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妹:もうだめだ

 お兄ちゃんと顔を合わせたくなくて、いつもより早く起きて諸々の準備を済ませて家を出て来た。

 つい、むきになったから、お兄ちゃんは気付いたかもしれない。

 あたしが本当は妹でいたいんじゃないってことを。

 バスに揺られながら、他人に戻りたがるお兄ちゃんに悲しくなる。


 あたしが居なくても大丈夫だという口で、恋人とか言われても信用できない。

 兄妹をやめて恋人になっても、いつ別れを切り出されるんだろうってきっと心配になる。他人に戻ってしまったら、それで終わってしまうのに。友人なんてもっと怖い。高山さんや千早さんのように、連絡することすら拒まれてひっそりと姿を消すくらい、お兄ちゃんはやる。

 そんなのは嫌だ。嫌なのだ。

 単なる我儘だって分かってる。でも、今以上のベストが思い付かない。


 高山さんと会っている時間は思ったより楽しい。

 もっと会う時間が増えたら、ちゃんと好きになれる気がする。

 お兄ちゃんが本当にひとりでもやっていけるのなら、ひとりがいいというのなら……離れてあげるべきなんだろう。

 だけど、まだ今はその覚悟ができるほどじゃない。都合がいいとは分かってるけど、もう少し高山さんを好きになるまで待ってほしい。


 仕事が上手く手につかなくて、ミスして叱られて。気分は落ちる一方。

 このままお兄ちゃんは帰ってこないかもしれないと思うと、残業する気にもなれず、具合の悪い振りをして早く会社を出てきてしまった。

 家に帰りたくもなくて、適当な店に入って晩御飯にしてしまう。

 注文した一品料理が出てくるのを待ちながら、音声の無い壁掛けテレビをぼんやりと眺めていた。


 ふと、知っている顔が映って身体を乗り出した。

 高山さん?

 カメラを遮るように手を上げて、警察署……かな? に入っていく。音声が無いのでよく分からないが、何かあったんだろうか。

 続く画面の下にテロップが出た。


 『拳銃・麻薬密輸一斉検挙。関係者に関与の疑い?』


 ぱっと画面が変わった先はお兄ちゃんの勤め先の倉庫だった。行ったことはないけど、名前は記憶してる。

 心臓がバクバクいいだした。怪我人が出てるとはテロップには出てこない。

 そうだとスマホで検索をかけてみた。

 いくつかニュースが引っかかる。どれも詳しいことは載ってなくて、怪我人についても触れてない。ダメ元でお兄ちゃんにトークを送ってみた。


 ――ニュース見た。大丈夫?


 返事は来ないけど、勤務時間内なら仕方がない。後できっと来るはずと言い聞かせる。

 結局、頼んだ料理が何処に入ったのかも分からないまま、あたしは急いで家に帰ったのだった。




 家で早めにお風呂を済ませてネットを漁っていたら、トークの入る音がした。

 お兄ちゃんかと急いで確認すると高山さんだった。


 ――ニュース見た?

 ――見ました。お兄ちゃんと会いましたか?

 ――うん。心配してるかと思って。全然大丈夫だから心配ないよ


 高山さんがそう言うなら、大丈夫だろう。やっと肩の力が抜ける。


 ――お兄ちゃんにもトーク送ったんですけど、返事来なくて

 ――事後処理とか、忙しいのかも。こっちも後始末終わったら余裕出来るから、そうしたら温泉でも行こう? 混浴とか、どう?


 にやにやとした顔のスタンプに、取敢えず突っ込みのスタンプを返す。


 ――混浴はしませんけど、温泉はいいですね。楽しみにしてます。

 ――良かった。じゃあ、もうひと頑張りしてくるわ!


 行ってきます、と敬礼のスタンプで締め括られる。

 高山さんもまだ仕事中なんだ。

 なんとなく、ずるして仕事を置いてきた自分が恥ずかしくなる。

 明日は、頑張ろう……


 お兄ちゃんからの返事は、あたしが布団に入る頃届いた。


 ――大丈夫


 味もそっけもない一言に、それでもあたしは満足して、そっと目を閉じたのだった。



 * * *



 翌日、いつもは作らない昼食を冷蔵庫にスタンバイさせて会社に向かう。

 お兄ちゃんの分を作るのも、もう僅かかもしれないと思うと、無性に作りたくなったのだ。

 バスの中でお兄ちゃんに連絡しておいたけど、この時間はバタバタしてるらしく返事が来ないことも多いので、返事を待たずにSNSチェックをしてしまう。友達のインスタとか、ツイッターを覗いて“いいね”をつけたりしてたら、危うくバス停を乗り過ごすところだった。

 

 昨日よりは落ち着いて――というか、諦めの気持ちで――一日を終える。ズルした分の残業も終えてから、お兄ちゃんに連絡し忘れていたことに気付いた。

 晩御飯、待ってるかな。

 トーク画面を開いてみれば、朝送ったものに既読はついているものの、お兄ちゃんからの返事はなかった。新しい連絡もない。

 いつものことと言えばそうなのだけど、小さな不安が忍び寄る。


 それは帰宅してお兄ちゃんの車がないことで一気に膨らんだ。

 お兄ちゃんがいないことは一目瞭然だったけど、帰ってきた形跡すらない。冷蔵庫の中身は朝のままだし、ペットボトル一本減ってない。

 トーク画面を開いて文字を入れようとして、手が震えていることに気付いた。諦めて、そのまま通話ボタンをタップする。

 コール音が聞こえてくる。


 出て。

 お願い。


 落ち着かなくてうろうろしたり、テレビをつけてニュースがないかあちこちチャンネルを変えたりする。

 そのうち、コール音は切れてしまった。

 もう一度かける。

 運転中かもしれない。歩いていて気付かないのかも。

 お兄ちゃんが出られない理由を一生懸命考えて、コールが切れても大丈夫と自分に言い聞かせた。


 二度目のコールが切れた後、SNS経由はやめて、電話帳からコールしてみる。すぐに電源が入ってない旨のアナウンスが流れた。

 倒れ込むようにソファに身体を預けて、しばし呆然とする。

 本当に、もう帰ってこないつもりだろうか。

 お兄ちゃんならやりかねない気がして、心臓が痛くなる。

 こんなことなら、昨日の朝気まずくても顔を合わせておくんだった。

 まだ分からないと思いつつ、押し寄せる後悔に視界が滲む。


 あたしは諦めきれないまま、ソファでお兄ちゃんの帰りを待っていた。

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