トテチテタ

 部屋の隅で壁に向かって膝を抱えて横になり、ときおりデジタル表示のカウンターを振り返っては、着実に時間が減っていっていることを確認する。さっきまで『23』だったはずの左端の数字が、もう『21』にまで減っている、と片桐かたぎり菜々ななは恐ろしくなって目をつぶった。


 男の人が二人、死んだ。たぶん。というのは、動画が流れはじめて、ギザギザの鋸が出てきた時点から見ていないから。でも、悲鳴が、男の人が上げているとは思えない悲鳴が、獣の唸り声のようなものに変わって、そのあと急に静かになった。だから、死んだんだと思う。


 私もここで死ぬんだ、と菜々は悲観的になってしまう。書けるわけがない。執筆に使っていたパソコンは家だし、スマホでなんか書けない。だいたい二十四時間以内に最高傑作を書けなんて無理だ。今までにそんな短時間で完成させた作品なんてない。


 たとえ、たった一人にしか読まれなくてもいい。自分の世界を、人生を、価値観を、まだ見ぬ誰かに伝えたい。私という存在を知って欲しい。そんな想いで多少のフィクションを織り交ぜ、三十年という人生を綴った自叙伝的作品を、一年以上に渡って幾度となく推敲と修正を重ね、一ヶ月ほど前にようやく完結させたところだ。


 小説サイトに投稿してみた結果、最高傑作とまでは言えなくとも、四度はスクロールダウンしなければ読み切れないほどの長い感想をもらったり、実は自分も似たような境遇だといって共感してくれた人も少なからずいたわけで、私としては十二分に満足のいく出来だし、書きたいものを書ききったとも思っている。


 あれを上まわる作品を書くとなると、まずコンセプトとテーマを設定し、それからモチーフを考える必要がある。目を開き、垂れた長い前髪のあいだから、もう一度デジタル表示の赤い数字を見る。あれがゼロになったら、私は死ぬ。殺される。


 ふと、手に握りしめているスマホがひかり、SNSにメッセージが届いたというポップが現れた。数少ない同年代の執筆仲間からのもので、開くと『最近浮上してないね? よけいなお世話かもだけど、心配だわさー。お忙しいのん?』とあって、思わず口元が緩みそうになる。


 咄嗟に『助けて!』と返信してしまいそうになるのをぐっと堪える。SNSに浮上しなくなったのは、作品を書き終えて宣伝するものがなくなったからだ。


『ごめんごめん! 新作の構想練ってた』


 嘘だ。書きたいものなど、もうない。あっても、もう書いている時間がない。じゃあ、なぜ嘘をついた? 決まっているでしょ、ともう一人の菜々が囁く。がっかりさせたくないから、失望させたくないから、『なんだ、もう書ないんだ』と思われたくないから。


『あんな大作仕上げたばかりなのに、もう? すごっ! 見習わないとなー。実はけっこう前に公募に応募したんだけど、やっぱ昔ウェブで公開した作品はダメかな? ググったらさ、一度公開しても半年ほど非公開にした作品ならいけるかもってあってさ』


 公募は基本的に未発表作品しか受け付けないはずだ。それに、たとえそんなことをしても、サーバー側にキャッシュが残っているはずだし、調べられたら簡単にバレてしまうだろう。


『公募にもよると思うけど、一度でもウェブに公開しちゃったら、多分ダメだと思うな』


 メッセージを送信し、それが規則であるなら従わなければならない、と思ったところで、部屋に入って最初に流れた動画のルールが頭をよぎった。未発表作品に限る、というルールはなかったはずだ。いや、なかった。間違いない。他人のではなく、自分の作品なのだから、不正には当たらないだろう。


『そっかー。はぁ、やっぱダメかぁ……』という返信を確認した菜々は、利用したことのない小説投稿サイトを検索し、自作のジャンルと色が合っていそうなサイトを選び、与えられた『トテチテ』という意味不明な名前でアカウントの登録を済ませた。


 さっそく作業を始めようとして、『隠しルール』なるものがあることを思い出し、菜々の手が止まる。危なかった。まんまと罠にはまるところだった。命までかかっているのに、隠されたルールなんて卑怯だ。そんなもの、いくら考えてもわかるわけがない。


 菜々はなかば自棄やけ気味に、『瀧田川 出版社 ショー 隠しルール』と打って検索してみた。


【隠しルール】

・宣伝は自由

・いずれのサイト、また複数のサイトへの重複投稿可能

・制限時間内に更新する文字数は最低一万字とする

・三十日以内に三十万字以上の作品を完成させること


 表示された結果に目を見開き、思わず「嘘でしょ」という言葉が菜々の口から漏れる。はじめの三つはいい。問題は最後の『三十日以内に三十万字以上』という点だ。使いまわそうと思っている作品は二十万字ほどしかない。あと約十万字も加筆できるだろうか。できるだろうか、じゃない。やらなければ。


 何より我慢がならないのは、三十日もシャワーもトイレもなしに生活することだ。大丈夫。二十万字はできているのだ。まずは原文をコピペして、一日一万字の最低更新文字数をそこから投稿し、使えるだけの時間をすべて執筆に当てれば十日、睡眠時間を削ればもっと短縮できるだろう。早ければ八日ほどで出ていけるはずだ。


 作品を投稿してある小説サイトにログインし、執筆画面から原文をそっくり全部コピーする。おかめ面から指定されたジャンルが現代ドラマだったのは僥倖ぎょうこうだ。各人それぞれが得意なジャンルと言っていたが、すでに自分の作品を調べられている、ということだろう。ならば、私の作品が一つしかないことも知られていることになる。


 スマホを操作する手を止め、本当に大丈夫だろうかと逡巡していると、またしても大きな音が部屋に鳴り響き、菜々は反射的に目を瞑って身を縮めた。さっきのブザーのような音とは違う。ゲームのなかで、コインや現金を手に入れた場面を思わせる、金属的ないやしい音だ。


「皆さん! ここでもう一つ、お知らせがございます!」


 あのおかめ面のものであろう、神経を逆撫でする壊れたラジオのような音声が聴こえ、菜々はすぐに耳を塞ぎたくなりはしたものの、命に関わるかもしれない情報を聴き逃せはしないと、湧き上がった衝動をどうにか抑え込んだ。


「たった今、最初のポイントを獲得した方が現れました!」


 また恐ろしいことが起こるのかと思っていたが、違った。ポイントを獲得した、とはどういう意味だ。判定の時間まで、まだ二十一時間以上あるはずではなかったか、と考えた菜々は自分の思い違いに気がついた。


 タイマーがゼロになったときに行われるのは、獲得したポイント数による成績の判定であって、ポイントの集計ではない。ポイントはそれまでに獲得していなければならず、さもなくばポイントがないまま判定を迎えることとなってしまう。


 つまり、時間内に執筆すればいいだけでなく、小説サイトへ投稿して何らかの形でポイントを得る、というところまでが一貫した流れなのだ。菜々は罠のようなルールに気がつき、床に横たわったまま身震いした。


「ポイントは獲得すればするほど、あなたの立場を優位にさせます」


 優位にさせます、という言い方が引っ掛かる。順位でもつけて与える罰の軽重でも決めようというのだろうか。この異常者ならやりかねない。むしろそうするだろう。


「いいですか、小説家の皆さん! ショーはとっくに始まっているんですよ? 世界中に配信されているんですから、もっと頑張って盛り上げていただかないと!」


 おかしいじゃないか。世界中に配信されているのに、何で誰も救助に来てくれないのだ。警察が配信を規制しているのだろうか。それなら警官隊がこの場に駆けつけていないのはなぜだ、と菜々はわかりきった疑問を頭に浮かべてしまい、再び襲ってきた悲観的な気持ちをどうにか押し留めようと葛藤していた。こんなところで、まだ死にたくない。

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