第九話『忘却の彼方』②

──アリオ!?


 真琴は階段を全力で駆け下り、上履きのままグラウンドへと飛び出した。


×   ×   ×


「アリ……オ?」


 真琴は目の前に佇む少女に困惑した。

 少女は顔かたちこそアリオとうり二つだが、サラサラとした銀髪をしている。

 少女はセーラー服を着ており、真琴はアリオと初めて出会った時を思い出した。

 アリオとはまた別の気品と優雅さを兼ね備えた姿は、『黄昏の世界』に舞い降りた天使を思わせる。少女はゆっくりと真琴に近づくと、その口を開いた。


「……片桐真琴さん、初めまして。わたくしはアリア・トーマ・クルス。アリオの双子の姉にして、夢と現の狭間に揺蕩う者です。今日は……妹の伝言を預かって参りました」


 近付くアリアを見て真琴は気づいた。

 初めて旧校舎を訪ねた時、屋上に居たのはアリアだ。あの時もアリアはセーラー服を着て、屋上から真琴を見つめていた。そして、真琴の見ている前で掻き消えた。

 真琴はアリアに詰め寄った。


「伝言って何?」

「それは……『所以はどうあれ、今、生きている事に感謝して欲しい。そして、自分の世界を捨てないで生き続けて欲しい』……と、アリオは言っていました」

「……今更、何を言ってるの?」


 真琴は失笑すると、投げ捨てる様に言った。


「勝手に現れて……勝手に消えて……。みんなの記憶まで操作して……何様なの!!?? わたしに言いたい事が有るなら、直接言いに来い!! ってアリオに伝えて!!」


 アリオに対する怒りをアリアにぶつけるのは筋が違う。そうは思っていても、真琴は怒りを抑える事が出来なかった。

 仲良くなれたと思っていた人が前触れもなく消える。それは悲しく、辛い出来事だ。ましてや、真琴は雅の事もアリオに話している。

 真琴はアリオに裏切られた気持ちになっていた。


「わかりました」


 アリアは静かに答えると、馬車へと向かった。すると、体格の良い御者が御者台から降りてきて、馬車の扉を開けた。御者は分厚いレインコートを羽織り、上等なシルクハットを被っていた。


「ちょ、ちょっと待って!! 一つ教えて!!」


 立ち去ろうとするアリアを真琴は慌てて呼び止めた。


「どうして、アリオはわたしの記憶を消さなかったの?」

「それは……。多分、あなたには自分の事を忘れて欲しくなかったからでしょうね……」

「え!?」


 真琴は動揺と戸惑いを隠せなかった。


「正確には……あなたの中に居る、レイラ・モーガンに忘れられたく無かったのでしょう」

「レイラ・モーガン? わたしの中?」

「ええ……。あなたの身体には、アリオの旧友であるレイラ・モーガンの臓器も使われているの」

「レイラ……モーガン……」

「音楽の才能に恵まれ、アリオに自作の歌を聞かせた事も有った。でも……故あって、レイラはアリオと敵対したの。わだかまりが解けぬまま……レイラは死んだわ」


 真琴は思い出した。

 初めてアリオと会った時、アリオが口ずさんでいた歌を。アリオはその歌を作曲した友人は非業の死を遂げたと言っていた。


「アリオが……殺したの?」

「……」


 アリアは答えなかったが、その沈黙が肯定を意味していた。


──ああ……。あの夢に出て来た銃口を向けるアリオは……友人を射殺した時のものだったんだ。


 悪夢の断片が繋がると、真琴は静かに口を開いた。


「アリオって……どこまでも勝手だね。わたしに自分で手にかけた友人を重ねるなんて……。わたしはアリオを慰める人形じゃないのに……」


 真琴はアリアを真っすぐに見つめた。


「アリアさん……もう一つだけアリオに伝えてくれますか?」

「はい……なんでしょう……?」

「アリオに……わたしは『自分の信じる方法で雅を救ってみせる』……そう、言っていたとお伝えください」

「……畏まりました。確かにお伝えします」


 アリアは丁寧にお辞儀をすると、馬車へと乗り込んだ。

 御者が鞭を振るうと、馬の嘶きと共に馬車はゆっくりと動き始めた。

 馬車は真琴から遠ざかるにつれて蜃気楼の様に揺らめき、やがて消えた。

 馬車が消えると紅い空は消え、グラウンドには鮮やかな陽の光が戻って来た。

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