第22話 なんか臀部だって

 文月はお湯をすくって自分の肩にかける。肩に置いた手をそのまま指先まで撫でるように滑らした。

 両手を前に伸ばしてみる。まだ見慣れていない自分の手があった。

 昨日から比べればそれなりに体の自由も利くようになってきた。ぐっぱ、ぐっぱとお湯の上で開いたり閉じたりする。

 湯煙に包まれながら、もう一度自分の肩に手を置いた。右手を左肩に、左手を右肩におく。自分を抱きしめるような格好になると腕の下で胸が柔らかく押し返す。

 ため息をつきつつも腕を解き自分の胸をあらためて見てみた。

 巨乳というカテゴリには入らないがきちんと膨らんでおり両手で覆えば持ち上げることもできる。形も整っているし自分のものだと思えばいやらしいとも思えない。むしろ綺麗な部類に入るのではなかろうか。乳首もほんのり朱色でつつましく尖っている。

 とぷん、と肩までお湯に浸かる。


「浮くんだ……」


 なんと胸はお湯に浮くという事実を文月は知った。

 ちらりとリグロルの胸に目をやると前に突き出るように浮いていた。

 …………。

 敗北感?そんなバカな。

 文月がリグロルの胸を見て複雑な思いを抱いていると新たな入浴客が湯船に入ってきた。

 その女性はちらりと文月の体を一瞥すると口惜しそうな表情を一瞬浮かべて離れた場所でお湯に体を沈めた。

 浴場内を見回すと寝台のようなものがならんでおり寝そべっている人に着衣の人が何かしら施していた。あちらでは全身マッサージの寝台が、そちらでは全身にネトリとした液体をこすり付けている。寝椅子に座っている女性には爪の手入れをする人がついていた。

 裸の女性に対し着衣の女性が一人ついてボディケアをしている。

 温泉とエステが一緒になったような光景だ。


「ねぇねぇリグロル、なんでみんなあんなに……そのなんて言うか……真剣なの?」


 施術を受けている女性たちはリラックスしているというよりも気合を入れているといったオーラを全員が纏っている。

 場内はまるでこれから試合に出場する選手達の控え室だ。


「あらフミツキ様、これから戦いに赴くんですもの、真剣にもなりますよ」

「え?戦うの?」

「そうですよ」

「大変だねー」

「あ……フミツキ様、戦いというのは比喩でして……」


 お湯を掻き分けてリグロルが文月の隣に来る。なにやら大きな声では言えない事らしい。

 リグロルは文月の耳にかかったしっとりとした黒髪を失礼しますと言ってかきあげる。

 ごにょにょのにょー。

 文月の耳元でリグロルがささやく。なぜ彼女たちが真剣か。

 理由を聞いてゆく文月の顔が徐々に赤くなり耳まで染まる。


「つまりこれから愛しい人に抱かれる前の最後の仕上げを彼女たちはしているのです。殿方に召し上がっていただく時に最高の状態にしたいんですよ。女心ですね」

「ふわぁふわぁ」


 真っ赤になった文月は浴場内の女性をちらちらと見てしまう。

 あの子もあの人も、あんな人も……これから……と、殿方と、いたすのだ!うっわぁー!!


「ご安心ください。フミツキ様のお体はこのリグロルが全身全霊を持って最高の状態に仕上げてご覧に入れます」

「ご安心できない!」

「しかしフミツキ様のお体はもともとがお綺麗ですからここにきてお手入れをしなおす必要はなさそうですね」

「うー、褒められてるんだろうけど喜べないっ」

「先ほどもフミツキ様の整ったお体を羨ましそうにみている女性が何人もいましたから」


 なるほど、先ほど文月の体を見て悔しそうな表情をした女性は文月の引き締まったウエストやすらりとした四肢を見てしまったらしい。この体は同性から見てもどうやらかなりハイレベルなようだ。


「困ったな……」

「お困りの事があればおっしゃってください。何とかいたします」

「あ、いや、困ったと言っても、その、まぁ困ってないんだけど。いや困ってる、の、かな?」


 文月は別に男といたすつもりは無い。にもかかわらず女性からも高評価なこの体は宝の持ち腐れ感がある。

 周囲で真剣になって体に磨きをかけている女性達に何となく申し訳ないような気になってしまう文月であった。


「お城のお湯のように寝台はございませんが、そろそろお体を洗いましょうか?」

「うん、そうだね、結構汗かいたから」

「ではこちらへどうぞ」


 浴場内にさらに入り口があり受付譲に頭を下げられる。

 一角を堂々と仕切っているその洗い場は人影も少なく室内の装飾品も先ほどの浴場よりもかなり豪華になっていた。


「こちらは特別な方達のみが使える場所です。本来であればフミツキ様の貸切に出来るのですが、そうすると返って恐縮されるだろうとタルドレム様のご提案で他のお客様も何名様か使っております」

「あ、うん、あんまり特別扱いされないほうが気は楽かな」


 文月のほっとした顔を見てリグロルは微笑む。

 流石はタルドレム様、フミツキ様のお心をちゃんと分かっておられる。


「フミツキ様、どうぞこちらへ」

「うん」


 リグロルに促されて文月は風呂椅子に座る。


「では失礼いたします」

「うん、よろしく」

「畏まりました。まずはお髪から流しますね。すこし目を閉じておられたほうがいいかもしれません」

「わかった」


 文月がきゅっと目を閉じるとお湯が優しく頭からかけられる。かけられたお湯は文月の髪を滑り落ちながら黒く美しい曲線を描き出す。

 ちょっとひんやりとした液体を手に取ったリグロルが文月の頭を押さえる様にして髪になじませてゆく。指の腹を使い文月の頭皮をマッサージするようにゆっくりと刺激するリグロル。

 最初は目をきつく閉じていた文月だがリグロルに洗われているうちにとろんとした表情になる。丁寧に文月の髪を洗い、安心して洗われている2人の姿は髪の色こそ違え、まるで姉妹のよう。

 文月がついに舟をこぎそうになりかけた時にリグロルが声をかけてきた。


「フミツキ様、かゆいところ等はございませんか?」

「うん……ないけど……眠くなってきたよ」

「あらそれは大変です」


 あまり大変そうには聞こえない口調でリグロルが答えて文月の髪をさらさらとお湯で流した。

 何度か髪をお湯でゆすいだリグロルはうとうとし始めた文月の手を取る。


「フミツキ様、立ち上がれますか?お体を一旦暖めるためにお湯に入りましょう」

「うー、ねむ……リグロルに髪を触られるとなんで眠くなるんだろう?」

「髪をとかれると心地よいですからね。だけどお休みになるのはもうちょっとご辛抱下さい」


 文月はとろんとした瞳でリグロルを見上げる。お風呂の湯気で上気した頬と潤んだような瞳にリグロルは文月の頬をつつきたくなってしまう。

 両手を支えられて文月はゆっくりと立ち上がる。閉じかけだった瞳が二三度瞬きし眠気を追い払う。ぱちっとひらいた綺麗な深い瞳がリグロルを捕らえた。

 二人はそろって湯船にゆっくりと浸かった。

 お湯がじんと体を温めて自分達が意外に冷えていたんだと思った。

 ズズン……。

 エンバラスの塔が揺れた。湯面に波紋が広がる。

 ズズン。もう一度揺れる。

 リグロルの行動は素早かった。


「フミツキ様、こちらへ」

「なに?今の何?」

「分かりません。しかし非常事態であることはほぼ間違いないと思います。このエンバラスの塔が、オリオニズ大陸が揺れるなどということは通常ではありえませんから」

「わ、分かった」


 リグロルは文月の手を取り、入ってきた出入り口とは別の場所へ誘導する。

 周囲では困惑から覚め始めた女性達がようやく小さな悲鳴をあげながらも動き出した。

 両開きの扉を叩き開けるようにしてリグロルは文月を引き入れる。

 さらにもう一度、塔が揺れた。


「下着を着けられる時間がなさそうです。これをお体に巻きつけますよ」


 バスタオルの様な長方形の布をリグロルは文月の体に巻きつけた。胸の上できゅっと縛るとリグロル自身も同じようにタオルを自分に巻きつけた。


「服は?」

「こちらに持ってきております」


 かごの中には文月が着ていた街娘の服が綺麗に畳んであった。文月はスカートのポケットを探るとタルドレムに買ってもらったおもちゃを取り出した。


「よかったぁ。あった」

「まぁ、それは……!」

「ん?タルドレムに買ってもらったんだ」

「それはそれはフミツキ様、素晴ら」


 ズドンと轟音が響き、唐突に壁が爆破されたように崩れ落ちた。破片と土ぼこりが舞い上がるが湿気のせいですぐに視界は晴れる。

 グギャギャギャギャ!!

 低い金属音のような鳴き声を上げながら何かしらの生き物が崩れた穴から顔を覗かせた。


「うわぁあああっ!」

「フミツキ様、落ち着いてください。ワイバーンです」

「ちょっ、ちょっ……大きいよ……」

「そうですね。大型種です」


 ワイバーンは内部を見回し、文月で視線を止めた。

 ギャギャギャギャギャ!

 内部に侵入しようとワイバーンは体をくねらせて壁を崩し穴を大きくしようとする。

 リグロルは自分の服の下においてあった小剣を抜いて構えた。


「フミツキ様、壁際までお下がりください」


 文月の返事を待たずリグロルは先手必勝とばかりに進入中のワイバーンに飛び掛った。

 タオルを巻いただけのリグロルが小剣を両手で持ち思い切り振り上げる。

 情け容赦のない一撃がワイバーンの鼻先に振り下ろされ深い切り傷をつけた。

 ギュギィイイィアアァア!!!

 ワイバーンはその長い首を天井まで振り上げる。そしてリグロルに向かってその頭部を振り下ろした。

 床がめくれ上がる程の衝撃をリグロルは危なげなくかわす。ちらりと壁際の文月の安全を確認しながらワイバーンあごの後ろに小剣を突き立てた。

 さらなる裂傷にワイバーンは悲鳴をあげながら首を横に振った。リグロルは素早く飛びずさりその軌道から外れる。

 文月を背中側にしてリグロルは小剣を構えなおす。


「フミツキ様、申しわけございません。この剣ではこの大きさのワイバーンに対抗するには少々……、いえ、かなり難しいです。お力をお貸し願えませんか?」

「え?ほんとに?うぇっ?どうすればいいの?」

「タルドレム様の矢に施したように、この小剣にっ」


 ワイバーンが会話の終わるのを待ってくれるはずもなく、再び口を開けて襲い掛かってきた。

 リグロルが文月を抱きしめて横に飛ぶ。今まで二人がいたところに重量の首が叩きつけられた。

 破壊音と同時に衝撃で床にひびが走る。

 破片が飛び散るなか、二人は床を転がった。

 カラカランと金属が転がるような音が響く。

 リグロルは素早く立ち上がる。パサリとリグロルのタオルが床に落ちた。

 まっぱ。

 全く構わずリグロルは文月の両手を取り立ち上がらせる。

 再びワイバーンが首を持ち上げて振り下ろしてきた。

 裸のリグロルは同じように文月を抱きしめて横に飛んだ。

 自分の豊満な胸に文月の頭を抱え込んで転がる。

 やわっいたっいい匂い!息できない!

 リグロルはすぐに立ち上がり文月も立ち上がらせる。そして文月の両肩を壁に押し付けた。


「フミツキ様、申し訳ありません。私が時間を稼ぎますのでお一人でお逃げください」

「えっ?ちょっと?!」


 文月の返事を待たずリグロルはワイバーンの鼻先に向かって駆け出した。


「かぁあああああああっ!」


 鼻先で立ち止まり両手を広げて奇声を発しリグロルはワイバーンを威嚇した。

 裸のリグロルは短剣を持っていなかった。

 さっき僕を抱えて転がったときに落としたんだ!

 ワイバーンが口を開けて目の前のリグロルに襲い掛かった。


「やだぁ!リグロル!」

「お逃げください!」


 振り返らずリグロルは絶叫する。

 寸でのところでリグロルはワイバーンの口をかわす。

 そして綺麗な脚で見事な蹴りをワイバーンの目に放った。

 急所に蹴りが当たりワイバーンは悲鳴をあげながら一旦下がる。


「リグロル!やだよぉ!」

「お静かに!お早く!」


 リグロルは文月よりも大声を上げてワイバーンの注意を自分にひきつけようとする。

 ワイバーンの頭がゆっくり遠ざかった。

 あきらめたの?!

 文月は一瞬そう思ったがすぐに違うことに気がつく。

 とぐろ。

 蛇の臨戦態勢だ。

 ワイバーンはゆっくりとトグロを巻きだしたのだ。

 長い首をバネ状態にして、獲物を丸呑みする為の予備動作。


「フミツキ様……、どうかお逃げください」


 リグロルは両腕を大きく広げたまま、文月に言い聞かせるように静かに言った。


「う、う、ぁ……」


 平和な国で生まれ育った文月にとって魔物に襲われて死ぬなんて想像の範疇外もいいとこだ。

 しかも自分の知っている人が目の前で喰われようとしている光景なんて思考停止するには十分すぎる刺激だった。


「フミツキ様……お願いです。どうか……どうか、おみ足を動かして下さい」


 リグロルの決死の言葉が終わると同時にワイバーンが無音でリグロルに向かって襲い掛かってきた。


「いやぁあああああ!!!」


 文月が絶叫した。

 ザスッ!

 静寂……。


「フミツキ、大丈夫か?」

「あ……、あ……」


 爆発的な踏み込みで脱衣所に踏み込んできた人物。

 緑から青にグラデーションしている髪が揺れる。

 タルドレム。

 腰にタオルだけ巻いたタルドレムがワイバーンの首を剣の一振りで切り落としカチンと納刀した。

 ズン……。

 ワイバーンの首がリグロルの鼻先で落ちた。

 ストン、と文月の腰が抜ける。


「あ……、あ……」


 衝撃的な経験の脱出感と安堵感が文月の内部から湧き上がる。

 あ、来てくれたんだ。リグロルは生きてるんだ。僕は生きてるんだ。タルドレムは生きてるんだ。みんな生きてるんだ。みんな死ななくていいんだ。生きてるんだ。大丈夫なんだ。大丈夫なんだ。

 結果、へたり込んだ文月の股の間からしみが広がり始めた。


「タルドレム様、女湯でございます。どうぞお控えください」


 助けてくれたお礼も言わず、素っ裸のリグロルが素早く駆け寄り文月の粗相を自分の体で隠し文月を抱きしめる。


「どうぞお目を逸らして下さい」

「ん?あぁっんっ、そうだな、すまん」


 タルドレムはくるりと文月に背中を向ける。

 むき出しになった背中は贅肉など一切無くメキリと音がしそうなほど引き締まっていた。

 そんな背中を見て、うわー、すごい筋肉だなぁ、と文月はぼんやりと思考する。

 リグロルが自分の裸体を隠そうともせず最優先で文月の粗相を落ちていたタオルで拭く。


「おっと」


 パラリとタルドレムのタオルが落ちた。

 タルドレムは咄嗟に押さえたが片手で剣を持っていたためタオルは膝まで落ちてしまった。

 引き締まったタルドレムのお尻。


「きゃぁー!」


 絹を裂くような乙女の悲鳴が文月の口から上がったが本人は無自覚だった。

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