絶望の作り方

めぐめぐ

絶望の作り方

注意)子どもが殺される場面があります。苦手な方はブラウザバックです。


 ◇◆◇



 俺の人生に意味などなかった。


 何かを生み出すこともなく、ただ消費していく毎日。

 誰かに求められることもなく、誰かに与えられることもなく、誰かに与えることもなく、自分の中で全てが完結していた世界。


 自分が持っているものを全て消費した時、全部終わらせようと思った。


 ――持っている側の人間を、道連れに。



 ◇◆◇



「助けて欲しいか?」


 人々が逃げ惑い悲鳴を上げる中、目の前の女に問う。

 どこか特別な場所に出かけていたのか、着飾り整えられた服装は今や見る影もない。

 女の赤く染まった目は、この左手に握られた髪の毛の主に向けられている。


 この女の子どもに。

 そして右手には、銃。


 女は俺の問いに対し、操られたかのように何度も首を縦に振った。


「お願いします……その子だけは……。私はどうなってもいい! その子だけは……助けて下さい‼ お願い……します……」


 目元は涙で流れた化粧で汚れ、黒い筋を作っている。

 黒い涙を流しながら、女は泥臭く、地面に這い蹲り、子どもの命乞いをしていた。


 これが母親なのか。

 自らの命と引き換えにしても、子を助ける存在がいるのか。


 最後の最後に、こんな茶番が見られてとても嬉しい。


 ――だが、何かが足りない。


「分かった。お前の命と引き換えに、子どもは助けてやる」


 そう言って、俺は子どもの髪から手を離した。バランスを崩し地面に倒れた子どもが、おぼつかない足取りで母親の元へ駆け寄る。母親の顔に、一瞬だけ安堵の表情が浮かんだ、気がした。


 子どもが倒れた。

 赤い何かが飛び散って、母親の顔を赤く染める。


 女は目を見開き、動かなくなった子どもをただ見つめる。

 どうしてと、問うこともなく。


 たった今、俺が子どもを撃ち殺したというのに。


 ああ、そうだ。

 絶望が足りなかった。


 たくさんの人間を殺し、最後に足りないと思ったのは絶望する顔。


 でもそれも満たされた。


「絶望を作るのは簡単だな。少しの希望をちらつかせ、それを叩き潰せば簡単に堕ちる」


 この母親のように。


 救われると思った命が奪われ、この女は何を思っているのだろう。

 叫ぶのかと思ったが、人は想像しなかった出来事に出会うと、何も反応が出来なくなるらしい。


 でももういい。満足した。


 絶望した母親に近づくと、決して外さない距離から発砲した。

 子どもの血、母親の血が混じり合い、一つの大きな流れとなって広がっていく。


 男の叫び声が響き渡った気がした。



 とある大通りで行われた、無差別殺人。

 その犯人として俺は捕まり、裁判にかけられたのち、死刑判決を受けた。



 ◇◆◇



 この国の司法は、犯罪者に寛大だ。

 

 安楽死が法的に認められ、それを専門とする病院が山のように増えた事で、数年前から死刑執行もこれらの病院に委託されることが決まった。


 死刑は、安楽死。

 苦しみを与えて死んで欲しいと願う遺族にとって、これ程の屈辱はないだろう。


 そうして俺も死刑執行のために、安楽死専門の病院に収監された。


 死刑囚である俺が、他の安楽死を望む患者と同じお客様待遇なわけがない。

 部屋は相部屋。先客は、一人の少年だった。


「先生、あいつも死刑囚か?」


 先生とは、この病院の医師。俺が死ぬまで、健康管理などの対応をする。

 先生は死刑囚の俺を恐れもせず、少し疲れた様子の目元に皺を寄せながら、穏やかに微笑みながら答えた。


「いや、彼は一般の人だよ。難病を抱えてるんだけど、ドナーが見つからなくてね。本人の希望で安楽死させる事になってるんだよ」


 病気を苦に安楽死。よくある話だと思った。

 線の細い少年の姿を目に映しながら、先生は声を潜めた。


「本当は一般の人間だから、別の病棟にいるべきなんだけど……。ここだけの話、親が支払いをせずに逃げてね。死刑囚と相部屋で良ければという条件で、ここにいさせているんだ」


 そんな情報、どうでもよかった。

 部屋に入ると、少年は弱々しい小さな声で「リョウタです」と名乗った。俺は名乗らなかった。


 リョウタは、黙って部屋の隅でずっと本を読んでいた。その本には、「中学二年生国語」と書かれている。時たま、ノートに何かを書き写し、それをずっと繰り返していた。


 何が楽しいのか分からず、俺は部屋のベッドに横になった。


 しばらくすると、食事が運ばれてきた。

 ここは死刑囚がいる部屋。配膳係も中には入らず、部屋のドアの下にある小さなドアから、トレイに乗った食事を差し込んだ。


 皿に乗った少量の飯、汁物、葉っぱを炒めたようなおかず。そして、


(……プリンとか。ガキかよ……)


 子どもなら大喜びしそうな安っぽいプリンが付いていたが、生憎俺は甘い物が苦手だった。


 リョウタはトレイを取ると、急いで部屋の隅に戻り食べ始めた。まるで何かに怯えるように、細い身体に詰め込むように必死で口の中にかきこんでいる。


 何故、その時そうしようと思ったのかは分からない。


 俺は、リョウタの横に立った。

 今まで一言も口をきかなかった少年が、怯えた表情でこちらを見上げる。


「おい、これやる」


 俺は、プリンをリョウタのトレイにのせた。

 リョウタは、何も言わなかった。ただ驚いた表情を浮かべ、俺とプリンを交互に見つめ、しばらくした後、


「……ありがとう……ございます……」


 少しだけその白い顔に笑みを浮かべ、礼を言った。



 ◇◆◇



 その日を境に、リョウタが話しかけてくるようになった。

 俺がどんな犯罪を犯したのかは、尋ねなかった。


「死刑囚なんだから、大体想像はつくよ」


 一度なぜ聞かないか尋ねた時、リョウタは苦笑いをしながらそう答えた。

 全く、その通りだと思った。


 リョウタが食事の時怯えていたのは、彼と一緒になった死刑囚が皆、こいつの食事を奪ったからだという。

 確かにあの量で、腹が一杯になるわけがない。奪う囚人たちの気持ちが、良く分かった。


 その中で、奪う事なく逆に与えた俺に、リョウタは妙に懐いた。


「俺、病気で学校になんていけなかったからさ……。先生にお願いして、こうして勉強させて貰ってるんだ」


 リョウタは尋ねてもいないのに、自分が何をしているのかを俺によく話した。

 

 今、読んでいる本の事。

 新しく知った知識。

 大きくなったら、自分のような病気の子どもを助ける医者になりたかった事。


 でも最後は決まってこう言った。


「ドナーさえ見つかれば、手術も出来るんだけどな。でも病気でずっと苦しむよりも、安楽死させて貰える俺はまだ幸せなのかも」


 手に届く事のない未来を夢見て、最後は諦めたように自身の現実との乖離を思い、弱々しく笑う。

 

(医者になりたい……か)


 初めて聞いた時は何も感じなかったが、こうして毎日顔を合わせ会話をしていると、段々その言葉に特別な意味と感情を抱くようになっていた。


 こんな事は初めてだった。



 ◇◆◇



「先生、リョウタのドナーってそんなに見つからないものなのか?」


 俺の体調管理にやってきた先生に、ある日尋ねた。

 先生は少し難しそうな顔をし、そして諦めたように息を吐き出した。


「病気というよりも、血が問題なんだよ。リョウタ君の血は特殊でね。その血をもつドナーが見つからないんだ」


 血が特殊。

 

 この言葉に、引っ掛かりを感じた。

 昔、親が金のために俺の血を売っていたことを思い出す。


「先生、一度俺の血を検査して貰えないか?」


 気が付いたら、そんな言葉が口から飛び出していた。

 先生は驚いた表情を浮かべたが、すぐにいつもの穏やかな微笑みに戻ると、一つ頷いてくれた。


「分かったよ。君の血がリョウタ君と一緒かどうか、調べてあげよう。万が一、血が一致したら……」


「俺が、リョウタのドナーになる。どうせ死刑囚なんだ。血だけじゃなく、臓器でもなんでも持っていけばいい」


「あはは、太っ腹だね。君の気持ちは分かったよ。結果が出たら報告するよ」


 そう言って先生は俺の腕から血をいくらか抜くと、部屋を出て行こうとした。しかし、俺の声が先生の足を止めた。


「先生。俺、今まで自分の人生に意味などないと思っていた。でも、リョウタのドナーになれたら……、こんな俺の人生にも意味が出てくるかもしれない。だから……、頼んだ」


 先生は振り返らなかったが、右手を振って俺の言葉に答えてくれた。


 心が動いた気がした。



 ◇◆◇



 リョウタと俺の血が一致した。

 俺は、リョウタのドナーになる事を決めた。


 その話をリョウタにすると、始めは恐縮していた少年だったが、嬉しさは隠せなかった。


 何度もお礼を言われた。

 何度も手を握られた。


 ありがとう。

 ありがとうございます。


 今まで生きてきて、これだけ感謝の言葉を浴びせられたのは初めてだと思う。

 それだけで、ドナーになる事を選んで良かったと思った。


 無意味だと思っていた俺の人生に、ようやく意味を見いだせた気がした。

 俺の人生は、リョウタを生かすためにあったのだ。


 リョウタと俺は、これから先、何をしたいのかを長い時間話し合った。

 俺は死んでしまうが、リョウタは違う。


 たくさん勉強して。

 たくさん働いて。

 家族を築き、幸せになりたい。


 リョウタの口から出るのは、俺が心の奥底で望んでいた些細な幸せ。

 道を踏み外した俺には、もう味わう事が出来ない幸せだが、リョウタの中で俺の血が生き続けるのだから、俺が体験しているのと同じだ。


 今まで他人の幸せなど願う事はなかったが、自分の分身である少年の未来が、光溢れるものであることを祈った。


 少し前、全てを終わらせるためにたくさんの他人を犠牲にした俺は、リョウタと出会って変わった。


 与える事の喜びを知った。

 感謝される喜びを知った。

 無意味だった人生に意味を見出した。


 全てをリョウタに託し、俺はただ死刑執行の日を待った。


 しかし、リョウタの身体に限界が来る方が早かった。



 ◇◆◇



 リョウタの体調が急変し、緊急手術が必要となった。

 俺はドナーとして、共に手術を受ける事になった。


「大丈夫だ、リョウタ。俺の血ならいくらでもやる。お前の手術は、絶対に成功する」


 隣で苦しそうに息を吐くリョウタに、俺は声をかけた。

 リョウタは何も言わなかったが、目元を細めて笑った。


「麻酔を入れるよ。意識が無くなるけど、心配しないで」


 先生の声が聞こえた。

 薬が投与されたのだろう。俺の意識は次第に遠く遠くなっていく。


(目が覚めたら、リョウタはきっと元気になっている。そして俺の代わりに光ある人生を歩んでいくんだ。そして……、俺の人生は意味あるものへと変わる)


 リョウタの元気な姿を想像しながら、俺は意識を手放し、後の事を先生に任せた。



 ◇◆◇



 目が覚めた。

 どれくらい時間が経ったのだろう。分からない。


 身体を動かそうとした瞬間、俺は自分の全身がベッドに拘束されている事に気づいた。


 何とか首だけを持ち上げると、この部屋にいるたった一人の人物に向かって叫んだ。


「せっ、先生! これはどういうことだ‼ 手術は……? リョウタの手術はどうなったんだ⁉」


 確か俺は、先生に全てを任せてリョウタの手術に臨んだはず。 

 先生は、いつものとおり微笑みを浮かべて口を開いた。


「ああ、リョウタ君は死んだよ」


 何を言っているのか分からなかった。


 確かにリョウタの病気は難病だった。しかしそれは特殊な血に合うドナーがいないのが弊害になっていただけで、手術自体は難しいものではないと聞いていた。


 ドナーさえ見つかれば……、100%成功すると。


 先生は表情を変えずに言葉を続ける。


「リョウタ君の手術はしなかったんだよ。リョウタ君にはこう言っておいたよ。君が、ドナーを拒否した、とね。あの時の彼の顔、君にも見せてあげたかったね。凄く驚き、傷ついた表情を浮かべた後、ただ一言『そうですか』と言っていた。絶望に突き落とされた表情を浮かべながらね。そしてそのまま安楽死を望んだんだ」


「…………」


「同じ死ぬにしても、君と出会い、生きる希望を持たせなければ、こんな悲しい思いを抱えて死ななかっただろうね」


「な……、何故……! 俺の血がリョウタと一致したというのは、嘘だったのか⁉」


 半分かすれた声で尋ねる。

 先生は少し瞳を伏せ、首を横に振った。


「いいや、血液が一致したのは本当だ。本来なら君はドナーとして完璧で、リョウタ君を救う事が出来た。そうじゃなければ……、リョウタ君が死んだことを、血が合わなかったから仕方がないと、君が思うかもしれないからね」


「どっ、どういう……こと……だ……」


 俺の言葉に、先生の穏やかな微笑みが初めて消えた。


 その双眸に浮かんでいたのは、ぽっかりとあいた底知れぬ感情という穴。

 あらゆる感情が、その穴に吸い込まれて消えていく、そんな恐怖が俺の心を襲った。


「絶望を作るのは簡単だな。少しの希望をちらつかせ、それを叩き潰せば簡単に堕ちる」


 先生の口から飛び出したのは、俺が無差別殺人を起こした時、殺した子どもの母親に向かって吐いた言葉。

 この言葉は、どこにも記録されていないはず。それを何故先生が……。


「お前の死刑は、今から執行される」


 無表情なままの先生から、死刑宣告がなされた。

 どうやら、俺はこれから安楽死させられるらしい。


 先生が、近くにあった機械に手をかける。その機械のコードは、俺の頭や手足など、あらゆる部分に延び、取り付けられていた。


 準備が出来たのか、先生の手が止まった。

 そして出会った時と同じ、穏やかな微笑みに戻ると俺に言った。


「お前が最後に殺した子どもと女は、私の妻子だ。私はお前に、妻と同じ思いをさせたかった。しかし死刑を望んでいたお前にとって、死はたいした意味を持たなかった」


 女を殺した後、男の叫び声を聞いた気がした。あれは……、先生だったのだ。


 先生の表情も声の調子も、全く変わらない。今まで、俺の話を受け止めて聞いてくれていた穏やかさそのもの。それがあまりに不気味だった。


 先生の言葉は続く。


「でも絶望させるのは簡単だった。お前の言う通りな。リョウタ君の存在が、お前に自分の人生に意味があった、という希望を持たせた。だから、その希望を叩き潰した。お前は私の妻と子どもを殺したことで、リョウタ君を救えなかった。もしお前がこのような事をしなければ……、リョウタ君は光ある未来を歩んでいただろう。


 ああ、そうか。


 俺が先生の妻子を殺していなければ、俺の血をドナーとして使い、リョウタは生きていた。

 そして俺は、自分の人生に意味を見出しながら満足して死ねたはずだった。


 俺がドナーを断ったと聞き、絶望したリョウタもこんな気持ちだったのだろうか。

 俺が殺した母親も、こんな気持ちだったのだろうか。


 先生は俺のベッドに近づくと、何も言えずにいる俺の顔を覗き込んだ。

 そこには、満面の笑みがあった。


 その笑顔は、一度も崩れることなく呪いの言葉を吐いた。





「やはり、お前の人生に意味などなかったな」





 先ほどまで、嵐のように吹き荒れていた感情の渦が、ぴたりと止まった。


 心は、

 

 何も感じなかった。




 あ あ

 

 こ れ が ぜ つ ぼ ――――




//絶望の作り方 終わり//

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