神にも等しい権限

「編集は済んだか?」


「はい。現在はレンダリング中にございます」


 二人の賊はダミーの部屋に仕掛けた侵入者用の罠で消し炭となった。ドアのロックを解錠したところまでは頑張った。が、警戒もせずになかへ足を踏み入れたのはまずかった。それも二人で同時に入るなど間が抜けている。


 おそらく、すめらぎが雇ったのは訓練されたプロではない。武器が手に入るというだけで、ただのチンピラの類だろう。連中の成果は音響設備へのささやかなダメージのみ。いくら皇にもらったのかは知らないが、どんな仕事でも代償が命ではわりに合わない。


「旦那様、たった今レンダリングが完了し、動画を流す準備が整いましてございます」


「では、判定結果とランキングを発表後、皇の部屋にだけ編集した動画を流せ。それから、彼女の部屋に何人か向かわせ、動画内で賊がダミー部屋へ到着するのに合わせてドアを開けるよう伝えろ」


「いかようにしてタイミングを合わせればよろしいでしょうか?」


「そんなもの、彼らにも動画を観させながら向かわせればいいだろう。私は馬頭間と話す」


「畏まり」


「いや」と鱒丘の返事を遮った雅は、「ランキング発表後は私と馬頭間の会話の様子を先に流せ。編集動画はそのあとだ」と命じた。


「しかしながら旦那様、東棟の音響設備に問題が生じている現状から鑑みますと、皇の部屋に確実に音声が流れるという保証は」


 雅は「鱒丘」と再び執事の言葉を遮ると、「いいんじゃないか」と嬉しそうに続けた。むしろ音声が死んでいたほうが好都合だ。たとえ聴こえても皇に内容の理解はできまいが。


「そろそろお時間でございます」


「発表のアナウンスはなしだ。代わりにテロップを流せ」


「畏まりました」


 鱒丘がラップトップのキーを叩く音が響き、しばらくして『これより判定結果、ならびにランキングの発表を行います!』という文字が巨大モニターに現れた。いつだって鱒丘はそつがない。


【紅 朱音】

・文章作法に則っていない 370

・規定文字数未到達 300

・程度の低い表現 400

・重複表現 480


【皇 奇迷乱】


【霧海 塔】

・規定文字数未到達 1000


【馬頭間 頼斗】

・規定文字数未到達 300

・作品未公開 100


 皇は今回お手つきなしか、と雅が考えたところで画面から判定結果が消え、ランキングと呼ぶには寂しい二行の文字列が浮かび上がってきた。


1位 紅 朱音 1550

2位 霧海 塔 1000


 馬頭間の負債は所有するポイントで相殺されたのだろう。二十万を超えるポイントを有する彼がランキングに載らないことは当然わかっている。これからその件について奴と話をしようというのだから。


「紅の負債が一定値を超えましたが、いかがいたしましょう?」


「それはあとだ。多似町たにまちのほうでやらせろ。紅朱音の部屋にはガスを出せ」と言葉を切った雅は、一呼吸置いて「馬頭間の部屋のマイクは生きているんだろうな?」と鱒丘に確認した。


「集音に問題はございません。部屋も西棟ですので、スピーカーへのダメージもないかと思われます」


「奴の部屋のマイクを入れ、まずはテロップで書籍化の意思を確認しろ。そのあいだにこちらの音声が向こうへ流れるかを調べろ」


 書籍化を求めてここへやってきた馬頭間が、この極限状態にあっても未だその情熱を持ち続けているのか、彼と話しをする前に是非とも知っておきたい。返答如何によってはすべての要求を呑んでやってもいい。


「馬頭間の部屋の集音状態は良好でございます。これより彼の部屋のモニターへテロップを表示いたします」


 大型モニターが六分割され、上段の左から馬頭間頼斗、『書籍化の意思はまだありますか?』というテロップ、紅朱音の順に映像が並んだ。同様に、下段は左から皇奇迷乱、停止状態の編集が済んだ動画、施術中の霧海塔となっている。


「どうだっていい」


 部屋に響いた馬頭間の答えを聴いた瞬間、非常にガッカリした。


「こんなの、聞いてない……小説なんて趣味で書いてるだけで、別に本業にしようとかプロの作家になろうとか、全然そんな気ないし。そりゃ自作が」


 もうそれ以上は耳に入ってこなかった。こいつもあわよくば書籍化できたらラッキーだぐらいに考えている、駄文を書き散らかすだけで精進しようともしない、承認欲求ばかりが先行している浅薄なワナビー作家どもと何ら変わらない。


 不正をしてまで手にしたかったものへの情熱は、所詮その程度でしかないということか。


 鱒丘へ顔を向けるなり、「こちらからの音声も問題ございません」と雅の心を先読みしたような答えが返ってきた。雅は「マイクを繋げ」と短く命じ、鱒丘が頷いてキーを叩きはじめたのを眺めながら、「合図で馬頭間の部屋にもガスだ」と告げてからマイクに向かって話し出した。


「馬頭間頼斗さん、貴方は現在、ポイント獲得数において暫定一位となっています」


 モニター内の馬頭間が顔を上げたことで、奴の部屋に確実に音声が流れているのがわかった。


「他の参加者を出し抜き、もっとも優位な立場を勝ち得た貴方には、わたくしから特別に褒賞を授けたいと思います!」


 さすがに『神にも等しい権限を与える』は言いすぎだが、私が神の代役を務めてやろうじゃないか。


「どんな望みでも一つだけ叶えてあげましょう。さぁ! 大きな声で、はっきりと、正確に貴方の望みを言ってください」


 馬頭間が立ち上がり、カメラへ向かってよろよろと近づいてくる姿が映った。顔が笑っているように見えるのは、単純に感情が状況に追いつかないせいだろう。


 おおかた、家へ帰りたいといったあたりの答えが返ってくるに違いない、などと雅が考えていると、馬頭間が何事かをぼそりと短く呟いたのが見えた。雑音に近く、何と言ったのかはっきりとは聴き取れなかった。


「もう一度、大きな声で、正確にどうぞ」


「ここ、この部屋から出して、俺の……稲葉総一の、アパートの部屋へ帰らせてくれッ!」


 予想通りである。


「わかりました。貴方の望みは、貴方のいるその部屋から出て、稲葉総一、もとい馬頭間頼斗氏のアパートの部屋へ帰りたいと、こういうわけですね?」


「そそ、そう、そうです! おっしゃる通りッ! うちへ、うち、うちへ帰らせッ、ださい! おね、お願いしますッ!」


 なんと退屈な男なのだ。泣いて懇願するとは、あまりにも予想通りにすぎる。わかったと言ったではないか。


「望みの予想はついていましたので、ほとんどの準備は整っています」


「それじゃ俺」


「それでは馬頭間頼斗さん、しばしの休息を」


 合図をするまでもなく、タイミングを見計らっていたらしい鱒丘は、雅が目配せをしたのとほぼ同時に馬頭間の部屋へのガス放出を開始した。


「帰れ、え?」


 鱒丘は馬頭間が背後を振り返り、膝からくずおれるように倒れたのを見届けると、それを合図にマイクの接続を切ってスタンバイさせておいた編集動画の再生をはじめた。それに合わせるかのように、皇が顔を上げるのがモニターの一角に映る。


 動画内で二つの人影が左から右へと移動するのに合わせて視線を動かした雅は、分割されたラインを飛び越え、右隣の画面に映る施術中の霧海を見やった。


「反応が弱いが、霧海はまだ生きているのか?」


 瞼をひん剥かれ、目玉に摘出用の器具をあてがわれているというのに、霧海が暴れている様子はない。先ほどの爆風で気絶したのだろうか。


「バイタルサインは微弱ではありますが、かろうじて生きてはいるようでございます」


 いずれにせよ霧海は死ぬ。身体の部位すべてで支払ったとしても、負債の全額返済には足りない。それ以前に、奴のリストに記載された一位の心臓、および二位の脳を摘出したら終わりだ。心臓は替えがきくが、脳を人工臓器化する技術はまだSFのなかにしか存在していない。


「皇の部屋へ人はやったか?」


 馬頭間や紅のようにガスを使うよりも、皇のような気が強くて頭のまわるタイプの人間は、他人から強制されたり制約を受けたりすることを酷く嫌うはずだ。力で捻じ伏せられるのも屈辱と感じるだろう。


藪柳やぶやなぎが三名を連れて向かっております」


 学生の頃にラグビーをやっていたという体躯たいくの大きな男だ。華奢な女性では到底かなわない。彼が他に三人も連れていくのは、皇は油断がならないとでも鱒丘が伝えたからか。鱒丘は部下への配慮も抜かりない。


 ふと、視聴者へ向けて実施中の賭けを思い出した雅は、「もっともオッズが高いのは誰だ?」と鱒丘に訊ねた。最初のランキングを流した時点で、参加者の執筆名は視聴者の知るところとなっている。それと同時にギャンブルの参加者を募った。最低賭け金は百万円、暗号通貨でのみベット可能。


「すでに規定文字数を書き上げている皇が一番人気となっており、気概を見せた馬頭間が二番につけております」


「では一度賭場を閉めて配当を送金し、また正午から仕切り直せ」


「畏まりました」


 六分割された大型モニターの編集動画内では、二つの人影がエレベーターから降りて画面右へと姿を消すなりアングルが変わり、弓なりに湾曲した通路と画面左の壁にあるダミー部屋のドアが映し出された。


 すぐさま画面下方から先ほどの二人が現れ、何やらロックの解錠操作をしてドアを開けると、躊躇なく部屋のなかへと踏み込んでいった。と、間髪いれずにアングルが変わって二人の人影が全身を炎に包まれている姿が映る。


 雅が編集動画の左へと視線を滑らすと、喜びかけたところに思わぬボディーブローを喰らったような、なんとも奇妙な表情を浮かべた皇の顔が大写しとなっていた。


 戸口に立つ藪柳の巨体でも目にしたのだろう。顔付きが凶悪なせいもあり、それが奴を危険な男だと周りに知らしめる警戒色の代わりにもなっている。救助が来ると思っていたところへ犯罪者然とした悪人面の巨人が現れたら驚きもする。


「旦那様、大変申し上げにくいことではございますが、どうやら建物内の監視カメラもハッキングを受けていたようでございます」


「何をされた?」


「それが、現在モニタリング中だと思われた監視映像でございますが」


 突如、部屋のすぐそばで爆発音がしてドアが吹き飛び、自動小銃を構えた二つの人影らしきものが薄い煙幕のなかに浮かび上がった。


「鱒丘。こいつらは」


 言いかけた雅の言葉の先は、二人の賊が構えるM4カービンから立て続けに発射された銃弾により、乾いた音とともに宙空で跡形もなく霧散した。

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