第5章 消えた〈オブジェクト〉


第5章 消えた〈オブジェクト〉


 1


その〈ヴァカンス〉は美しいとは言い難かった。全体がモザイク状で、何をテーマとしているのかわからない。そもそもテーマがあるかどうかも疑わしい。

「レイ……。俺、吐き気がしてきた」

 モザイクの世界の中で、レイとユウの姿だけがはっきりとした輪郭をしている。

「落ち着きなさい。……まあ、吐いても構いませんが」

「俺が嫌なんだよ。っていうかこれ何? 〈オブジェクト〉とか見つけられなくない?」

 見渡す限りのモザイクの世界。辛うじて緑色で森の中にいるらしいことはわかるが、目立った物体は見つけられない。

「たしかに見当たりませんねえ。困りました」

 本当に困っているのかよくわからない笑みを浮かべながら、レイは歩いていく。

「不思議ですねえ」とぽつりと言った。

「何が?」

「同じ木がずっと続いています。枯れた木もなければ、実っている木もない」

「普通じゃない? きっとそこまで考えてないんだよ」

「そうでしょうか。彼は森で生まれて、森で育ったのですよ。それなのにこんなにも解像度が低い〈ヴァカンス〉を創るだなんて信じられません」

「何か理由があると思うわけ?」

「考えすぎでしょうか?」

 くすりとレイが笑う。美しい人はどんな表情を作っても絵になるものだ。

「本人に聞いてみるわけにもいかなしな」

「ですが、周りの人に訊ねることはできます」

「また調べものか……」

「嫌なら私、一人で行いますよ」

「仕事だからやるよ」

「あなたは仕事となれば、なんでもやるのですね」

 小馬鹿にしたようにレイが笑う。

「なんでもはやらないよ」ユウは首を横に振る。「ただこれは珍しいケースだし、勉強しておきたい」

「真面目ですねえ」

 そうこう話しているうちに、黒い壁が現れた。どうやら、ここが〈ヴァカンス〉の終着点らしい。

「保健所に戻ろう」

 ユウが言うと、レイは頷いた。


 2


「残念ながら、今回は〈オブジェクト〉を発見できませんでした」

 レイがそういうと、向かい合っている相手・カナに言った。

 カナは三十歳くらいの女性で、爽やかなショートカットが印象的だ。カナはレイの言葉に多少とも驚いていた。

「そんなことあるんですか?」

「我々も驚いております。そもそも、チンパンジーに〈ヴァカンス〉を作らせる研究があるなんてことも」

「…………」

 カナは曖昧な表情で押し黙る。

 そう今回の創造主は人間ではなく、チンパンジーだ。名前はヨチ、オスのチンパンジーだという。

「詳しいことは聞かないでください。守秘義務があって答えられないので。そもそも私はただの飼育員で研究員ではないので詳しいことはわかりませんし……」

「ヨチが死んだのは四日前、でしたか」

 机上に置かれた工具箱のような四角い箱を見る。この中にあるのがチンパンジー・ヨチの〈ヴァカンス〉だ。

「それでも私は、どうしてもヨチを弔ってやりたいんです」

「弔い、ですか」

 ユウが繰り返す。棺の中に故人の大切なものを入れるように、人々は〈オブジェクト〉の削除を願い、〈オブジェクト〉も消え去ることを認める。こんな世界は人間だけだと思っていたが、チンパンジーたちも同じように思うのだろうか。

「研究について詳しく知りたいのですが、調べても構いませんか?」

 柔らかく言ってはいるが、レイの心は既に決まっているのだろう。

「どうぞ……」

 かくしてチンパンジーの〈ヴァカンス〉という不可思議なものと付き合うこととなった。


 3


 ユウとレイは郊外にある某大学の霊長類研究所にモービルで向かっていた。

「研究って、どんなのだろうな」

 レイは腕輪型の立体光学映像で情報を集めている。

「端末で情報を見る限り、哲学的アプローチで霊長類の〈ヴァカンス〉を調べているようですね」

「哲学的アプローチ?」

「説明を聞きますか?」

 にやりとレイが笑う。苦々しくユウは首を横に振った。

「やめとく」

 モービルが霊長類研究所に到着する。ショートケーキが入っていそうな白い箱の建物だった。

「どちらさまでしょうか?」

 受付の男性型アンドロイドが訊ね、レイがIDを見せる。

「狩人です。チンパンジーのヨチの研究に携わっているのはどなたでしょうか?」

「少々お待ちください。四階の四〇三号室に責任者がいます」

「承知しました。ありがとうございます」

 エレベーターで上階にあがり、四〇三号室を訪ねる。部屋の中は奇妙なほど家具が少なく、ラップトップとそれ置くための机、椅子しかなかった。部屋の奥にいた女性がゆっくりとこちらを向いた。

「こんにちは、狩人さん」

 受付のアンドロイドから情報を聞いていたのだろう、女性は驚いていなかった。女性は黒髪を頭の上でまとめていて、利発そうな人だった。

「狩人のレイと申します。こちらは部下のユウ」

「はじめまして。私はテヒラ。霊長類の〈ヴァカンス〉について調べています」

「います、ということは現在進行中なのですか?」

「ええ。現在、五頭のチンパンジーが研究に参加しています」

「なるほど」

「よければ見ますか?」

「見る? ここにいるのですか?」

「ええ」

 テヒラは別室に向かう。そこは硝子の檻がある。小さな動物園のような施設だった。檻のひとつひとつにチンパンジーやオラウータンが入っている。広い檻で、ハンモックや木が生えていて、どの動物ものびのびと暮らしているようだった。

「亡くなったヨチはどのようなチンパンジーでしたか?」

 レイが訊ねる。

「温厚で優しいチンパンジーでしたね。ただ〈ヴァカンス〉の出来だけでいうなら、彼は失敗作でした」

「失敗?」

 ユウが驚くと、テヒラは微笑んだ。

「他のチンパンジーはヨチの数倍は人間らしい〈ヴァカンス〉を生み出しました。よければ見てみますか」

 目を輝かせてレイが頷く。

「ぜひ!」


 たしかにテヒラの言う通り、他のチンパンジーの〈ヴァカンス〉は優れたものだった。

「現実世界と大差ないですね」

「檻の中を再現しているみたいだ」

 とあるチンパンジーの〈ヴァカンス〉は現実世界の檻を再現していた。ここの〈オブジェクト〉はお気に入りの犬のぬいぐるみらしい。

 〈ヴァカンス〉から戻ってきて、レイはテヒラに訊ねた。

「どうしてヨチだけは不完全な〈ヴァカンス〉なのでしょうか?」

「さあ。そればかりはなんとも」

「ヨチの〈オブジェクト〉に何か思い当たるものはありませんか?」

 テヒラは首を横に振った。

「そうですか……」

「ヨチは優しい性格だったと言っていましたが、友達はいたんですか?」

 ユウが訊ねると、テヒラは奥の部屋を指さした。

「あそこに入っているテオのことは弟みたいに可愛がっていましたね」

 二人はテオと呼ばれるチンパンジーの前に行く。まだ子供のチンパンジーらしく、体躯が小さい。

「あれ……? この子、ケガしてますよ」

 目の上の瞼の部分に少し切った跡がある。

「ああ。それですか。向かいの檻のハロにやられたんです」

 向かいの檻のスペースにはテオと同じくらいの体躯のチンパンジーがいた。

「双子なんですけど、仲が悪くて」

「ヨチはテオだけに優しかったのですか?」

 レイが訊ねる。

「いいえ。ヨチは社交的でしたから、ハロを唯一諫められるのもヨチでした」

 つまり今のハロはやりたい放題の暴君というわけだ。ガラス越しにハロを見るが、ハロのスペースは荒れ果てていた。木は折り曲げられ、玩具代わりのぬいぐるみたちは綿が外に飛び出している。

「ハロの〈ヴァカンス〉には行けませんか?」

「ちょうど今、研究中でここにはないんです。でも少し前に調査したときは、美しい森が広がっていましたよ」

「ヨチとテオたちは人間でいうとどのくらい年の差があるんですか?」

 ユウが訊く。

「そうですね。ヨチはだいたい四十歳。テオとハロはティーンエイジャーといったところでしょうか」

「親子、ではないんですよね?」

「ええ。ヨチは独身です。群れというのは不思議なもので優しいものより強いものが率いますから」

「チンパンジーも大変だ」

 茶化したようにユウが言った。すると部屋に誰かが入ってきた。白衣姿の白髪の男性だった。

「おや、テヒラくん。その方たちは?」

「所長。こちらは狩人のレイさんとユウさんです」

 所長と呼ばれた男性は値踏みするようにこちらを見た。

「狩人? なぜ狩人が?」

「ヨチの弔いをカナさんに頼まれました」

 よどみなくレイが返答する。院長は静かだった。

「そうですか。弔いを……」

「意外ですか?」

「いえ。そういうわけではありませんが、私たちの風習が彼らにとっての慰めになるのかを考えてしまいました」

「たしかに、意味のないことかもしれませんね」

「おっと自己紹介が遅れましたね。私はこの霊長類研究所の所長アイン・カーターです」

 レイとアインは握手を交わす。

「ヨチの鎮魂をどうかお願いします」

「我々にできることは〈オブジェクト〉の削除だけですが、全力を尽くします」

 レイがそう言って、二人は霊長類研究所を後にした。


 4


 葬式は遺された人間のための儀式だという人がいる。〈オブジェクト〉を削除することも、とどのつまりは遺された側のわがままと自己満足だ。チンパンジーのヨチが、遺されてしまったチンパンジーの仲間たちが、〈オブジェクト〉の削除でどれだけ慰められるのかはわからないが、それを望む人がいる以上やらなければならないとユウは思っていた。

 翌日、保健所に行くとロビーにレイがいた。

「おはよう。今来たの?」

「ええ。それより、このニュースを見てください」

 レイが指さした先には、大型の立体映像が動いている。ニュースキャスターが何事かを話していた。

『今朝、霊長類研究所で窃盗事件が発生しました。盗まれたのは研究データとのことです』

「研究データが盗まれた?」

「そのようですね。行ってみましょうか」

 こういうときのフットワークの軽さは、見習いたいなと思いつつ、コーヒーの一杯でも飲みたかったという後悔を抱えてユウはレイの後に続いた。


 霊長類研究所には既に警察による規制線が張られていた。狩人のIDを見せて、中へ入る。施設の中に入ると、慌てているテヒラが目に入った。

「テヒラさん」

 ユウが声をかけると、彼女が振り向いた。

「ユウさん。レイさん。こんにちは……」

「挨拶は後で」

 今日ばかりはレイも笑顔を封印している。

「窃盗が起きたということですが、何のデータが盗まれたのですか?」

「それがテオとハロの〈ヴァカンス〉が入った装置が盗まれたんです……」

「おや。それは犯人もまた妙なものを盗みましたね」

「チンパンジーの〈ヴァカンス〉なんて珍しいから高値で売れるんだろうな」

 〈ヴァカンス〉の盗難は度々起こる。想像力が貧困な人間が、豊かな〈ヴァカンス〉を求めての犯行を為すのだ。だがすべての人間が欲しているわけではない。あるデータによると、金銭的に恵まれている人ほど〈ヴァカンス〉が精緻で美しいとされている。逆に貧困層ほど〈ヴァカンス〉は単純でつまらない。もちろん一様にすべての人がそうであるとは言えない。

「〈ヴァカンス〉のコレクターの仕業かもしれませんね」レイが言う。「こちらでも調べてみます」

 テヒラは蒼白な表情のまま礼を言った。

「ありがとうございます。助かります」

「いえ。構いませんよね、ユウ?」

「ああ。どうせ暇な部署だしな」

 皮肉を込めてユウが答えた。


 5


 保健所に戻り、ユウはレイにこれからどうするつもりかと問いかけた。

「コレクターを調べてみましょう」

「けど警察に任せた方がいいんじゃないか?」

「彼らよりも我々の方がこうしたことには詳しいでしょう。ホームグラウンドですよ」

 そう言いながら、レイは〈リアル〉に接続する準備を始める。

「レイは知ってるかもしれないけど……」

「まあまあ。任せておいてください」

 そういうと不自然なカードを装置に挟ませる。

「それ何?」

「特別なところへ行くためのキーです」

「なんか不安になってきたんだけど」

 にっこりとレイは笑う。

「大丈夫ですよ。〈リアル〉で死ぬことはありませんから」

 けれど痛覚はある。そのことを思いながらも、ユウは自身を〈リアル〉へと繋げた。

薄暗い部屋にユウとレイはいる。レイが言った。

「コード4755U-3229HJ」

 そういうなり、別世界へと建物が変わっていく。黒い壁面がワインレッドの壁紙に早代わりし、現れたのはどこかの洋館の室内だった。

「ここどこ?」

 見ると自分たちの姿もいつものスーツ姿から燕尾服へと変わっている。

「秘密のオークション会場です」

 茶目っぽくレイが耳打ちする。

「秘密、じゃなくて非合法だろ。なんつーキーを持ってるんだよ、あんた……」

「失敬な。仕事以外で使用したことはありませんよ」

 そういいながら、軽やかに偽名を使いレイはオークション会場の受付をすませてしまう。おそらくあのカードを持っていること自体がこのオークションに参加できる条件なのだろう。さほど疑われることもなく、会場へ入ることが許された。

「さて、問題はここからですね。果たしてここにテオとハロの〈ヴァカンス〉があるのか。またあるとしても出品者が誰なのかを探らなければなりません。そこで、ユウ。君には潜入任務を与えます」

「潜入?」

「私は客席から誰がテオとハロの〈ヴァカンス〉を競り落とすかを見ています。あなたは、出品者を調べてきてください」

「俺だけで、バックヤードに行って来いと!?」思わず大きな声が出てしまい、慌てて口元をふさぐ。「無理だよ!」

「見つかったところで、棒で叩かれる程度でしょう」

「よく言うな。じゃあレイがやれよ!」

「私は隠密行動をするには顔が目立ちすぎます」

「正論だけど腹立つな‼」

 仕方なくレイはオークション会場を見張り、ユウはバックヤードでテオとハロの〈ヴァカンス〉を探しに行くことにした。

 関係者入り口と書かれたドアを堂々と開く。幸い、ここはスタッフのAIたちも燕尾服を着ているためユウは目立たない。出品物がずらりと並んだ部屋を見つけ、するりと中に入る。どこも同じような形をした小さな箱が棚に並べられている。タグが付いており、色々な名前が書かれていた。これは有名なオペラ歌手。こちらは著名な作家だ。盗まれた方はまた同じような〈ヴァカンス〉を想像するだけでいいので盗まれてもたいした痛手ではないが、どれもコレクターからすれば垂涎の品であろう。

 その中で見つけた。〈チンパンジー テオ ハロ〉と書かれている二つの箱だ。出品者の欄には〈カナ〉とあった。

──嘘だろ……?

 カナさんが犯人?

「おい、そこで何をしている?」

 出品物を取りに来たらしいスタッフのAIが怪しむようにこちらを見ている。

「所属を言え」

「えっ、えっと……」

 ユウが言い淀んでいると、たちまち他のスタッフAIがユウを取り囲む。

仕方がない。どうせ盗品だ……。

「すまん‼」

 そう叫んでユウは棚の支柱を蹴り上げる。ばらばらと箱が床の上に落ちて割れる音がする。スタッフAIは落下する箱をひとつでも受け止めようと腕を伸ばす。その隙にユウは急いで部屋から逃げ出した。


 オークションが始まり、続々と箱が競り落とされていく。そのなかでついにレイはテオとハロの箱を見た。司会の男性AIが快調に喋りだす。

「そしてこちらは世にも珍しい、チンパンジーの〈ヴァカンス〉です。値段は──から! いかがでしょうか!」

 とたんに激しい競りが始まった。札が次々と上がり、値段が吊り上がっていく。それを他人事のように見ながら、レイは勝負が決するときをまった。数分の熱い競り合いの後、勝者が決まった。

「六十三番のお客様」

 六十三番の札を探す。ボックス席に座っている老紳士が拍手で迎えいれられていた。

「まーた、アンカーさんか」

 レイの隣に座っている男が愚痴を言う。

「失礼。アンカーさんとは、あの六十三番の方のことですか?」

「ああ、そうだよ。あんた知らないのかい? 政府の高官らしい。オークションの腕も確かで、かなりのやり手だよ」

「そうなのですね」

 アンカーと呼ばれた老紳士は顔を仮面で覆っているため表情は読み取れない。だが満足げにしているのは間違いないだろう。しばらくして、座席にユウがやってきた。肩で息をしている。大方、スタッフAIに追いかけられて、逃げてきたというところだろうか。

「箱は?」

「アンカーという方が競り落としました。出品者は?」

「それがカナさんだったんだよ」

「カナさん? 飼育員の?」

「ああ。でも偽造されたIDって可能性もあるよな」

「もちろんあり得ますが、ここは出品者の解析も詳しく行われるでしょうから偽造は難しいでしょう」

 しかし飼育員のカナが犯人というのはおかしな話だった。彼女はチンパンジーの〈ヴァカンス〉を既に持っている。それは失敗作のヨチのものだが、珍しさで言えば、テオやハロのものともさしてかわりない。かたや削除しようとしていたものを、オークションで売りつけたりするだろうか。


「そうだ」

 ふと思いついたようにレイが言った。

「どうした?」

「ユウ、今すぐ〈リアル〉を一度出て、保健所に保管してあるヨチのデータを持ってきてください」

「持ってきてどうするつもりだよ?」

「アンカーさんに近づいてみるのですよ」

「そんなことできるか?」

「物は試しというでしょう」

 しぶしぶとユウは接続を一度きり、今度はヨチの〈ヴァカンス〉のデータを持ってオークション会場に戻った。オークションは既に終わっており、人々が悲喜交々で廊下を歩いている。箱を受け取ったレイは真っすぐにボックス席に向かった。

「ちょっと君、なんだね?」

 怪訝そうな顔でボディーガードが二人を見る。レイはにこりと笑った。

「アンカーさんに商談がございます」

 ガードマンに守られていたアンカーが顔を出す。

「構わないよ。商談というのは何だね?」

「実は私もチンパンジーの〈ヴァカンス〉を持っているのですよ」

「なんと? 本当なのかい?」

「ええ。接続していただければ、わかると思います」

 レイが箱を取り出し、ガードマンの一人が〈ヴァカンス〉に接続する。それからこういった。

「まったく美しくない。こんなものは買うだけ損です」

「そうか……。だが珍しくはあるなあ」

 買うべきか迷っている老紳士に向けて、レイはこういった。

「実はアンカーさんが購入された二頭と、このチンパンジーは親しかったのですよ」

「というと?」

「これはあくまでも私の推論ですが、この箱の持ち主、チンパンジーのヨチと申しますが、ヨチは二頭のチンパンジーに仲良くなってほしかったのではないかと思うのですよ」

「それが〈ヴァカンス〉とどう関係しているというのかね?」

「レイヤーですよ」

 くすりとレイが微笑んだ。瞬間、ユウもすべてを察した。

「そうか。そういうことだったのか」

 置いてけぼりの老紳士が慌てる。

「ど、どういうことだい?」

「ヨチは不出来な〈ヴァカンス〉を創っていると思われていたけれど、本当はとても精密な〈ヴァカンス〉を創り上げていたのです。それは一つでは完成しない」

 レイはアンカーが競り落とした二つの箱を直列で繋げ、ヨチの箱も加える。

「こうすることで三層分の〈ヴァカンス〉が誕生します。接続してみましょう」

 レイはユウにコードを渡す。大人しくユウは指示された通りに〈ヴァカンス〉に向かった。

 そこはまるで別世界だった。

「すごい……」

 見えたのは美しい原生林だった。モザイク状の〈ヴァカンス〉はテオとハロの〈ヴァカンス〉を重ね合わせることで、より高精彩な〈ヴァカンス〉ができあがる。そこにはテオとハロの〈ヴァカンス〉にはなかった木と布で作られた遊び場や果物の生った木々もある。

 三頭の〈ヴァカンス〉から〈リアル〉に戻ってきたユウはレイたちに見たものを伝えた。

「素晴らしい作品だ! ぜひ買わせてくれ!」

 アンカーは喜色満面といった表情をしているが、レイの言葉で凍りついた。

「それはできません。我々、こういったものなので」

 腕に巻いていた立体映像が浮かび上がり、レイが狩人であることを示すIDを提示する。

「なっ!」

「ユウ!」

「わかってるよ」

 逃げ出そうとするアンカーを追いかけ、その仮面を背後から剥ぎ取る。瞬時に顔認証システムにかけてアンカーの本名や役職といった個人情報を引き出す。

「現行犯逮捕だ。逮捕」

「くそ! 放せ!」

 暴れる老紳士の両腕をユウは掴む。オークション会場は騒然としていた。

「さて、ひとまずあなたを警察に引き渡しましょうか。それからこの二つの箱の窃盗ルートを手に入れましょう」

 レイが〈リアル〉内部を管轄している警察を呼び、その場はなんとか収まった。そのまま〈リアル〉で事情聴取を終えて、解放されると、現実世界は夕暮れの時間帯だった。

「今日の仕事はここまでにしましょう。明日、カナさんについて調べてみるということでいいですね?」

「いいけど。……本当にカナさんの仕業だと思うか?」

「さあ。どうでしょうか」

 レイは曖昧にしか答えない。ユウはどうしてもカナを信じてやりたかった。

──弔ってやりたいんです。

 その言葉に嘘はないと思ったから。


 6


 翌日になっても警察は窃盗事件の犯人を挙げられないでいた。

 ユウとレイはカナの仕事場、つまり霊長類研究所にいた。テヒラに会い、カナのいるバックヤードに連れて行ってもらう。

「こんにちは、カナさん」

「こんにちは、レイさん、ユウさん。何か〈オブジェクト〉についてわかりましたか?」

 期待に目を輝かせるカナを落胆させることをユウは申し訳なく思った。

「カナさん、あなたの名字を教えていただけますか?」

「え?」

「は?」

 突然のことで、ユウも驚いてしまう。

「えっとそれは……」

 カナは慌てているようだった。隠し事をしている人間の目だ。

「カーター、ですよね?」

 それはおかしい。ユウは思った。だって目の前の名札には〈カナ・スコット〉と書かれている。

「…………」

 観念したようにカナは腕輪型のIDを見せた。そのIDには〈カナ・スコット〉ではなく〈カナ・カーター〉と書かれていた。

「もしかして所長の娘さん?」

 この研究所の所長の名前はアイン・カーター。年齢的に娘とみるのが妥当だろう。

「職場ですし、秘密にしていたんですけど……。でもそれが何かしましたか?」

「残念ですが、アインさんはあなたのIDを使って、テオとハロの〈ヴァカンス〉を売ったようですよ」

「え!? 父さんが?」

 親子間ならばIDの使用制限は比較的緩い。その隙をついて、アインは娘の名前で〈ヴァカンス〉を売ろうとしていたのだろう。

 カナと共に三人は所長室に入る。カナは憤っていた。

「どういうことなの、父さん!?」

「落ち着けカナ。これには事情があって……。別の研究費用の足しにしようと」

「だからって、テヒラさんたちの研究を軽んじていい理由にはならないでしょう! 警察に通報します」

 冷酷な娘の態度に取り付く島もないと判断したのだろう。アインは何も言い返さなかった。

 しばらくして警察が来て、アインは窃盗の罪で逮捕された。本人もそれを素直に認めた。

 こうして〈ヴァカンス〉窃盗事件は幕を閉じた。


 7


「それで、ヨチの〈オブジェクト〉はどうなったのですか?」

 一週間後。保健所に訪れたカナがユウとレイに訊ねた。

「先ほども説明したように、ヨチの〈ヴァカンス〉はテオとハロのレイヤーを重ね合わせて生まれます。そこで生まれたもの、つまり遊び場や果物、二人が仲良くして遊べるものや食べられるものが〈オブジェクト〉であると考えられます」

「まるで遺言みたいですね……」

 テオとハロが仲良くしてくれますように。

 ヨチはそんな思いを込めてこのモザイク状の〈オブジェクト〉のない〈ヴァカンス〉を創ったのかもしれない。

「この〈ヴァカンス〉、二人の〈ヴァカンス〉に移植しませんか?」

 考えるよりも先に、ユウは言葉を発していた。カナはにこやかな笑顔を浮かべる。

「私もちょうど、そう考えていたところです」

「仲良しになれるといいですね」

 レイが微笑む。

「きっと、ヨチがそう願ってくれたのなら、上手くいくと思います」

 そういうとカナは箱を持って帰っていった。

「動物には死を悼む機能はないそうです」

 ロビーまでカナを見送ってからぽつりとレイが言い出した。

「そんなこというなら人間だって、こころなんて機能はないだろ?」

「たしかにそうですね。我々が知らないだけで、彼らは彼らなりに仲間の死を想っているのかもしれません」


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る