第16話 僕たちの恋の行方は--

僕の名は「新田 優一」。

少し前に交通事故にあって、1ヶ月以上のあいだ、直近2、3年の記憶を失っていた。

その時の事を、まだ、今でも思い出す。

悪い夢のような話なんだ。

愛する人の愛に答えられず、ただ傷つけてしまうだけの自分がいて、その自分を後ろから幽霊のように見つめていることしか出来ない。

愛する人の名は、もちろん「西森 譲」。

西森さんが、僕のことを一生懸命助けようとするんだけど、それは僕であって僕じゃない存在なんだ。

西森さんは、僕と似た人形を、気がつかないまま、僕だと信じて疑わないんだ。

正確には、その人形に、なんとか魂を込め直そうとしている感じに近いかもしれない。

あれは、そんな体験だった。

ね、ひどい話でしょう?

でもね、この話、僕的には良いところもあって、それは記憶をなくしていた時の事もちゃんと覚えていることさ。

西森さんの、それはそれは深い愛を感じたよね。

実を言うと、記憶が戻った瞬間は、ひどく困惑したんだ。

一瞬のうちに、大量の情報が頭に流れ込んでくるような感覚があって、まるで激しい濁流に身をさらわれる思いがした。

その後で、人形だった自分が、西森さんに対して、しでかしてきた事を思い返して、涙が止まらなくなった。

そう、あれは僕じゃなくて、人形だった。

西森さんが、人形だった僕を人間に戻してくれたんだ。

想いが、溢れてしまった。

え、どんな想いだって?

そんなもの、愛情に決まっているじゃない。

僕は今、とある施設の一室で、そのときのことを思い出しながら、"その"準備をしている。

少し、恥ずかしい。

でも、めちゃくちゃ嬉しくて今にも死んでしまいそうになる。


まさか、僕に、こんな日がやって来るなんてね--


「新田ぁ、準備は出来たか?」


重厚な木製の扉を開けて、西森さんが声をかけてくる。

西森さんは、ヘアースタイルを完璧にセットして、黒のスーツを着ている。

スーツといっても、ただのそれじゃない。光沢があって、コオロギのように背広の裾が伸びているものだ。

とびきりにカッコイイやつだ。

背の高い、西森さんにはスーツはなんでも良く似合うけど、うん、これが一番かな。

それを今、西森さんは僕のために着こなしている。


「新田--聞こえてるのか」

「はっ--」


僕は我に返る。どうやら、西森さんのその素敵な姿に見とれてしまっていたようだ。


「へぇ--」


つぶやくと、西森さんは、それから、僕の前まで歩いてきて、僕の見た目を上から下まで観察しはじめる。


「よく似合ってるじゃないか」


西森さんは言う。

僕はすぐに赤くなる。


「やっぱ、花嫁といえば白だよな」

「、、、花嫁--うーん、それは荷が重いなあ」


僕は照れるように答える。

僕は、白のスーツを着ている。やはり燕尾服タイプだ。

もうお気づきだと思うけど、ここは都内の小さなチャペルの一室だ。一般的な結婚式とはちょっと形式が異なるけど、僕たちは今日ここで挙式をあげる。

控え室で、僕はその準備をしていたんだ。


「カッコよく決まってますか?」


いつもは特別何もしないけど、今日は髪型も少しだけ、セットをした。

なので、僕は自信がなくてそう尋ねた。


「ああ」


西森さんは笑ってうなずいた。


「最高に、可愛いよ」

「また、そうやって--もう、そんなことを言われても、ただ恥ずかしいだけの年齢になったんですよ、僕は」


少し恥ずかしくなって、僕は言う。

僕は今、26歳だ。

少し寂しいけど、顔からは幼さが消え、完全に大人になった。仕事柄か、目に少しクマも出てきて、そのことがとても気になりだしている。

それは、なるべくなら可愛いままでいたいさ。だけど、いつまでも若さに頼ってはいられない。

まあ、頑張りはするけど、そのあたりのことを、西森さんにはちゃんとわかってもらわないと。


「もう一度、ちゃんと褒めてくださいよ。可愛い以外で」

「うーん、キュート」

「却下」

「じゃあ、スイート」

「はあ、もういいや」

「うそ、うそ--ごほん」


西森さんは楽しそうに言い、咳払いをすると、急に少しだけ真面目な顔つきになる。


「めちゃくちゃカッコイイよ、新田。まるで王子様みたいだ。オレが、お姫様でないことが悔やまれるよ」

「西森さんは、僕にとってはお姫様みたいなものですよ」


僕は、負けじと、笑みは浮かんでいるけれど真面目にそう返す。

それは前々から思っていたことで、口に出してみたかった言葉だ。


「ぷ、そりゃいいや」


西森さんは可笑しそうに笑う。

僕たちには、男女のそれとは異なる価値観がある。一般の人から見れば、気持ち悪いと思う部分でも、僕たちの目にはそれは素敵な長所に映る。

ねえ、それって、ものすごく素晴らしいことだとは思わない?


「じゃあ、行きましょうか--」


僕は言うと、背伸びをして、西森さんに軽くキスをする。

すると、僕たちは見つめ合い、お互い穏やかな顔になる。

今度は、西森さんの方から、僕にキスを返してくる。

僕はドキッとする。


「さて、お姫様は交代だ。今日は、オレがエスコートさせてもらうつもりだからな」


男らしく、西森さんは言う。

それは、それでかまわないけど、僕には少し違和感がある。


「ねえ、やめましょうよ。どっちが、どうだとか。僕たちは、僕たちなんだから」


僕は言う。

心から、そう思っている。そして、僕たちはそれ以外の何者でもないのだ。


「ああ、そうだったな」


西森さんはうなずく。もちろん、西森さんも同じ思いであるはずだ。


「どっちがうまくエスコート出来るか、勝負だな」

「はい--」


それから間もなく、無事に式は執り行われた。

迎賓は、それぞれの家族と、木下さん、水上くんと、とても少人数だが、十分だった。

僕の両親もそうだが、西森さんの母親は、とても喜んでくれた。僕を正式な息子にできることが、嬉しくてたまらないらしい。

もちろん、僕も嬉しいよ。


「新田くーん、とても似合ってるよ」

「新田先輩--そ、その、とてもカッコイイです!」


ヴァージンロードを歩いた時、木下さんと水上くんが、そう褒めてくれた。

僕と西森さんは、その後、神父の前で宣誓をし、手順どおり指輪を交換し、それをお互いの薬指に嵌めてゆく。

そして誓いのキスを促される。

僕たちは、どちらからともなく、みんなの見ている前で唇を合わせる。

少し、どよめきがあがる。

僕も少し、恥ずかしい。でも見せつけてやりたい気持ちもあるのだった。

式は、これで終わりで、披露宴はなく、挙式だけの形式だった。

僕たちには、それで満足だった。

ひとつのケジメでもあるし、身をもってこの先なにがあるかわからないことを知った--そういう経緯もあって、あれから、僕たちは式場を探し始めたんだ。


「おめでとう」


と、みんなが僕たちを祝福し、拍手してくれた。


「ありがとう」


と、僕たちは返事をした。

僕たちは、やはり少しだけ泣いてしまった。

嬉しくて、幸せで、そしてやはり、恐くて--


--


挙式から、数ヶ月が経っていた。

僕たちは、マンションを立ち退き、引っ越していた。

西森さんと僕は、都心から少し離れたところに、それぞれ半々ずつの責務でひとつの家を買った。

そこまで大きくはないが、二人で暮らしていくには十分な広さがあって、ちょっとした庭も付いている。また、周囲に他に家がないことを条件にしていた。駅からは歩きだと厳しい、山間の麓に、ポツンと僕たちの家が立っている。

自然が多いその場所は、西森さんの希望だった。

来年に向けて、西森さんは、家庭菜園に精を出しており、庭にはプランターがたくさん並んでいる。

家は、合掌造りで、木の温もりを重視したログハウスのデザインだった。

二階建てで、一面の合掌の部分がテラスになっていて、僕はそこの手すりから顔を出して、西森さんの庭での動向を見守ることが日課になっている。

ところで、僕たちが今現在、何をしているかということだけど--


「--ん、ん、、、はぁ」


覆い被さる体勢で、僕は西森さんに濃厚なキスをしている。

ベッドではない。

僕と西森さんは、今、浴槽に入っている。

泡風呂をしてみたいという、僕の願いを聞き入れ、昼間のこの時間にそうしているのだった。

日々、性というものを、貪っている。

僕たちには、本当に色々な事があった。

辛いことも沢山あったけど、おかげで、僕たちはお互いを埋め合うことが出来る関係性を築けたし、最高のパートナーであることを自覚し合っている。

今が、僕は人生の幸せのピークだと考えている。

だから、今のうちに、激しく求め合いたいと思っている。

時間とともに、いずれ、この炎は弱まるだろう。

消えることは無いとは思っているけど、そうなってしまうことが、とても寂しい。

特に僕は、そういうポジションでもあるから、尚更、そう考えてしまう。

年老いて、求められなってしまうのは、やはり寂しい。

それを考えると、泣けてくるし、恋は期限付きのものなのだなと思う。

だとすると、愛は--?

西森さんは、両腕を浴槽のふちに投げるかたちでリラックスしている。目を閉じていて、今にもため息のひとつでも出そうな緩みきった顔つきだった。

この人は、そのことについて、どう思っているのだろうか--


「西森さん」


僕は前々から気にしていることを聞いてみることにした。


「--ああ、なんだ?」


西森さんは、ぼんやりと目を開ける。


「今、僕たちの関係はピークだと思うんですよ。そのことについて、悩んでいます」

「--」


西森さんは、僕のその言葉を耳にし、何かを考えるような顔をする。


「あと5年もすれば、さすがに今みたいなことは、なかなかしなくなると思うんです。ぶっちゃけ、その頃の僕たちは、まだセックスをしていますかね」

「、、、」

「まだ、お互いを求め合える関係でいられていますかね」


僕は、西森さんの肩に両手を置いて、少し悲しげな顔をする。


「新田--お前、少し誤解をしてる」


西森さんが、僕を見上げるように見つめて、優しい顔をする。


「セックスだけがすべてじゃない。オレは、お前の声や、動作、一挙手一投足に癒されている。考え方や、性格も好きだ。だから一緒にいたいって思っている」


言って、西森さんは体制を起こす。

僕たちは浴槽の中央で向き合う形になる。

それから、西森さんは、僕の両手を掴む。


「だから諦めて、オレと一緒に歳をとってくれ。頼むから、どうか、オレの醜くなる姿を見ていてくれ。お前も、オレにその姿を見せてくれないか?」


西森さんのその言葉は、前々から、僕が欲しかった言葉そのものだった。

思いがけず、僕は少し涙ぐむ。


「--嫌いにならないでくれますか?」


僕はあえて答えのわかってることを尋ねる。


「ああ」


西森さんはうなずく。


「でも、できるだけセックスはしたいな」

「ああ」

「おじさん同士になるけど、今まで通り、お出かけはしたいな」

「ああ」

「ひとりで寝るようになるのは嫌だな」

「ああ」

「--死ぬ時は、一緒がいいな」


そう言った時には、僕は完全に泣いてしまっていた。


「--新田」


僕の震えを止めるように、西森さんが両肩に手を置く。


「お前が思っていることは、全部、オレも思っているよ。そのくらい、もう、わかっているだろう」

「、、、うん--」


うなずき、僕は指で、涙を吹く。

そして、笑顔を見せる。


「この後は、どうしますか?」

「--馬鹿、それも決まってるだろう」


西森さんが不敵に答え、僕は西森さんに押し倒される。

もちろん、答えはすべてわかっている。

僕たちは、短い時間の中で生きている。

浮き沈みがあるのが人生だ。良い時もあり、悪い時もあり、そして、そのどちらも永遠に続くことはない。

僕たちは、恋というものを謳歌し、そして愛というものを大事に燃やしてゆくことだろう。

それが、無くなってしまわないように。

僕たちの愛は、いずれにせよ、かたちを変えるだろう。残酷だけど、それは時間の中に生きている以上、どうしようもない定めだ。

やがて、穏やかさだけが残り、その中で、僕たちは死んでゆくことだろう。

だから、せめて、今だけはこの炎に身を委ねよう。

燃やして、燃やして、燃え尽きるまで--


「--はあ、はあ、、、」

「新田--」

「西森さん--」

「愛している」

「--僕も、愛しています、、、」


僕たちは幾度となくセックスをし、そして、この言葉を言い合うだろう。

愛が二人を分かつ時まで--


そのとき、ふいにピンポーンという呼び鈴が聞こえてくる。


「--げ、やべぇ」


西森さんが行為をやめ、青ざめる。


「どうしたんです?」

「すっかり忘れてた! うちのおふくろが、今日来ることになってるんだ」

「ええええ--!」


僕は驚きをあげる。


「こんにちはー、いるのー?」


かすかに外からその声が届いてくる。

西森さんは先ほど外に出ていたから、ドアには今、鍵が閉まっているかどうか、僕には判断するすべがない。


「ち、ちょっと待ってろ--!」


西森さんは大声で言い返す。

嫌な予感がする。

玄関のドアが開く音が聞こえた気がする。


「ば、馬鹿!」

「--ハハハ」


慌てて飛び出してゆく西森さんの様子を見て、僕は可笑しくて笑ってしまった。

一人残された僕は、泡を手にすくい、ふぅっと息をふきかけて飛ばすと、それはいくつかの小さなシャボン玉となって、浴室をふわふわと飛んだ。

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先輩、僕をアジャイル開発しないでください! 紫之崎 @konmana

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