第3章 金曜日(刺繍糸まとめ買いお得デー)

◆1◆ 金曜日のお客様

「すみません、あの、ここでバッグとか作ってもらえると聞いたんですが……」


 おずおずと店に入ってきたのは、一度も見たことのない顔だった。最近越してきたのだろうか。


「はい、承りますよ。こちら、カタログです。ここに載っていないものでもご相談に乗ります」


 カウンターに置いたカタログの表紙をぺらりとめくる。このカタログは、僕がいままでに作ったものの写真に、使用した布の寸法や値段などを記したものである。

 以前、僕が作ったバッグやポーチ買ったお客さんが、それをフリマサイトに「自分の作品」として出品するという事件があったので、そういったトラブルを避けるため、僕が作ったという証拠を残すという意味で写真を撮ったのがきっかけで誕生したカタログだ。ちなみに、布の持ち込みもOKで、その場合は技術料のみの価格で請け負うことになっている。

 本当は店のロゴが入ったタグでもつければ良いんだろうけど、僕には絵心というものが全くないので、ただの『スミスミシン』という明朝体かゴシック体の文字になってしまうだろう。そろそろちゃんとしたデザイナーさんに依頼しようかな、と思っているところだ。


「ではこの、園児の通園ショルダーと、お昼寝布団バッグ、上履き入れと、それから絵本バッグをお願いします」

「かしこまりました。それではこちらの入園セットがお勧めですね」

「バラ売りとは何が違うんでしょう」

「セットはすべて同じ布で作りますので、なるべく布を無駄にしないようにカット出来るんです。なので、少しお安くなります。バラですと、布によって価格もまちまちですし、布をカットする際、こうやって、直線でずばっと切りますので、端切れが出てしまうんです。そうなりますともう売り物になりませんので、その端切れ分もお買い上げになります」

「成る程……。では、このセットでお願い出来ますか」

「かしこまりました。布はあちらの棚からお好きなものをお選びください。小さなお子様でしたらキルティングが軽くてお勧めですが、もしそのまま小学校でもお使いになるということであれば、しっかりしたキャンバス地でも良いかもしれません」


 そう言うと、その女性はひとしきり悩んでから、うんと小さな花が集まって大きなサークル模様を作っているキャンバス地を選んだ。直径10cmほどのそのサークルが紫陽花あじさいのようにも、花火のようにも見える可愛らしい布である。

 カラー展開は赤、青、黄で、それぞれのサークルは濃い色と薄い色の2色で構成されている。彼女が選んだのは、青系のものだった。


「すみません、それではこちらの布で」

「かしこまりました。出来上がりですけども、週明けになりますがよろしいですか?」

「大丈夫です。お願いします」

「では、こちらにお名前と連絡先をお願いします。出来上がりましたらご連絡致しますので」


 注文用紙とペンを渡すと、彼女はなかなか独特な字でそれをさらさらと書き上げた。そして、ふとペンを止め、顔を上げる。


「あの、この『児童名』というのは……?」

「ああ、それはですね、名前の刺繍も入れてほしい、という方がいらっしゃるものですから。もし必要であれば。一ヶ所につきプラス50円ですけど」

「刺繍というのは、どのように……、ああ、成る程、こういう感じなんですね」


 ちょうど開いていたページに刺繍のサンプルも載っていたことに気が付いたらしく、僕の答えを聞く前にうんうんと頷いた。


「それじゃ、これもお願いします。名前、書いておきますので」

「かしこまりました。場所はこのサンプルと同じ位置でよろしいですか? それから糸の色ですとか」

「場所はこれと同じで良いです。色もお任せします。よほど奇抜なものでなければ」

「大丈夫です。この布でしたら、紺色か、青、水色になるでしょうから」


 そう言うと、『田中莉奈りな』という名のお客さんは安心したように笑って、再び「お願いします」と頭を下げて店を出て行った。


 

「いよいよこの時期が来たな」


 ぽつりとそう呟く。

 いまは2月。本格的に入園セットの注文が殺到するのは3月に入ってからではあるのだが、その時期が忙しいことを知っているお客さんなんかは早めに来てくれたりもする。けれども、その場合はどちらかというと、常連さんだったり、その常連さんのご友人だったりするので、第一声が「○○さんの紹介で~」になる。

 だからきっとあのお客さんはやっぱり最近引っ越してきたか、あるいはこの店の存在をずっと知らなかったか、なのだろう。僕としては、別に常連さんだろうが一見さんだろうが関係はない。ただ、頼まれたものをその通りに作るだけだ。だけれども、それがきっかけでこの店に通うようになってくれたら嬉しい。


 店に頼むということは、自宅にミシンがないか、手縫いに自信がないかだろう。それでも既製品ではなく、手作りにしたかったのだ。ということは、興味はある、ということである。そういう人のために、毎月第3水曜日(たまに変動するけど)に手芸教室を開いているのだ。

 

 本当はちまちま手芸用品を売るよりも、こうやってバッグやら小物やらを売った方がずっと利益が出る。けれども、手芸は、やっぱり誰かに作ってもらうより、自分で作った方が楽しいし、愛着も沸くものだ。

 

「さぁて、早速取り掛かるかな」


 と大きく伸びをしたところで気が付いた。

 正面の大きな窓の端っこの方で、こちらに背を向けて立っている人がいることに。立っているというか、何やらくねくねと……踊ってる?


 あれは――、


「マリーさん? あんなところで何で踊ってるんだろう」

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