第4話 「それを愛と呼ぶなら」


グレン率いるオオカミ族の群れから女性が去って数年の時が経った。


初めは行き倒れた人間たちから拝借した小さなテント群だったが、種の繁栄と人間

による獣人狩りが抑制されるようになり、いつの間にか『村』へと変わっていた。


自分を尊敬する子分たちは番を見つけて子宝に恵まれ、奪い奪われることのない

幸せな家庭を順調に築いている。


グレンただ一人だけが”あの頃”のまま、置いてけぼりになっていた。


追い出した女性の、去り際に残していった言葉がどうにも忘れられないのだ。



――また、会いに来るからね。きっと。



半分諦め顔で微笑みと共に告げられたその言葉がまるで呪いのように纏わりついて

離れず、あの時は立場上『いつでも来い』とは言えないから無言を通してしまった。


あの後…彼女は無事に雪原を乗り越えたのだろうか。


途中で別の獣人や人間に襲われたりはしなかっただろうか。


そんなことばかりが気になって、しばしば子分たちを心配させてしまっていた。


最終的に追い出すことを決断して実行したのはグレン自身だというのに、何も間違い

を犯したとは思っていないのに、この心には穴が空いて寂しさが漏れ出す。


以前は平気だった一人も、今ではただひたすらに募る後悔が辛くて逃げ出すように

人の中へと埋もれる。


村となってからはほとんどのオオカミ族はヒト化の鍛練を兼ねて人間の姿で生活を

営んでいた。


小さな子供なんかはうまくヒト化できないので耳と尻尾がそのままだったりしている

が、繰り返せばそれらも次第に隠せるようになる。


彼らの元気で何も心配することなく無邪気に遊んでいる姿を見られることは群れを

任されたリーダーとしては嬉しいことで、本来なら満足げに笑っていてもいいはず

なのに。


ふう、と息を吐いてグレンはオオカミの姿へと戻って村を出た。


断崖絶壁の崖の淵に座って、ゆっくりと沈んでいく夕日を眺めながら思うことも

思えずただ無心になっていたとき。



『兄貴~!』



軽快な子分の声が聞こえて顔だけ振り返る。



『どうした。何かあったのか。』


『いやいや。兄貴がしけた面したまま村を出てったから気になったんす。』



子分は相変わらずヘラヘラとして一見ふざけているように見えても、周囲の気持ちを

敏感に察知して動ける優秀な仲間の一人だ。


誰かが怒っていれば仲裁に入るし、落ち込んでいれば話を聞く。


楽しく笑っていればそれをより大きいものにしようと努めるのだ。



『…あの時のこと、引き摺ってるんすよね?兄貴。』



前置き無しでいきなり本題に入る無遠慮さはいただけないが。



『割り切ってはいるつもりだ。俺には群れを守る使命がある。気になるからといって

個人の感情一つで士気を落としたくない。』


『その判断は立派だと思いやす!けど…けどさ。もう、いいんじゃないすか。』


『いい、とは?』


『兄貴のお陰で狭かった拠点は大きな村になって、生活も安定してる。なのに、兄貴

だけが一人責任張って進めないなんて…オレは悲しいっす。』



子分が何を言いたいのか。


グレンはいつもなら要約して話せと急かすところを、今回はしなかった。


探るように子分を見つめて次の言葉を静かに待っていると彼は深呼吸して間を置いて

から口を開く。



『兄貴は兄貴の本当にしたいことをやって下さい。それが村を離れて広い世界の

どこかにいる、たった一人を探すことだったとしても誰も兄貴を責めたり止めたり

しやせん。』


『どうして…そう、思うのだ。』


『兄貴が村の外をずっと気にしてるのは皆が知ってることっす。兄貴はそれだけ、

あの人間の女を愛しているんすよね!』



子分は変わらない軽快な調子のままを貫いた。


あの時の女性を愛している。そう聞いてグレンにはいまいち理解できなかった。


仲間の恩人である女性を追い出したことに対して後悔の念を抱いてはいても、その

行く末が気になって心配してはいても、それが『愛』に結びつくかどうかは全く別の

話だと思っているから。



『愛…とは、なんなんだ。俺は本当に、あの女を愛していると…?』


『兄貴。愛のカタチは色々っす。一概にこうと言えることはないけど、誰かを想い

続けるってことは並大抵のことじゃできないっす。一人を”想う”ことが愛なら、

その思いが何であろうと同じだと思うっす。』


『想うことが…』



どんな思いでも”想い続けること”がいずれ『愛』として表現を変えるのなら。


今もなお引き摺り続けている女性への”後悔と心配”は彼女を想う『愛』へと姿を

変えることができるのだろうか。


グレンはいつの間にか沈み切ってしまった夕日の向こう側を眺めながら、静かに頭の

中で子分の言葉を復唱しては自身の気持ちを整理するように小さく呟いた。

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