◇2◇ 金曜日のお客様

 癖とは恐ろしいもので、休憩中にちょっとつまむだけのつもりで買ったはずなのに、なぜか私のバッグの中には食べきれなかった『電氣カステーラ』が入っている。つまり、いつも通り然太郎の分も買ってしまった、というわけだ。


 この『電氣カステーラ』だが、明治時代に流行した『電氣ブラン』が、『電氣』というものがその当時はとてもモダンで新鮮だったからという理由でつけられたのを真似ただけらしく、これといって『電氣』部分に意味はない。まぁオーブンで焼き上げている以上、電気と全くかかわりがないわけではないし、そもそもこれが生まれたのは平成なんだけども。

 ちなみにその隣には、水墨画のようなタッチで描かれた蒸気機関車の和紙に包まれた『蒸気しぐれ』なんていう商品もあった。これはまぁ、蒸して作る菓子だから良いのかな? とにかくまぁ、その店はそういう遊び心のあるネーミングのお菓子を取り扱っているのである。


 まさかこれをすべて一人で食べるのもなぁ、と思ったら、自然と浮かぶのはあの大型犬みたいな然太郎である。然太郎が一番好きなのは和菓子だが、洋菓子もイケる口――というか、甘いもの全般に目がないのだ。

 別に木曜にしか行っちゃいけないという決まりもないし、これを置いたらさっさと帰れば迷惑にもならないだろう。


 そういえば私は定休日以外のスミスミシンを知らない。

 今回の手芸教室ではね、とか、昨日お店でこんなことがあってね、という話を聞くだけだ。然太郎の話ではそう大して混んでいるわけでもないらしい。まぁ、手芸店なんて、そんなものだろう。


 ……って、もちろん馬鹿にしてるわけじゃない。ただ単純に、例えばスーパーやコンビニのように、誰でも利用する店ではない、という意味だ。手芸の専門店なわけだから、そりゃあ手芸に興味があるとか、それを趣味や仕事にしている人くらいしか来ないだろう。


 だからちょっと仕事モードの然太郎を覗けたらな、くらいの下心もプラスして、私は金曜のスミスミシンへと向かった。



「あ、お客さんいるじゃん」


 といっても、正面の窓から見えたお客さんはひとりだけだった。

 すらりと背の高い女性で、かなり明るめのストレートヘアに、白っぽいロングコートを着ている。


 後姿だけでもわかる。

 これは美人だ。間違いない。美人さんだ。


 彼女はカウンターから動かず、その向かいに立っている然太郎もにこやかな笑みを浮かべている。然太郎の場合、素の顔がほぼ笑顔みたいなものなので、たぶん営業用も何もないんだろう。私といる時と何ら変わらないような顔で接客している。それがちょっとちくりとする。あの笑顔は私だけのものではなかったのだ、と気付いてしまったからだ。


 然太郎は皆に優しい。

 いつも「僕がモテたのは、この顔だからだよ」なんて言うけどそれはたぶん違う。そんな完璧な顔面で、スタイルも良くて、それでいて性格まで良いからだ。いまの職場にも前の職場にも、顔だけが良い先輩はいる。でも本当に顔だけ。噂ではお得意さんにも手を出したりしてるとか、それで仕事をもらってるとか。まさかと思うけど。


 あの女の人、何してるんだろう。何か……書いてる? 何だろう、手芸教室の申し込み、とか? まさか、「これ、私の連絡先です」とかじゃないよね? いや、これが結構あるのだそうだ。その度にやんわり断るのが大変らしい。もちろん、そういう人はそれっきりお客として来ることはない。


 どうしよう、いま入っていったら迷惑なんだろうか。でも、さすがにここにずっといるのは寒いし。近くに喫茶店とかもないんだよなぁ。


 そう思いながらあまりじろじろ見るのもと思い、窓に背を向けて立つ。雪は結局大して積もることもなかったが、吐く息は白い。結構冷える。どうしよう、そろそろトイレにも行きたいかも。


 と思っているうちに、カラン、というドアベルの音が聞こえた。そちらを見ると、先ほどの(推定)美人である。うん、横顔もやっぱり美人だ。後ろから見ても横から見ても美人だったならば、そりゃあ前から見たって美人に決まってる。


 私が然太郎だったら、こんなもっさい地味女より、ああいうすらっとした美人の方が良いに決まってる。そうだ、もしかしたらさっきの笑顔だって他のお客さんへのとは違うのかもしれない。


 うがあああああ、やっぱり私では然太郎とは釣り合わないいいいいい!


 頭を抱え、うにゃうにゃと身をよじらせる。さすがにこんな動きをすればちょっとは身体も温まって来るものだ。ただ、恥ずかしいだけで。


 ――と。


 再び、カラン、とドアベルの音。

 またお客さん? ヤバい、おかしなところ見られた! と振り向くと――、


「マリーさん、いらっしゃい」

「う、うおお然太郎……?」

「どうしたの? こんなところで。寒いでしょ、ほら、入って入って」

「や、でも。今日はお休みの日じゃないし……」

「別にお休みの日しか来ちゃいけないってこともないでしょ? ほらほら風邪引いちゃうから」

「う、うん……」


 毎週来ているはずなのに、やっぱり営業中はちょっと雰囲気が違う。BGMもいつもよりボリュームを絞っているし、休みの日には埃よけのカバーがかけられている中央テーブルには、いままで見たこともない手芸用品がきちんと並べられている。性格が出るよなぁ、こういうのって。


「お茶、どうぞ」

「え?」

「え、じゃないよ。寒かったでしょ」

「いや、でも、だから今日は定休日じゃ……」

「定休日じゃなくてもお茶くらい出すよ。世間話しに来る常連のおばあちゃんもいるからね、お湯も常時用意してるんだ。ほら、見て。そのおばあちゃんが持ってきてくれるんだよ、色んなお茶のティーバッグ」

「うわぁ、ほんとだ」

「いつもの癖で緑茶にしちゃったけど、もしこっちのハーブティーとか飲みたかったら言ってね」

「え、ああ、うん」


 ええと、何で私は営業中の手芸店でお茶をごちそうになってるんだっけ。

 

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