第6話 先輩! 勝手なことばかりしないでください!

「--失礼します」

「おう」


オフィスからほど近い、西森の借りているマンションだった。

入ってすぐの通路の壁際にキッチンがあり、反対側にはトイレと脱衣所に続く扉がある。

それを抜けるといつものリビングがあり、もうひとつ先が寝室になっている。


「ああーー今日もくたびれたなぁ!」


カバンを床に放り投げると、西森は乱暴にソファに着席した。

新田は考えていた。

部屋を見回すと、やはり無駄なもののない空間だった。今なら、そうした理由もわかる気がした。


「新田、悪いが冷蔵庫からチューハイ出してくれよ。お前もなんか適当に飲め」

「は、はい--」


物思いに耽ける新田は、少し声が裏返った。

冷蔵庫から缶のチューハイを取り出すと、それを西森に手渡した。


「ありがとな」


西森は礼を言い、チューハイを空けた。一瞬、炭酸の抜ける音が鳴ると、西森はそれを口にした。


「はぁ、生き返るぜ--おい、新田。いつまで突っ立ってるんだ? まぁ、座れよ」

「--はい」


西森に言われ、新田もソファに腰を下ろした。

新田は、膝の上に置いた両手の指を組んだまま、沈黙を続けるテレビの方を無言で見つめていた。


「--新田」


ソファの背もたれに片腕を投げた体勢で、チューハイを何口か飲んだ後に西森が言った。


「お前、なにかオレに聞きたいことがあるんだってな」

「、、、はい」


おどおどとした表情で答え、新田は西森の方に少し向き直る。


「先輩は、その--以前、ご結婚なされてたんですね」


新田のその言葉に、西森の動きが一瞬とまった。


「--はぁ、そうか。木下のやつ、話しやがったのか」


少しのあいだ考えて、西森は答えを見つけた。


「すみません--おっしゃるとおり、木下さんからお聞きしました」

「何を、どこまで聞いたんだ?」

「その--奥さんが亡くなられたこととか、昔、木下さんと恋人だったこととか」

「、、、そうか」


何かを考えるように、西森は言った。


「それで--その話が、お前となんの関係があるんだ?」

「それは--」


新田は言う。


「なんというか、僕その--先輩の力になりたくて!」

「、、、」


西森は少しのあいだ沈黙し、


「ありがとな。もう十分、力になってるよ」


とだけ言った。

宙を見据えたまま、新田のことは見向きもせずに。

その様子を見て、新田には込み上げる思いがあった。

自分でも、薄々とわかっていた。西森といると居心地がよかった。職場でも、西森のことばかりを目で追い、そして常に会話の口実を探していた。

木下との会話が、新田の気持ちを高ぶらせて、そして火をつけてしまった。

西森先輩のことが好きだ--

その気持ちが、もう止められそうにない。

新田は、組んでいる指先に力を込めた。


「あの、、、西森先輩! 僕、実は先輩が--」

「それ以上は言うな、新田」


新田の一世一代の言葉を、西森がさえぎる。

新田は一瞬ビクリと震え、沈黙した。

やがて西森が口を開く。


「、、、オレは、何も聞かなかったことにする。お前の方も、何も言わなかったことにしろ」

「--どうして」

「どうしてもだ」


厳しい面持ちで、西森は新田の顔を見た。


「わかったな--悪いが、今夜はもう帰ってくれ」


新田を見つめる西森の険しい瞳--それは完全なる拒否を示していた。

新田はそれから、何も言わずに西森のマンションを出た。

無意識のまま、駅へ行き、電車に乗り--肉体から魂が抜けたような状態で、気がつくと、新田は自分のマンションの一室に帰ってきていた。

身体の力が抜け、手からカバンが床に落ちる。

新田の部屋は広めのワンルームだった。

パソコンデスクとベッドがあり、他にはテレビと本棚がある。

ベッドには、いつの日か西森に取ってもらったUFOキャッチャーのよく知らないぬいぐるみがちょこんと座っていた。

そのぬいぐるみを手に取り、新田はベッドには転がった。

--やってしまった

新田は思った。

今後、西森とはもう二度ともとの関係に戻れないと思った。

何も無かったことにするとは言ったが、両者のあいだでは、確実に何かが失われてしまった気がした。


西森先輩--


「、、、う、うぅ」


新田はふいに溢れ出る涙を片腕で塞いだ。

心にポッカリと穴が空いた心地がして、胸が苦しくなった。

考えが甘かった。どこか、自分ならばという変な期待を抱いていたのかもしれない。それが暴走を引き起こしてしまった。

愚かな自分の行為に、悔しさが込み上げていた。


「西森先輩--」


泣きながら、新田はつぶやいた。

西森との思い出が、次々と頭に浮かんでは消えてゆく。過ごしてきた思い出の分だけ、涙が出てくる気がした。

時計の針のかすかな音と、新田の嗚咽の音だけが部屋に響いていた。


--翌日、翌々日、一週間。


新田と西森は、オフィスで顔を合わせるものの、特に仕事以外の会話をすることがなくなっていた。

お互いに目線を合わせることを避け、仕事のやりとりも席が隣であるのにチャットで済ませるようになっていた。

新田は、自分が感情のない人形のようになった気がした。


--このままじゃいけない


ある日の朝、新田はそう決意した。

せめて、もう一度、この気持ちをきちんとぶつけよう。

思いの丈を、すべて吐き出そう。

それで現状を何も変えられないのなら--その時は、今の会社を退職しよう。

このままでいるのは、あまりにも辛かった。

時々、辛すぎて夜に泣いて眠れないことさえあった。

覚悟をすると、新田は久しぶりに活力が湧いた気がした。

オフィスへ出社し、自席に座った。

この日、西森はまだ、来ていなかった。

西森を待つ新田。しかし待てども、西森が現れることはなく、始業を告げるチャイムが鳴り響いた。

新田は不思議に思い、注意深く西森の机周りを観察する。そして違和感に気づいた。

西森は、コンプライアンスを遵守するとはいえない男だった。時折、資料なども机に出しっぱなしで帰ることもある。ペンや付箋、ペットボトルなども基本は放置されているのだ。

そうしたものが、この日はいっさいなかった。

新田は慌てて西森のキャビネットを開くと、やはり中身はなかった。

新田は次に会社から支給されているパソコンを開いた。一通のメールが、会社から届いていた。


新田くん

お疲れ様です。

人事部の〇〇です。


すでに本人からお聞きしてるとは思いますが、昨日を持って、貴方の直属の上司である

西森は退職いたしましたので、明日より代わりの者がそちらの現場にアサインします。

業務内容の連携など、しばらくのあいだお手数かけますが何とぞフォロー願います。


「ははは--」


乾いた声で、新田は周囲を気にせず笑った。


西森先輩--


それはあまりにも勝手すぎはしませんか--

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