第46話 天使の好きな人

 今すぐに答えは聞かない、と彼女は言った。

 そして俺達は妙にぎこちない感じになりつつ、それぞれの教室に戻るしかなかった。


 余りにも衝撃的な学園の悪魔からの告白。もう、授業中の先生の声なんて耳に入るわけがない。


 まさかとは思ったが、夏希に告白されるなんて。そして、抱きつかれたところを春華に目撃されてしまうなんて。


 そんなことを考えつつ、掃除の時間前にトイレに寄った時のことだ。あの王子様とか呼ばれていた薬丸っていう男とすれ違ったんだけど。


「……ちっ」


 なんか俺を見た途端、露骨に嫌そうな顔をして、すれ違ったら舌打ちされた。なんだよ。お前に恨まれることなんて何もしてないぞ。意外と感じ悪い奴だ。


 俺は放課後まで半ば呆然として過ごし、終業の鐘がなってからようやく我に帰る。


 学園の天使からも、悪魔からもその後ラインはきていない。正直、俺のほうからも何を言うべきなのか解らない。あんな現場を目撃しても、きっと天使は誰かに教えたりはしないんだろう。今までの付き合いでそれは解っている。変なスキャンダルとなって、悪魔が追い詰められることはきっとないはずだ。


 気がつけば意味もなく、けっこうな時間教室に残っていた。何やってんだよ俺は。ようやく重い腰を上げて昇降口までたどり着き、靴を履き替えながら、今ある最大の問題について考える。学園の悪魔に告白されて、俺はYESとNO……どちらを返答するべきなんだ。願ってもないことだというのに、どうして直ぐにYESという気になれないのだろう。


 まだまだ日差しは強くて、九月に入っているのに気温は三十度を余裕で超えていた。でも、今日は特に暑さは気にならなくて、ずっと考えることだけに意識が支配されている。そして校門を出ようとした時、


「秋次君っ!」


 背後からよく知っている、アイドルよりも透明感のある声が響いてきた。急激に高鳴る心臓と、周囲の景色が見えなくなるような錯覚。俺は静かに振り返った。


「……春華」


 彼女は何も言わず、ただ静かに俺の側までやってきた。今までとは何かが違う。


「ねえ、一緒に帰らない? ちょっとお話したいことがあるの」


 断るという選択肢は微塵も浮かばなかった。


「ああ。じゃあ、行くか」


 学園の天使、海原春華と一緒に下校するのはずいぶん久しぶりだが、ついこの前だったような気もする。不思議な気持ちになりつつ、俺達はただのんびりと見慣れた帰り道を歩き、人がほぼいないガラガラの電車に乗る。以前一緒に帰った時と同じで、下校時間が中途半端なせいかほとんど人がいない。


「ビックリしちゃった。あの時」


 さっきまでしていた雑談は終わり、とうとう本題が投下される。この一言だけで、春華が何を言いたいのかはすぐに解った。やべー。またドキドキしてくる。


「そうだな。俺も驚いた」


「ねえ、変なこと聞くようなんだけど」


 ロングシートの角に座っている彼女は、日差しに照らされて本当に天使みたいに光っていた。きっと老若男女問わず見惚れてしまう、魅力の光。


「真栄城さんと……以前からああいうことしてたの?」


「以前からなワケないだろ。今日が初めてだった。俺としても、もう何が何だか解らないっていうか」


「も、もも、もしかして。告白されたの?」


 即答はできなかった。確かに告白をされたことは間違いない。でもおいそれと、それを人に言って良いものだろうか。恋愛沙汰には全く疎いカースト底辺には、対応困難な案件だ。


「そっか。今の反応で解ったよ。やっぱりね」


 もうバレバレだったから、嘘をついても仕方なかったが、それでも俺は答えず黙っている。


「秋次君は、どうするつもりなの? 付き合うの?」


 いつもはピシッと背筋を伸ばしている学園の天使が、珍しく少しだけ猫背になり、若干流し目でこちらを見つめていた。そこが何故か一番悩んでいるところであり、グラグラと揺れている根幹部分だ。もう正直に話す以外にはないようだった。


「……解らない」


「え?」


「どうするべきなのか、俺の中で決まらないんだ」


「ふーん。そっか」


 いつも通り背筋が真っ直ぐな姿勢に戻った春華は、景色を眺めているのだが、リラックスはしてはいない感じだった。何かを言い出す前って感じがする。


 あれ? これってなんか、夏希の時と似てないか。何かしらの爆弾発言がくる予感にビビリつつ、俺も全く関心が薄れている景色を見て固まる。二人ともガチガチに緊張しているような気がするのだが。何を言うつもりなのかは知らないが、今日はこれ以上の衝撃は勘弁してほしい。コミュ障底辺男子のメンタルはもうズタズタだ。


 そうだ。こんな時は話を逸らそう。一旦雑談に戻すべきだと思いつつ、ネタを脳内で必死に探すと一つだけあった。


「そういえばさ。お前最近新しい友達できてたじゃん。薬丸だっけ?」


「え? あ、うん。薬丸君ね」


 俺にとっては忌々しいことこの上なかったが、春華はあっけらかんと答えるのみだ。


「最近アイツとよく遊んでるのか? ほら、この前も一緒に登校してたじゃん」


「……うん。でも、ちょっと距離を置いちゃった」


「え? どうしてだ?」


 こうやって気になると突っ込んでしまうのが俺の悪い癖だと思う。マジで反省する。


「ちょっとだけ前にね。告白されたの」


 ただでさえ関心のなかった景色を眺めることもやめて、俺は咄嗟に学園の天使に顔を向けてしまう。


「告白!? それで、どうしたんだよ……」


 聞いたらきっとショックを受けることなのに、我慢することができなかった。


「好きな人がいるから、ごめんなさいって言ったの。嘘じゃないよ」


 想定していた言葉とは違った。だが俺はその答えによって、更に混乱してしまう。


「ちょ、ちょっと待てよ。アイツは王子様だろ!?」


「へ?」


 天使は目を白黒させてこちらを見つめている。何のことか解らないという様子だった。


「いや、学校のみんなが言ってるから。それにお前は、王子様が好きだって」


「ち、違うよ! 秋次君、全然違うっ」


 いつの間にか電車は、春華の最寄駅に辿り着いていた。彼女は立ち上がり、なぜか少しばかり泣きそうな顔になって、


「私の王子様は、その。薬丸君じゃないよ! 王子様は……その。も、もうっ!」


「ちょ、ちょっと待て! 春華」


 学園の天使はまるで逃げるように電車から駆け下り、俺は追いかけようとしたが扉は閉まった。彼女は立ち止まっている。後ろ姿は普段とは違う儚さに溢れていて、小さな肩が震えていた。俺は大罪人かもしれない。


 アイツを振ったって? 王子様じゃないって……じゃあ、やっぱり。

 春華は俺のことが好きだっていうことなのか。


 呆然と立ち尽くしたまま、電車は進み出した。天使と悪魔が心の中で交互に現れては、俺に選択を迫っているようだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る