第4章 蝋人形の少女


第4章 蝋人形の少女


 1


 美しい少女だった。髪の毛は腰の上あたりで切りそろえられた黒髪で、瞳はターコイズを思わせる青色。着ているのは清楚なグレイのワンピース、年齢は十七歳くらいだ。

 ただその少女は呼吸をしていなかった。病的に肌が白く、血管がなかった。彼女は蝋でできていた。

「これって、〈オブジェクト〉って言うのかな……」

 暗い室内の中で、ぽつりとユウがつぶやく。

「生物でなくとも本人がそれをそうと定めているのなら、〈オブジェクト〉足りえますよ」

 レイが言った。

「あの、削除に同意されますか?」

 ユウが用紙を近づけても、美しい蝋人形は目玉すら動かさない。

「どうすりゃいいんだ」

 ユウが嘆く。

「おや……?」

 なにかに気がついたのか、レイは薄暗い部屋に置かれていた懐中電灯のライトをつけ蝋人形の方に向けた。

「似ていませんか?」

「何に?」

「この〈ヴァカンス〉の持ち主であるガイさんにですよ」

「ガイさんは男性だろ?」

「目元や鼻筋が似ています」

 なぜでしょうか、と呟きながらレイはしげしげと蝋人形を見つめる。たしかに写真で見たガイ・ソーニャと似ている。けれどなぜ?


 2


 保健所に戻り、地下室で待たせてあるガイの父親、タイと向き合って座る。

「〈オブジェクト〉は削除に同意しませんでした」

 顎ひげを蓄えた老紳士はごほんと咳払いをした。

「そのまえに、どのような〈オブジェクト〉だったのか教えていただけませんかな?」

「蝋でできた少女です」

 レイが言うと、タイは大きくため息を吐いた。

「そんなことだろうと思ったんだ……」

 つい好奇心が頭をもたげ、ユウは訊ねてしまった。

「あの、どういう意味ですか?」

「ええ、説明すると複雑なのですが……。その〈オブジェクト〉、息子の顔に似ていませんでしたか?」

 レイが頷く。タイはますます顔を苦くさせた。

「息子には女装趣味がありまして、〈オブジェクト〉は自己投影先だったようなのです」

 ユウは驚いたが、極力顔に出さないように心掛けた。センシティブな情報を取り扱うのもこの仕事の特徴だ。

「なんというか、あの蝋人形は私にとっては不気味な存在なんですよ。なんとか削除させてくれませんか?」

「全力を尽くします」

 いつもの胡乱な営業用のスマイルを浮かべる、レイ。タイをロビーまで見送ってから、思いついたことをつらつらと話し出した。

「あの蝋人形の〈オブジェクト〉が削除に同意しないのには理由があるのでしょう」

「どうせまた調べものだろ。まあ、仕事だからするけど」

「あの蝋人形を顔認証システムで検索してみましょう」

「顔認証システム? どうして?」

「蝋人形に自己投影していたのなら、〈リアル〉で自分のアバターとして使っていた可能性があります」

「ああ、なるほど」

 室内に戻り、〈リアル〉に接続する。するとあっさりと蝋人形と同じ顔のアバターが見つかった。

「けどおかしいな」

「何がですか?」

「このアバター、二つある。一つは消されてるけど、もう一つはアクティブ状態だ」

消されている方は当然、他界したガイの分だろう。ではもう一つは?

「それはついていますね。会いに行ってみましょう」

 アクティブ状態ということは今現在、〈リアル〉に蝋人形のアバターがいるということだ。いったい、どんな人物がこのアバターを使っているのだろうか。


 3


 そのアバターは、『トリップルーム』という風俗店にいた。見目麗しい女性たちをガラスの部屋に閉じ込めてその生活のありさまを見るのがコンセプトらしい。

「狩人が何の用?」

 店に入るなり、ボーイの男が訊ねてきた。

「こんな女の子がここにいませんか?」

 レイが蝋人形の顔を表示させると、男は眼鏡をくいっと上げた。

「ああ、いるよ」

「呼んできてくれますか?」

 男はむすっとした顔をした。面倒なのだろう。けれどここで公務員にたてをついてしまえば、後々さらに面倒なことになるかもしれない。しぶしぶと男は店の奥に消えた。しばらくして蝋人形の女の子とそっくりな顔をした少女が現れた。

「なんの用?」

 おや、とユウは思う。思ったよりハスキーな声音だ。

「あなたと同じアバターを使っているガイ・ソーニャさんが亡くなりました」

「ガイさんが……?」

 さすがに少女も驚いたようだ。

「残念ですが。突然死だったそうです」

「……そう、ですか」

「お名前をお聞きしても?」

「アリア……っていうのがこのアバターの名前。僕はリヒト」

 リヒトは男性によく用いられる名前だ。

「男?」

「こら、ユウ。失礼ですよ」

 リヒトは頭をぐしゃぐしゃと乱雑にかいた。

「別に。慣れてる。ガイさんとは女装友達だった。このアバターを作ったのもガイさん。僕はそれを借りてるんだ」

「アバターの貸し借りをするなんて、よほど仲が良かったのですね」

 アバターを使うには大金が必要だ。二人で金を出し合って作ったのだろう。しかしその声を聴くに、声音を変えるまでは金銭が足りなかったようだけれど。

「まあね。こんな趣味の男なんてなかなかいないし。そっか。死んじゃったんだ。明日、ここで会う予定だったんだけど信じらんないな……」

 リヒトはしゅんとうなだれる。ユウはこういうときにかけるべき言葉を未だに見つけられないでいた。ただリヒトの手首には不自然な傷があった。長袖で隠れてはいるが、よく見るとそれはリストカットの跡だった。真新しい傷跡、女装趣味の少年、亡くなった憧れの人。彼の心の隙間は、欠けてしまった部分の大きさは計り知れなかった。



 蝋人形の少女は相変わらず薄暗い部屋の中央に座っていた。今にして思えば、この部屋が暗いのははっきりと姿を見せないためのものなのだろう。自分の身体の性別を曖昧にさせるための霧のようなものなのだ。

「なにか言いたいことはありませんか?」

 優しくレイが蝋人形の前に立った。

「あなたはアリアさんですね」

 ゆっくりと蝋でできた唇が動いた。

「そうだよ」

 男の声ではない。完璧な女性の声だ。〈リアル〉と違って〈ヴァカンス〉ならば、金銭の支払いはなしでも〈オブジェクト〉を好きに創れる。

「リヒトに会ったんだね」

「ええ。あまり良いとは言えない場所で、ですが」

「許してやってよ。あいつ、息抜きできる場所があそこくらいしかないんだ」

「というと?」

「家が厳しいんだと。聞いてもはぐらかされるから、よくは知らないけど」

 ユウが訊いた。

「助けてあげたいと思う?」

「それは私が? それともガイが?」

 たしかに目の前の〈オブジェクト〉はガイが創った理想の自分だ。だが、ガイその人ではない。

「ガイさんは亡くなった。俺は君の意見を知りたいよ、アリア」

 アリアは一瞬、視線を下げた。

「助けてやってほしいと思うよ。リヒトは可愛い弟みたいなものなんだ」

「ではもし彼の考え方を少しでも変えられたら、削除に同意しますか?」

 目ざとくレイが問いかける。アリアは頷いた。

「いいよ。それだけの価値がある」


 5


 リヒトの家を見つけるのはそう難しいことではなかった。もう一度〈リアル〉へ行き、例の店を訪れる。ボーイの男にそれらしい嘘をつき、リヒトの家の情報を聞き出した。それからまた保健所に戻り、モービルに乗り住宅街へ向かった。

 リヒトの家は高級住宅街に位置していた。さて、ここからどうしたものかとユウは熟考する。正々堂々と正面から中に入って、保護者面談というわけにもいかないだろう。

 モービルに乗りながら家を見ていると、リヒトが二階のベランダに出てきた。今にも泣きだしそうな顔で何かを叫んでいる。すると慌てた様子で父親と母親と思しき人がそれを止めにきた。弟らしき子供がガラスの奥で笑っている。

「今は行くべきではなさそうですね」

 モービルの中でレイが言う。仕方なく二人は保健所に戻った。午後からはもう一度、タイとの話し合いがあった。

 地下の部屋で蝋人形の少女と話したことを伝えると、タイはゆっくりと頷き、一定の理解を示した。

「わかりました。全て狩人さんにお任せします」

 ユウが頭を下げる。

「ありがとうございます。それと、ガイさんについてもっと詳しく知りたいのですが、よろしいですか?」

「それが削除に関係が?」

「リヒトくんを説き伏せるのにはガイさんの話を持ち出すのが一番効果的だと思います」

 横にいるレイも頷いた。

「私もそう考えます」

「わかりました。では……つまらない話ですが。私の息子は俗にいう不良でした。今にして思えば、私たちの躾が厳しいあまり、自分を抑圧した反動が息子をそうさせたのだと思います。警察沙汰にも何度かなりました。なんとか不良の仲間たちと縁を切らせたら、今度は女装を始めました。思うに、ガイは違う自分になりたかったのだと思います。親や社会と無関係な新しい自分になろうとしていたのだと……」

「リヒトくんもガイさんと同じ理由で趣味を楽しんでいるのでしょうか?」

 独り言のようにレイが言う。

「そうかもしれないな。リストカットの跡、見ただろ? ただの趣味なら構うことないけど、リヒトくんは何かに苦しんでいるんだ。たぶん親子関係で……」

「明日、もう一度、リヒトくんの家に行ってみましょう」

「わかった」


 6


 翌日、リヒトの家の前にモービルを停めて、二人は家のチャイムを鳴らした。出てきたのは母親と思わしき夫人だった。

「何か?」

「こういうものです」

 ユウがIDを見せる。

「狩人さん?」

「リヒトくんと少しお話をしてもよろしいですか?」

「えっ。だ、ダメよ」

 わかりやすく母親はうろたえた。

「なぜです?」

 あくまでもレイは静かで優しい声音を崩さない。

「失礼します」

 母親がレイの方を見ているうちに、ユウがするりと部屋の中へ入る。

「ちょっと!」

 越権行為で後から叱られるなと思いつつ、ユウは家の中へ入り、二階へ上がる。子供の悲鳴が聞こえた。

「リヒトくん!」

 子供部屋の扉を開ける。中にいたのはリヒトとその弟だった。

「リヒト、くん……?」

 弟の顔が血まみれだった。殴られたあとだ。そしてリヒトの手は血で濡れていた。リヒトは茫然とした顔でこちらを見ている。フリルのついた服が血で汚れていた。

「ルト!」

 部屋にやってきた母親が、弟の名前を叫んで抱きしめる。

「リヒトくん!」

 ユウがリヒトの両肩を掴み、何度も揺らした。しばらくして魂が身体の中に戻ってきたかのようにリヒトはこちらを見た。

「狩人さん……」

「君は、どうして、こんなことを……」

 ベランダから叫んでいた少年を思い出す。叱っていた両親。窓ガラスの向こう、笑っていた弟。あれは笑っていたわけじゃない。安心していたのだ。リヒトは弟を虐げていたのだ。

「わからない……」

 リヒトは目に涙を浮かべ、それがぽろぽろと零れ落ちた。

「わからないんだ……」

──違う自分になりたい。

 ガイとリヒトは似ているのかもしれない。手首を切っていたのは、おそらく自己嫌悪からきたものだ。

「もう大丈夫ですよ」レイが言った。「あなたはもう誰も傷つけないで済みます」

「何を根拠に……」

「あなたが変わろうとしているからです」

 レイが屈み、リヒトと視線を合わせた。

「そうでしょう? アリアさん」

 アリアと呼ばれたリヒトは、はっと目を上げた。

「あなたは違う人間になろうとしている。弟を虐げる自分ではなくて、弟を守れるような自分へ。違いますか?」

「違わない……」

「自分を信じて、変わりましょう、アリアさん」

 涙を流しながら、アリアは頷いた。


 7


 翌日、ユウとレイは〈オブジェクト〉であるアリアのもとを訪れていた。

「以上が事の顛末です」

 語り終えたレイはにこりと笑い、アリアの方を見る。

「そうか。ありがとう」

「あなたの後顧の憂いはなくなったわけですね」

「ああ。削除に同意するよ」

 ぺらりとユウが懐から用紙を取り出す。アリアはそれに躊躇せずにサインした。

「私はガイであり、アリアであり、リヒトだった」

「あなたはあなただよ?」

 当然のことだというようにユウが言う。

「〈オブジェクト〉なんかに優しい人だな」

「なんか、じゃない。あなたは誰かにとっての大切な他者であり、思い出だ」

「あなたたちはそれを優しく摘み取る狩人だな……」

 さらさらと砂の城が崩れていくように、アリアの輪郭が薄れ、風に流れて消えていく。その姿を二人は最後まで静かに見守っていた。



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