第40話 なんか酩酊だって

 リグロルと文月で交互にハープを鳴らし、しばらく音楽を楽しんでいたが、やがて夜もふけた。リグロルに促され文月はベットに潜り込む。

 昨晩と同じようにリグロルは部屋の明かりを落として就寝の挨拶をすると退室した。

 暖炉にはまだ火が赤々と残っており文月はぼんやりとその灯りに瞳を向けていた。

 どれくらいの時間が経ってからか、文月はゆっくりと起き上がる。灯りを映し出すほどの艶やかな黒髪が両肩をするすると流れ落ちた。

 自分の膝の間に両手を置いて文月は暖炉の灯りを見つめる。黒い瞳に温かい灯りが揺れて踊る。

 リグロルが退室した時と比べて暖炉の火も半分くらいの大きさになっていた。

 暗くなりつつある室内のベットの上で美しい少女が灯りを見つめている。

 傍目からは絵画になりそうなシーンではあるが文月の内心は至って凡庸だった。


(どしよ、眠くない……)


 当たり前だが昼間にさんざっぱら寝たからである。


(退屈って人を殺すんだっけ?……、退屈ってこわーい)


 文月はベットの上から降りて暖炉に近寄る。暖炉の横に積み上がっている薪を一本抜き取り両手で持つと暖炉に放り込んだ。


「えいっ」


 最初の1本は遠慮しがちに足した文月だったが3本程放り込んだ後は調子に乗ってポンポンと放り込んだ。

 新しい薪が放り込まれた炎は一旦は小さくなったが徐々にその勢いを取り戻す。

 パチパチと音を立てて炎が大きくなり部屋の暗がりが少しだけ追いやられる。


「ふうー」


 明るさが増した暖炉の前に、文月は座り込む。

 そのままコロンと横になった。

 女性特有の滑らかな曲線が灯りに照らされ、その影が部屋の暗闇と繋がった。

 ごろんごろんと文月が暖炉の前で横転するとネグリジェがまくれ上がり下着が見えてしまう。


「おっと」


 誰が見ているわけでもないのに文月は顕になった足が隠れるようにネグリジェの裾を整えた。

 お行儀よく座っていたが、何を思ったのか文月は起き上がると窓際のカーテンを持ち上げて壁を指で突いてみる。

 次は部屋の扉にゆっくりともたれかかり、体重をぐいぐいっとかけてみた。しばらくその姿勢でいたが、今度は暖炉の横に移動すると壁を両手で押し始めた。その後も文月は室内を歩き回り、あちこちを指で突いたり手で押してみたりする。

 しばらく怪しげな行動をとっていたがやがて諦めたのか文月は立ち尽くした。


「んー?」


 眉間に人差し指をあてて可愛く唸る。

 そして内緒話をするようにそっと声を出した。


「……シィトゥジィ、シィトゥジィ、いますか?」

「はいはい、もちろん控えておりますとも」

「わぁ!」

「まあまあフミツキ様、お呼びして驚かれて賑やかでございますね」


 真後ろから現れたシィトゥジィに文月は飛び上がって驚いたが、驚かせた本人はニコニコしていた。


「び、びっくりしたー、あ、あの、えっと、その、ごめんね、こんな時間に呼び出しちゃって」

「いいえとんでもない、なにかお申しつけですか?」

「んーと、んーと、明かりをちょっとだけつけてくれる?」

「はいはい、かしこまりましたとも」


 一旦、柱の影に飛び込んだシィトゥジィはすぐに梯子を持ってベットの影から飛び出してきた。

 支えもなく立てた梯子をスルスルと登り明かりを一つだけ付けて振り返る。


「フミツキ様フミツキ様、もう少し明るくいたしましょうか?」

「ううん、それくらいで良いよ」

「はいはい、かしこまりました」


 天井から下がっているシャンデリアには灯りが一つだけポツンとともっている。それでも暗闇に慣れた目で部屋を見渡すには十分な明るさだった。


「ねえねえシィトゥジィ」

「はいはいなんでございましょう」

「妖精の道って僕にも入れる?」

「まあまあフミツキ様、妖精の道にご興味をもたれるなんて」

「あ、よろしくなかった?」

「いえいえ、そのその、なんと申しましょうか妖精の道にご興味を持たれる方など久しくお目にかからなかったものですから、なんと言いましょうか、そう、そうです、このシィトゥジィは驚いたんでございますよ」


 シィトゥジィはニコニコしながらも目を大きくしひょこひょこ揺れた。


「ほー」


 変わった驚き方もあるもんだと内心思いながらも文月はシィトゥジィと一緒に揺れてみた。


「妖精の道なんて御大層なお名前で呼ばれておりますがそれ程驚かれる事ではないですよ」

「あ、そうなの?」

「はい、私たちはいつも使っておりますから」

「ま、そだね」

「はいはい、ではフミツキ様どちらに向かわれますか?」

「え?あっ、なるほど、行き先が必要なんだね」

「もちろんですとも。どこにも行きたくないのに道を歩く者はおりませんから」

「確かに。んじゃねー……、んー……」


 タルドレムの部屋に行こうかとも思ったが、なにせ昨日の失敗がある。

 いきなり部屋を訪れても怒りそうにない人物と言えば……。


「リグロル、かな」


 文月が言うとシィトゥジィは片手を差し出す。


「さあさあフミツキ様、私とお手をつなぎましょう、手を繋いで参りましょう」

「分かった、よろしくね」

「もちろんですとも、では行きましょう」

「わっと」


 意外に力強く文月は手を引かれてカーテンと壁の間に引き摺り込まれる。

 揺れたカーテンがふわりと元通りになる時には、お姫様の部屋には誰もいなかった。


 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇


「わっとっと」


 勢いのついた文月は暗闇の中でたたらを踏んでしまう。しかし、足の裏が伝えてくる感触は何とも頼りないものだった。柔らかいわけではないのだが、何とも心許ない。次の瞬間、消えても不思議ではない感触を受ける。

 暗闇の中、周囲に目をやれば薄ぼんやりとした植物とも鉱物とも判別し難い何かが弱々しく光り消えてゆく。消えた何かは別の暗がりに再び浮き上がる。そんな明かりが足元から遥か彼方にまで渡り出現と消失を繰り返していた。

 見上げれば夜空だ。ところが瞬きすると、頭スレスレの高さの天井のようにも感じる。

 周囲にあるもの全てが存在があやふやで頼りなかった。

 ここは全てが静かに歪んでいた。


「ふぁーぁ、目は覚めてるのにあくびが出るよ」

「そうですねその通りですね、ここでは全て夢心地でこざいますね」

「眠たくなかったのにここなら眠れそうな気がする」

「あらあらフミツキ様はお眠りになられたいのですか?」

「んー、そうだったのかな?えーっと、そうだ、リグロルのところに行くよ」

「そうですねそうですね、そうでしたね」


 シィトゥジィに手を引かれるまま歩いたのは3歩程か、それとも3時間程か。あやふやな感覚で次の1歩を踏み出した時には上半身が裸のリグロルがいた。

 着替える途中だったらしく手には寝衣を持っていた。

 文月は動揺する事なくその豊かな胸元に抱きつく。


「えへへーリグロルだー」

「フミツキ様?!妖精の道をお使いになったのですか?!」

「うん、何か不思議ーな、んーと、だったー」

「シィトゥジィ、下がりなさい」

「はいはいそれでは」

「フミツキ様、お顔をお見せ下さい」

「んー?」


 ぼんやりした口調で文月が顔を上げるとリグロルは真剣な表情で目を合わせてきた。


「んー?」

「……」


 文月は未だぼんやりとしたまま小首を傾げた。


「フミツキ様、狭苦しい場所ですがこちらで横になられて下さい」

「んー、わかったー」


 リグロルは自分のベットに文月を押し込み再びメイド服を素早く着込んだ。


「フミツキ様、そのままお休みになって下さい。誰かにお名前を呼ばれても返事は不要です。お眠り続けて下さい」

「うん……」


 夢現の返事を最後に文月の呼吸が寝息になる。それを確認したリグロルは静かに廊下に出ると駆け出した。

 リグロルは深夜の廊下を疾走した。

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