第5章 土曜日・営業時間外(またのお越しをお待ちしております)

◇1◇ その腕をとって

 何だかんだとこんな時間になってしまった。


 完全に『既読スルー』状態で放置してしまったメッセージアプリの画面を睨みつけてため息をつく。時刻は19時。スミスミシンの閉店時間だ。


「どうしよう、さすがに然太郎も怒ってるんじゃ」


 いまさら『いまから行くね』と返して大丈夫なのか。

 かといって、いきなり訪ねても迷惑かもしれない。一応、会うつもりでここの駅で降りたわけだけれども、何か一言くらいはあった方が良いだろう。電車の中でも考える時間なんていくらでもあったはずなのに、文章を作っては消し、作っては消しとしているうちに着いてしまったのである。


「でも、何も送らないよりは……」


 そう思い、『いまから向かう』と打ち込む。でもさすがに素っ気なさすぎるから、『いまから向かう』にしようかな、とか、『実はもう駅に着いてるんだ』とか、そういう情報もいるかなとか、またもうだうだ考えつつ。


 よし、『いま駅に着いた。いまから行くね』で行こう。謝るのは会ってからで良いじゃないか。送信だ。あとはもう何も考えるな。ぐだぐだ考えてる時間がもったいない。


 送信し、そう思って歩き始めた直後。


「おっす、矢作やはぎちゃん」


 と後ろから声をかけられた。

 この馴れ馴れしい感じ。豊橋さんだ。げぇ、何でいるのよ。いつも車通勤じゃん!!


「いやぁ、偶然だなぁ」

「何でここにいるんですか」

「明日休みだからさ、ちょっと飲みに行こうかと思って」

「ああ、そうですか。――じゃ」


 こんな顔だけ男にかまってらんないのよ、こっちは。一刻も早く然太郎に会って謝らないと――


「……何ですか」


 豊橋さんが私の二の腕をぐい、と掴んでいる。


「だからさ、飲みに行こうって思ったわけよ」

「お好きにどうぞ」

「矢作ちゃんとだよ」

「結構です」

「良いじゃん、行こうって」

「先約があるんです!」


 ぎぃぃ、と思いっきり睨みつけてやる。どうだ、「ちょっとマジで怨念込めるのやめて」「呪い殺されそう」と級友達に揶揄われた私の本気の『睨み』は。


 けれど、ひるまない。このイケメンひるまない。こんなものどこ吹く風、と涼しい顔してやがる。それがまたむかつく。


「まぁまぁそんな顔しないでさ。そうだ、だったら、その『お友達』も誘ってさ」


 ああん? お友達だと? この男、私なんかに『恋人』なんていないと思ってやがるな? っじょーだんじゃない! 私にだってねぇ、彼氏のひとりやふたり……って、然太郎が初彼氏だから、ふたりもなんているわけもないんだけど、まぁとにかくいるんだから、彼氏!


「友達じゃないです、かっ、彼氏とデートなんです!!」


 ふ、ふふ、言った。言ってやったわ。

 そうよ、彼氏なのよ、然太郎は。どうだ、参ったか。


「なぁんだ、彼氏か」


 そうそう、彼氏なのよ。

 だから豊橋さんなんてお呼びじゃないのよ。オーケー?


「だから、手を放してください」

「やだね」

「な! 何でですか!!」

「絶対俺の方が良い男じゃん?」

「はぁ?」

「いや、よくある話なのよ、これも」

「何が!」

「彼氏は彼氏でまぁ良いけど、でも『怜雄れお君の方が恰好良いし~、まぁ、一回くらいなら~』みたいな?」


 何が一回だ、何を一回だ。

 ていうか、豊橋さん下の名前『レオ』っていうんだ、初めて知ったわ。


「一回も二回もありません! 本当に放してください。もうズバリ言っちゃいますけど、豊橋さんより、私の彼の方が数段恰好良いんです!」

「またまたぁ。それね恋は盲目ってやつよ。絶対俺の方がイケてるから」


 何でこいつこんなにめげないのよ! 何なの! 何その自信!!

 いやもうマジで然太郎の方が絶対恰好良いから!! 舐めんなよ、ウチの然太郎を!


「盲目がどうとかそういうんじゃなしに、もうほんとに恰好良いんですって!」

「いやいや矢作ちゃんね、そこまで意地にならなくたって良いじゃん。わかったって、ね? ハイハイ、恰好良いのねぇ、良かったねぇ」

「ああもう何かむかつく! 絶対馬鹿にしてますね? してますよね?」


 畜生! なぜ伝わらない!!

 あれか、私がこの通りの地味女だからか? そんなイケメン捕まえられるわけないとか思ってんだろ! くっそぉ!!


 ああいっそここに然太郎本人がいてくれたら……!


「――僕の恋人に触らないでください!」


 そう、きっとそんな感じのことを言うだろう。俺の女に何してくれとんじゃオラァとか、そんなキャラじゃないからな、然太郎は。

 何かもう疲れてんのかな、幻覚が見えるわ、然太郎の。白いシャツにチノパン、抹茶色のエプロン。ああこれは仕事モードの然太郎だ。その然太郎が、私の腕を掴んでいる。わお、この幻覚、実体まであんのかよ。やけにリアル。シャツが汗で張り付いてるとことかほんとリアル。


 ――いや、実体があるってことは本人だわ。

 ええ、ちょっと然太郎、何でコートも何も着てないのよ。っつうか、迎えに来てくれたんだ。いや、早すぎない? まぁまぁ近いっちゃあ近いけど、それにしても早すぎない? 走ってきた? ああ、だから汗かいてるのね、成る程。


「え? 君? 君が矢作ちゃんの彼氏?」

「彼氏です。悪いですか」

「いや、悪くはないけど……。はぁ、そう、成る程ねぇ」


 一体何が成る程なのか。

 もしかしてアレかな、「外国人だからこういう『THE日本人』みたいなのが良いのか」みたいなやつかしら。まぁ、確かに私も「マリーは外国に行ったら絶対モテモテだよ」って留学経験のある友人に言われたことがあったっけ。畜生!


「マリーさん、行こう」

「え、う、うん」


 私の腕を掴んだまま、然太郎が歩き出す。それがいつもより速い。こちらを見もせずにガシガシと、大股で。


「ちょ、ちょっと、然太郎、歩きづらい」


 おかしな体勢だし、いつもより早いしで、正直かなり歩きづらい。あと、結構人目も気になる。これじゃまるで悪いことをされて母親に連行されている子どもである。



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