人生は儚い

 人生ははかない。


 などという表現は、これまでに何万回、何億回と使いまわされてきたものだ。こんなただの当然の事実を、さも美しさを極めた表現かのように、今さら恥ずかしげもなく作中に用いるようなセンスの欠片もない作家に興味はない。


 当然の事実を記したものは小説ではない。辞書、百科事典、実用書、報告書、公的文書など、そういった類のものがそれだ。


 端的に言えば、小説は作り物。嘘である。だから、作中に描かれる人生は儚くなくていいし、そうである必要もない。作者および作品のなかで無矛盾性が保たれていれば、要はなんだっていいのだ。


 だが、作者の矜持は読者に伝わりづらい。厄介なのは、読者にも読者独自の矜持がある場合だ。そういった読者は総じて、物語の整合性や作中の設定、世界観に難癖をつけてくる。


 いわゆる、想像力や独創性が欠如し、新しいものや他のものを受け入れられない、自分だけのこだわりという名の卑小な呪いにかかった連中で、彼らは己の基準でしか物事を測れず、俯瞰の概念すらない視野狭窄のタイプに多い。


 そういったタイプは新しい文体や、頭を使う複雑なストーリーを好まない。想像力を使うことに疲れているからだ。ウェブに動画のコンテンツが氾濫している今の時代、連中が求めているのは刺激とわかりやすさだけだ。それゆえ、ウェブ小説というメディアでも、同等の要素を備えたものばかりが多く読まれる傾向にある。


 創作に膨大な時間を要するのは同じだが、動画や音楽と違う点として、小説の場合は消費するにも時間がかかる。大衆の求める簡便性や速効性と真逆のメディアだ。つまり、求められていない。


 自己満足の趣味や芸術品ならいざ知らず、そんな不要なものを時間をかけて作りつづけても意味はない。小説に限ったことではないが、創作物は作者と観測者の両者の存在があって初めて成立するものだ。


 見てもらうため聴いてもらうため読んでもらうためには、大衆の好みや求めるものに応じ、柔軟性を持って作品を作りかえる工夫が必要となる。


 要するに、投稿サイトのランキング上位作品は、表現や描写の簡略化が進み、内容が薄っぺらくなる。結果、『人生は儚い』などという陳腐な表現が、ウェブ小説界隈で素知らぬ顔で跋扈ばっこしていても、誰一人その奇妙さを疑ったり指摘したりしないという悪環境ができあがるわけである。


 販売数でしか人気を計れない、巷の音楽ランキングと何ら信用度は変わらない。


 ランキング上位にある作品で、私の琴線に触れたものはまだ一作もない。試しに開いた作品群は、どれもこれも下手の横好きが書いたような、およそ文芸作品と呼ぶには烏滸おこがましい稚拙でつまらない文章か、作者の趣味や知識をただひけらかしたいだけの、自己満足に溺れた無駄に難解でやたらと詩的な文章が大半だった。


 娯楽という原点から逸脱し、幼稚な自慢大会と化している。


「旦那様」


 深々と座ったロッキングチェアに揺られつつ、左手を顎に当てて俯き加減で考えに耽っていた雅は、離れた場所から掛かった鱒丘の声でわずかに顔を上げた。


「四時間ほど前より姿を消していた屍蝋兇夜ですが、巡回ドローンが階下の機械室にて、機器の可動部分に巻き込まれたと思しき遺体を発見いたしました」


「そうか。一部始終を捉えたカメラはあるのか?」


「ただいま遺体の発見場所を映した数台のカメラを解析中でございます」


「解析が終わり次第、編集して連中のモニターへ流せ。それと、血液の処理はキッチリさせておけ。機器が錆びる」


 屍蝋が部屋から消えたことにはしばらく気づかなかった。が、逃げられないことを知っているこちらとしては、連中がいくら部屋からの脱出を試みようと構いはしない。それに、部屋から出た時点で隠しルールのに抵触する。よって、いずれにせよ脱走者は死をまぬがれることはできない。


「それから、すめらぎがダークウェブで交わしていたやり取りですが」


「内容がわかったのか?」


「開発元の不明なソフトによる暗号化でして」


「わかったのか、と訊いたのだが」


「失礼いたしました。率直に申し上げますと、暗号の復号化、および解読は不可能でございます」


「では、何がわかった」


 鱒丘は一つ咳払いをし、「暗号通貨を使用した形跡がございます」とだけ言った。暗号資産を保持しているところが最近の若者らしい。


「それだけか?」


「以上でございます」


 何らかの違法な商品を購入したか、もしくはこの場所へ第三者を突入させるため、荒事を得意とする個人か団体とでも契約を交わしたか。警戒はするが問題はない。どうせ現れるにしても一般人だ。いずれにせよ、日本の公的機関は介入できないのだから。治外法権にあたるこのエリアには。


 ふと視線をモニターへ移した雅は、床に転がっている男を目にし、「床を這っている男は誰だ?」と鱒丘に訊ねた。


「左の足首から下を切断した霧海でございます」


 おおかた、目覚めて椅子から落ちたのだろう。片方の靴を履かずに歩くのでも違和感を覚えるのだから、片足が失くなったらなおさらに違いない。


「動かないな」


 モニター内の霧海は右半身を下にして横たわり、身体をくの字に曲げた状態でぶるぶると震えている。


「まだ局所麻酔の効果が残っているのやもしれません。あるいは」


「戦意喪失か」


「左様かと」


 雅は軽く息を吐き、「やる気を出させてやれ」と鱒丘に命じた。


如何いかようにいたしましょう?」


「好きにやれ」


 鱒丘は表情を変えず、「畏まりました」と言ってラップトップのキーを叩きはじめた。妻の顔でも見せてやれば元気になるだろう。霧海のような直情型の人間は御しやすい。


 が、あなどりはしない。それは無知で無能な者のすることだ。己自身すらわからないことだらけだというのに、どうして他人を知った気になれよう。


 驕り高ぶった愚者は身を滅ぼす。仏典や聖書にも記されている。少なくとも謙虚であれば、他人に憎まれたり危害を加えられる確率は低い。よって、そのぶん危険に遭遇しにくくなる。


 真理から遠い人間は生きることに苦労する。金の問題ではない。鍵となるのは知恵や知識だ。愚かな連中は核心から目を背ける。怠惰がそうさせる、という言い訳をする。たとえ環境が整っていようとも、能力があろうとも動こうとしないのだ。


 怠惰といえば、数時間前に酸を浴びせたトテチテもその一人だった。自作品の流用という軽薄な行動を取り、新しいものを生み出そうとする努力を怠った。初めに『未だかつて誰も読んだことのない』作品を書いてほしいと、キッチリ宣言したにも関わらずだ。


 おそらく、新しい作品など書けないとでも思ったのだろう。思考の放棄、考えることへの怠惰である。行動以前の問題だ。彼女の場合も他の怠惰な連中同様、マインドセットから改善する必要があった。


 金がない。知識がない。経験がない。コネがない。運がない。


 弱い犬ほどよく吠えるとは言ったもので、愚かな人間ほど行動しない理由を並べ立てるのに長けている。労力を言い訳を考えることに費やしている時点で、すでに十分に救いようがないのだが、本人たちは無自覚な場合が多い。


 金がないなら稼げばいい、知識がないなら学べばいい、経験がないなら試せばいい、コネがないなら作ればいい、運がないなら行動で変えればいい。


 学生の頃、「おまえは金持ちだからいいよな」というセリフを、同級の連中から腐るほど聴かされた。何がいいのか。金を持っていたのは父親であり、学生の私ではなかった。


 家と父親自身の体面を保つため、衣類だけは高価なものを与えられてはいたが、必要最低限のもの以外はすべて、自分で稼いだ金で得ていた。むしろ、周りのバイトすらしていない連中のほうが、何かといいものを持っていた。


 金持ちは恵まれているという先入観により、連中は私を誤解し侮っていたわけだ。だから私は、他人の境遇を羨み、呪詛の言葉ばかりを吐いて現状を変えようともしない人間が嫌いだ。


 まぁ、それも昔の話であり、父親が死に、彼の遺産を相続した今となっては別であるが。


「これより、作成した動画を霧海のモニターへ流します」


「反応を見たい。動画とヤツの様子を映せ。音声も入れろ」


「畏まりました」


 鱒丘がラップトップのキーを叩く音がするなり、「ふざけんじゃねぇッ! ブッ殺してやる、ゴミカスどもがぁッ!」という怒声が室内に響き渡った。


「なんだ、元気じゃないか」


「いかがいたしましょう?」


 動画を流したいのだろう。鱒丘の声がやや緊張しているように聴こえる。


「流せ」と雅が左手を上げると、エンターキーの叩かれる音がし、鱒丘の好きな編集の仕方である、女性の「キャー!」という芝居じみた安っぽい悲鳴が響いた。


 すかさず、大型モニターの画面左に大写しとなった女性の顔が、右側には床に腹這いで顔を上げている霧海を正面から捉えたが映しだされた。


「みちるッ! みちるッ! 今すぐ助けに」


「やめ、やめ」


「みちるッ!」


「やめ、やめ」


 動画に映る真那加まなかみちるは、壊れた人形のように右へ向かって小刻みに二度頭を振ったあと、不自然に映像が飛んで左を向いた顔を晒した。


「どうしたッ⁉︎」


 雑な編集であるのに奇妙に思わないのだろうか、と雅は霧海の反応をいぶかしんだ。


「いやああぁぁ!」


「オイッ! 異常者ども、よく聴」


「やめ、やめ、いやああぁぁ! やめ、やめ、いやああぁぁ! やめ、やめ、いやああぁぁ!」


 まったく、鱒丘はいい趣味をしている。


「やめて、やめてくれ……頼むからやめてくれッ!」


 進歩のない男だ。何を言おうとも、動画内の彼女は首を振ることも叫ぶことも決してやめはしない。なので、この場合ヤツが口にすべきセリフはやはり、『動画をめてくれ』である。もちろん、懇願されても止める気はないのだが。

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