、女の子大好きだからー」


 マルクを始めとする生徒たちがアリスに同調し、口々に応援の言葉をかける。

 エドガーはそんな彼らを見て、嬉しいと感じていた。


 すぐ隣にいたルイーズはクラスメイトたちを微笑ましく見つめたあと、エドガーに向き合う。


「これは負けられないわね、エドガー先生」

「ククク……安心しろ。俺は元異端審問官、あまたの魔女をこの手で《断罪》してきた男だ。そして誰よりも魔術を知り尽くしている男だッ! フハハハハハハッ!」


 みんなを心配させまいと、エドガーは不敵に笑う。

 ルイーズは彼を見て「はあ……どうしてそう得意げなのよ。ただの《設定》でしょうに」と呆れつつ、しかしニッコリと彼を見つめていた。

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