虚しき神言

冷門 風之助 

ACT.1

 妙な匂い(そうとしか表現のしようがない)がだだっ広い講堂(後で確かめたら”ここは神殿です”だそうだ)の中一杯に充満していた。


 凡そ二百畳ほどの広さはあるだろう。


 その中に信者がほぼひしめき合って座っている。

 正面には供物やら何やらで飾り立てられた祭壇がしつらえてあり、

『平伏!』マイクを通した男の気で、そこに居た全員が一斉に頭を下げた。

 俺もつられて軽く頭を下げたが、両隣にいた中年女性が鋭い目で俺を睨みつけ、

(無礼者)

 とでも言いたげにゼスチュアでもっと深く下げろとばかりに促してきた。


 自分が信じてもいない『何者か』のために頭を下げるのは、虫唾が奔るほど嫌いな俺なのだが、これも金のためだと思えば、こらえるより仕方なかろう。

 

 その時、どこからか銅鑼ドラの音に似たような音が、広い建物の中にこだますると、束帯に冠を被った男二人が、緋色の袴をつけた女達を従えて入ってくるのが見えた。


 女達の手にはそれぞれ飾り立てられた額縁に入れられた写真が入っている。

 ここからでは遠すぎてはっきりと確認は出来ないが、どうやらこれも一見立派そうな装束姿の男が写っているらしい。


『再敬礼!』

 恐らく壁のどこかに仕掛けられているであろうスピーカーから男の野太い声が講堂内に響き渡った。


 そこに居た一同は一斉に、前よりも深々と畳の上にひれ伏した。




 その夫婦は今から三日ほど前、青い顔をして俺の事務所オフィスに入って来ると、勧められた通りに、並んでソファに腰かけると、青い顔をして、


『息子を救い出して下さい』と、同じ言葉をリフレインのように繰り返して頭を卓子テーブルに擦り付けんばかりにして、何度も下げた。


『コーヒーは如何です?気が落ち着きますよ。ああ、それからミルクと砂糖は入っていませんからそのつもりで』

 

 俺の言葉に、二人はやっと頭を下げるのをやめ、出してやったコーヒーカップを手に取り、一口、二口と啜った。


 深川署の手塚警部の紹介でして・・・・と、夫の方が彼の名刺を出し、自己紹介をした。

 

 彼の名前は小沢博。年齢は47歳、都内で薬局を経営している薬剤師。妻の名前は広江、44歳。専業主婦だそうだ。

 手塚警部とは大学時代、柔道部に居た頃の先輩後輩の仲だという。


 警官オマワリって奴らは滅多に他人に名刺を渡さないから、まず信用していいだろう。


『最初にお断りしておきますが、私は法律で制限されている依頼の他、個人的な主義として結婚と離婚に関する依頼は原則としてお断りしています。その点は大丈夫ですね?』


 小沢氏は手に持っていたカップを卓子テーブルの上の皿に戻してから顔を上げ、

『大丈夫です。そんな依頼ではありません。』

 と、はっきりした声で言った。


 彼の相談内容をかいつまんで話すと、こうである。


 奥秩父の山間の町に、『神祇一心会』という新興宗教団体がある。


 神道系の団体だそうだが、最近とみに勢いを増してきて、信者の数もここ数年で飛躍的に増え、現在五千人に届こうとしている。


 この団体は入信する際に、一切の財産を教団に寄進するという決まりがあり、その額が高ければ高いほど、神・・・・つまりはこの団体の教祖である『イキガミ様』の近くに行け、そしてその加護によって病気、貧困、飢え、病苦など、あらゆる悩みや苦しみから救われるのだという。


『その宗教に、私どもの長男が入信してしまいまして、それで大変困っておるのです。出来れば貴方の力で息子をそこから連れ戻して欲しいと、こういうわけななのです。』


 



 

 

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