帰郷

 ノーアは休暇を帰郷に使った。『解放軍』の指示だ。、故郷の家族に顔を見せに行くのは――もともと住んでいる連中を除いて――中央セントラルに暮らす労働者の普遍的な休暇の使い方だ。しかしノーアは気が進まなかった。夢の中で見たもの――アルの密告――が真実であるように思えてならなかったので、彼女らを見た時自分が何を口走るか分からなかったし、もっと直接的な理由いいわけとして彼は彼女らをあまり好ましく思っていなかった。

 小言ばかりの大小一対。

 ノーアは特別両親を愛しているという程でもなかったが、彼らは息子が集落のはずれの川辺で遊んでいても「うっかり深みに落ちないように気を付けなさい」と言うだけだった。両親が育児に関心のある素振りを見せた事はなかったが、彼にとってはその放任の方が有難かった。あるいは彼らは子供の性質を見抜いていて敢えてそのように振る舞ったのかもしれないとノーアは考えた。

「お前は悪夢を信じるのか?」口から零れた問いを拾う者は自分を含め誰もいない。

 朝食の時間はいつも通り――他の部署は休みではないらしい――ポーリアと言葉少なに済ませた。

「実家? 帰る訳ないじゃん。あたし家族と仲悪いし」彼女は休暇を次に作成する詩の構想に充てるそうだ。

 ノーアはわざとぐずぐず準備して部屋を出た。

「お帰りなさい」叔母が曖昧な笑みを浮かべて戸口に立っていた。

 叔母さんの家は相変わらず質素だ。しかし住人が一人だけになってしまった所為か何処か寂れた印象をノーアは覚えた。錯覚かもしれないが。

「アルは?」ヨーゼファ叔母さんが口を開くのを遮って彼は尋ねた。その表情が僅かに曇るのをノーアは見た。

「休みの日の日程が違うみたい。二日前に来たんだけれど」仕事だって、すぐ戻っちゃったのよ。ノーアにはという情報で十分だった。対面して、何を話すつもりだったのか。無論父と母の事であろう。お前がやったのかと訊いて、相手がそうだと言ったら、自分はどうしただろう。違う、そんな事知らないと言ったら?

「ちょっと出掛けて来る」椅子の背に掛けていた手を離した。後ろで叔母が何か言っていたがそれらはノーアの脳髄から締め出された。

 川も相変わらずそこに在った。腰を下ろすと手の下に小石があった。掴んで放り投げるとそれは小さな音を立てて沈んだ。

 彼はレアの事を思った。彼女は今どうしているのだろう。あの壮麗なる館にいるのか、あるいは――初めて時のように――ルフルと何処かへ外出しているのか。

 ノーアは彼女が一緒にこの川辺に座る光景を夢想した。ここはあまり人が来ないからいつも静かだ、まるで世界に誰もいなくなったみたいに。彼女と自分、二人きりの静かな世界、それはとても美しいものに思えた。

 その実現には今の世界を壊さねばならないというアイズベルクの言を思い出した。現状ではお前は彼女の奴隷にさえなれない、そう言ったのはアンドレアだ。纏まりのない意識が夢の中の言葉を引き出した。あれは恐ろしく悪辣。玻璃の翼の秘密。翼を持つ者は鳥の他には天族セレスティア達のみ。ノーアにも何となく分かるのはアンドレアは未だ手の内を全て見せてはいないという事だけだ。破壊――翼――そしてそれらが結び付いた瞬間、ある事に気付いた。

 レアはこの国の権力者の娘だ。体制が破壊されたら、

 アイズベルクら『解放軍』の人数や具体的な手段は知らされていないが、発火能力者パイロキネシスを欲しがるのは武力行使も辞さないという思想の現れではないのか。

 思わず勢いを付けて立ち上がるがどうしようもない。ここにそれを相談出来る人間はいない。それだけが真実ヴァールハイトだった。






「あなたが独り立ちしてから、雑誌ツァイトシュリフトの新しいのが出る度買ってあなたの名前を探してたのよ。一番新しいのに載ってた。とっても素敵な詩だったわ。やっぱりわたしの教育は間違ってなかったのよ」夕餉を前にせっせと手を動かしながら叔母さんが言う。ノーアの名前が雑誌に載ったのは今のところ一度だけ、それも合作とは名ばかりの先輩の詩に一、二行書き加えたものだ。編集長シェフの判断だった。ノーアは完成版のそれを読んだ事はなかった。

 ふと思う。自分の詩はほぼ天使レアへの思いをしたためたもの、先輩の詩も叶わぬ恋を想うもの。点と点が繋がった。叔母さんが不老の監督官へを抱いていないとどうして言えよう?

 そう考えれば彼女が独身なのにも辻褄が合う。国は同族間の結婚を禁止しない、むしろ結婚して子供をつくる事を奨励さえしている。男なら労働が言い訳ともなろうが、と事あるごとに唱える彼女ならむしろ夫と沢山の子をもうけねば不自然だ。ノーアは可笑しくなった。初めて彼女の思想の一端を理解出来た気がした。そうとも、叔母さん、はそこらのエルフアールヴが束になっても敵わない程魅力的だ。

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