第22話「最後の姉の最後の秘密」
朝食後、手早く僕は後片付けを終えた。
その間ずっと、荒れ果ててしまったリビングでは二人の姉が正座させられていた。久しぶりに
僕も何度もやられたけど、あれは効く。
精神的に、クる。
正論という名の
そうして翠子姉様は、後始末を全て
こうして僕の、一番年上のちっちゃい姉とのデートが始まった。
「ここよ、
翠子姉様が僕を連れてきたのは、いつもの商店街から少し山手に向かった高級住宅街。いわゆる山の手のナントヤラだ。僕たちみたいな庶民と違って、お金持ちの人たちが住んでる場所である。
少し異国情緒のある豪邸が並ぶ中に、その洋菓子屋はあった。
不思議の国のアリスに出てきそうな、トンガリ屋根の小さなお店である。
ゴスロリ全開の姉様がドアを開く姿なんかは、まるで童話の一
「いらっしゃいませ! あら、お
「ええ。そんなところよ」
「いつも一人で来て偉いなあと思ってたけど、今日のは一人じゃ持ちきれないものね」
「そうでもないのだけど、今日はデートなの」
「あらあら、そう。お兄ちゃんのこと、大好きなのねえ」
「そうよ? 当然なのだわ」
店内には、
この女主人が一人で切り盛りしている店のようだ。
時間帯が早いせいか、まだ店内に客はいない。
あと、僕は兄じゃなくて弟です……まあ、百人が見たら百人全員がそう言うんだけど。とりあえず、笑顔の女主人に僕も挨拶を返す。
入店時に畳んだ日傘を手に、姉様は店内を一望した。
その間に、奥へと女主人は駆けていった。
「ふふ、実はもうケーキを注文しているの」
「へえ、それはまた……何かの記念日だっけ? 今日は」
「いいえ、記念日ではなかったわ。ただ、今日だけは記念日になるのよ」
「それはまた」
「今にわかるわ。ああ、
翠子姉様は不思議な人だ。
本当に、見た目は10歳前後……僕と初めて会った頃と全く変わらない。父が死んですぐ、姉様は僕のもとに駆けつけてくれた。大人との話も全部やってくれたし、頻繁に訪れる悪い人を追い払ってもくれた。
あの日からずっと、翠子姉様だけが時間が止まったみたいだ。
僕は成長して、見た目は既に追い越してしまった。
姉も増えたし、最近は
「ねえ、翠子姉様」
「なにかしら、麟児」
「姉様は……なにか、こう、種明かし的なことってあるのかな、って」
「そうね。ふふ、麟児は私の秘密が知りたいのかしら?」
「千奈の姉貴は男だったし、華凛姉さんはロボットだった。楓夜お姉ちゃんも
「でも?」
微かに甘い香りの満ちた、まるで少女漫画の世界みたいな店内。色とりどりのお菓子が並ぶ中で、翠子姉様はとびきり目立っていた。
あらゆる甘味が、彼女を引き立てるための宝石みたいに思える。
白と黒のモノクロームに着飾った姿が、鮮烈なまでに鮮やかに僕の目に焼き付いた。
静かに
「でも、家族。麟児はみんなを家族だと言ったわ。なら、それは私の気持ちでもある……そうじゃなくて?」
「は、はい。ただ……初めて会った十年前から、姉様は全く変わってないように思えて」
「あら、そうかしら? なら、麟児……まだまだ、ね。女は合う
面白そうに翠子姉様は目を細めた。
なんだろう、この独特なマイペースを貫く姉に、誰も勝てない。
そして必ず、こういう時は
「そうね、今夜はじゃあ、一緒にお風呂に入りましょう」
「な、なんで!?」
「どこがどう変わったか、見せましてよ? 昔はよく私がお風呂に入れてあげたわ」
「大昔だよね、それ」
「今日のデートもそう、そろそろ麟児は女性の
しれっと凄いこと言うんだよね、この人。
僕がタジタジになってると、女主人が大きな箱を持って現れた。
「はい、おまたせ。お嬢ちゃん、注文通りだけど
「拝見するわ。……ええ、とてもいいわ。最高ね」
「だろう? おばちゃん、これだけやって四十年も生きてるからね!」
現れたデコレーションケーキは、色とりどりのフルーツと生クリームで飾られていた。それ自体が美術品のようで、食べるのがもったいないくらいだ。
そして、中央に誕生日を祝うメッセージと共に、名前がある。
僕は姉様の
姉様はポーチからお財布を出して、代金を払う。
当然だけど、僕が大きなケーキを慎重に受け取った。
「いつもありがとう。では、ごきげんよう」
「まいどあり! ほらほらお兄ちゃん、お嬢ちゃんから目を離さないでねえ」
「は、はいっ! どうもです!」
女主人が見送ってくれてるので、ケーキを片手で持って、もう片方の手を差し出す。日傘をさした翠子姉様は、その手に手を重ねて歩き出した。
姉様と手を繋ぐなんて、何年ぶりだろうか。
昔は僕のほうが小さかったのに、今じゃ大人と子供だ。
姉様と一緒だと、自分が小柄で
でも、それだと少し情けないから、やっぱり千奈の姉貴になにか武道を習おう。
そんなことを思っていると、意外な人が待ち受けていた。
「やあ、翠子。言われた通り、二人に気付かれずに出てきたよ。勿論、季央にもね」
そこには、千奈の姉貴が立っていた。
スパッツにTシャツ姿で、趣味のスポーツバイクに
後ろに乗せてと、二人乗り希望の乙女たちが殺到し、学校から怒られたのだ。
「お疲れ様、千奈。そうね……あそこで話しましょうか」
「そんなことだろうと思って、飲み物を三人分買ってきたよ。ケーキは大丈夫?」
「ドライアイスをつけてくれたから。それに、そんなに長い話にはならないわ」
「そっか。じゃ、麟児も行こうか」
姉貴はいつものほがらかな笑みで、白い歯を
その顔立ちは、あの愁にとてもよく似ていた。当然だ、父と子だから……だが、千奈の姉貴はもっと中性的でほっそりとしているし、なにより醜悪な表情を見せたことがない。
笑ってる時も泣いてる時も、
顔の基本的な作りが同じでも、全くの別人と言ってもいい。
そんな姉貴と姉様とが、同じ方向を見やる。
少し行った先が丘になってて、そこの木陰にベンチがあった。
「さ、座って麒児。千奈もそこに」
「うん。あ、麟児はコーヒーでいいよね? 翠子は紅茶、レモンティ」
三人で並んで座る。
うん、やっぱり男の人なんだよなあ……ちょっと信じられない
僕もよく女と間違われるけど、千奈の姉貴はちょっとレベルが違う。
そりゃ、何年も一緒だったのに気付かない訳だよ。
そう思っていると、翠子姉様が本題を切り出した。
「愁のことは聞いているわ。あの男……許せない、けど、それは私情ですわ。それより」
「うん、それより……妹たちと麟児のことだよね?」
「ええ、千奈、
そう言って、翠子姉様はポーチに手を入れた。
その動きが一瞬、
だが、彼女はいつもの涼しい表情を凍らせ、意を決してなにかを取り出した。
「麟児、これを
「これは?」
「あら、全自動洗濯機に見えるのかしら? それとも冷蔵庫?」
「いや、
そう、黒い小さな板状の物体。
隣から覗き込む千奈の姉貴が、端的な感想を述べてくれた。
「スマホだね。しかも、かなり古い型のやつ」
スマートフォン、いわゆる携帯電話だ。それも初期のものらしく、厚みがあって重い気がした。だが、次の姉様の一言に僕は固まってしまった。
「愁が
「えっ、じゃ、じゃあ……これを、どうして」
「麟児、貴方が持っていて。そして、家族のために……なにより、自分の幸せのために使いなさい。それと、千奈」
一度言葉を切って、翠子姉様は真っ直ぐ千奈の姉貴を見詰めた。
僕の目の前で、二人の視線と視線が
「千奈、貴方の父親があの愁だとしても、それは私たちにはなんの関係もないことよ? そうじゃなくて?」
「……そう、かな」
「ええ。だから、荷造りしたりなんて無駄なことはよしなさいな。あの家を出て、どうするつもりかしら」
えっ? 千奈の姉貴が家を出る?
……僕は、気付けなかった。
一人で密かに、姉貴がそこまで思い詰めてるなんて。
そして千奈の姉貴は、観念したように乾いた笑いを浮かべた。
「なにもかもお見通し、かあ」
「そうよ。だって私は貴女の姉、貴女の家族なのだから」
「……あんな奴が父親で、がっかりしたんだよ。でも、それが現実で、麟児たちに迷惑を……そう思ったら、なんか」
「馬鹿ね、千奈。貴女はとてもいい子だけど、もっと迷惑をかけるべきよ。それを許すために家族がいて、私たちは貴女を許したいの。どう? これでも出ていくのかしら?」
千奈の姉貴は
よく晴れた休日の空は、もうすぐ正午の高みに太陽を招こうとしていた。
僕はただ、なにを言えばいいかわからず、静かに千奈の姉貴の手を握ってあげることしかできなかった。
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