兄:そういうところ

 付き合うことになった、はずなのに、朋生はいつものように家に帰って来て、週末は家にいるようだった。

 暇だからどこか行こう、なんて今までと変わりなく誘われて、高山は何やってるんだと思わず眉を寄せる。迎えに来れば来たで面白くないんだろうが、朋生との距離をこれ以上縮めたくなかった。


「高山と、出掛ければいいんじゃないのか」


 だから、何度目かの誘いの後、さすがに口にしたら「うーん」と微妙な返事をされた。

 最初のデートから、かれこれひと月近くはなる。その間に「ご飯食べてくる」と連絡が来たのは二回だけ。それも、残業で遅くなる程度の時間にはもう帰って来てた。週末に至ってはどこかに行ってる気配さえない。俺がいれば、誘われるのだから。


「今、忙しいらしいんだよね。暇が出来たら連絡くれるはずだし、今のヤマ越えたらゆっくりしようって話はしてるんだけど」


 ロシアからの荷物の関係だろうか。でも、いくら忙しいとはいえ、高山が付き合い始めで相手をそんなに放っておくのも解せない。忙しくなるのが分かってるなら、それが片付いてから動くような奴なのに。


「トークでちょこちょこ話してはいるんだよ? 会ってないだけで」

「お前たち、本当に付き合うことにしたのか? 何か……」

「何かってナニ?」


 返答に詰まる。俺が、そうであってほしいと思ってるだけなんだろうか。


「……もしも、俺とあいつらを繋げておく為、とか思ってるなら本当にやめてくれ」

「違うよ」


 車の鍵を取りに背を向けてしまったので、朋生の表情は見えなかった。

 じり、と胸の奥が音を立てる。


「じゃあ、そろそろ兄妹ごっこもやめよう。もういいだろ? 自分でも気づいてる。以前みたいに無気力の塊でもない。ともきがいなくとも、やっていける……はずだ」

「やだよ」


 静かだったけど、きっぱりと言い切って朋生はゆっくりと振り返った。


「お兄の妹はやめない。結婚して、籍が抜けても……やめないんだから」

「ともき……どうして」

「お兄が『兄』を嫌がったって、誰かと結婚したって、血が繋がってなくたって、『妹』はあたしだけなんだから!」


 怒ってるような、泣いてるような瞳の奥で揺れているものに“もしかしたら”を感じる。

 違うかもしれない。俺にはまだ見分けがつかないから。


「ともき……そんなに俺と繋がっていたいなら、友人とか、恋人とかでもいいんじゃないか? それなら、兄妹をやめても……」

「嫌」


 頑なとも言える拒絶に、反射的に舌打ちが出る。何故とどうしてが思考を埋めて次の言葉を見失った。

 朋生は俺のことを嫌いじゃない。それは判るのに。


「あたしがいなくてもやっていけるなんて言う人と付き合わない。妹もやめない。お兄の馬鹿!」


 そのまま玄関を出て行かれてしまって、はっとする。追いかけて、外に出た時にはもう車は動き出していた。

 あいつ、ほとんどペーパーだったのに!

 ポケットに入っていたスマホを取り出して、鳴らせば余計に気が散るだろうかと逡巡する。

 舌を打って、スマホを投げつけたい気分をどうにか押さえ込んだ。

 中に戻ってソファの背中に八つ当たりする。


 確かに、記憶を取り戻した朋生と再スタートする時、あいつは「ずっとお兄ちゃんが欲しかった」って言ってた。つまり、言葉通り、俺に求められているのは“兄”としての振る舞いだけだったってことなんだろう。

 本当の家族の元に帰れないから、俺で埋めていた。それだけのことだ。

 今更。

 自覚してしまってる。俺は“兄”でいることに耐えられない。

 そうなる前に、離れてしまいたいのに……




 朋生が帰ってきたのは、その日も終わりかけた時間だった。

 何度かコールしても電源を切っているというアナウンスが聞こえるだけ。深夜を回ったら署にかけて高山に繋いでもらおうと、スマホを片手に居間をウロウロしてた。

 俺の顔を見て、気まずそうに俯く朋生は「ごめんなさい」と小さく声を震わせる。


「怒ってない。無事ならいい」


 溜息と共にそっと腕の中に包み込みたい衝動を抑える。


「ほんとはね、あたしも分かってる……いつまでもこうやって暮らせないって。だから、お兄。今すぐなんて言わないで。いつか出て行ったとしても、妹でいさせてね。本当の家族みたいに……」


 朋生は俺が答えないのを知っているかのように、一度ぎゅっとしがみついてから自分の部屋に戻って行った。



 * * *



 次の日の朝、テーブルの上には朝食と弁当が乗っていて、『先に行きます』とメモが挟まっていた。

 気持ちが揺らぐ。この場所で台所に立つ朋生をまだ見ていたい。

 でもきっと、だんだんとその回数は減っていくんだろう。分かって、いるから。

 静けさの中で、俺は朝食を胃に詰め込んだ。




 職場に着くと、空気がぴりりと緊張していた。特に変わったところも無いようなのに、朋生と気まずくなったから、そのせいで自分の感覚がおかしいのかと思いながら着替える。

 倉庫に荷物が運び込まれているのを眺めていて、作業員たちに混じってスーツ姿の人間が増えたなと警戒度を上げたところで肩を叩かれた。


「はい。捜索入りまっす。ご協力、よろしくお願いします」


 高山の手には捜索令状。現在時刻と令状内容を読み上げて、捜査員たちは倉庫の中に入っていく。


「面倒だろうけど、立ち会ってもらうよ」


 ぽんぽんと肩を叩かれて、倉庫内へと促される。


「もうひとりは」

「呼びに行かせてる。さて、ちゃんと出るかなぁ」

「忙しいって、これか?」

「まあね。お前の居る時で良かったよ。話が早い」


 倉庫の中でざわつく船員たちと荷物を開ける捜査員たちをしばらく眺めていた。高山はインカムに耳を傾けている。


「花咲? でかいの? 食いたいねぇ。近頃貴重じゃなかったっけ。うん。開けて。あー。もったいないけど、割るか」


 どこかでガン、と大きな音がする。


「ビンゴ? っし。そっち……は、試薬で……」


 時々イラついたように捜査員と小競り合いを起こすロシア人船員たちを俯瞰して眺めていて、ひとりだけやけにおとなしく集団から離れようとしているまだ若い、少年のようなロシア人青年に気が付いた。

 捜査員の注意が小競り合いに向くたびに、少しずつ倉庫の奥へと身を引いていく。

 俺は特殊警棒に手をかけながら、騒ぎを見守るふりをして彼の方にゆっくりと回り込んだ。彼がコンテナと荷物の間に身を滑り込ませたところで、早足で後を追う。


「何処に行く」


 背中に声をかけると、彼は振り返らずに走り出した。背中に手を回して、ジーンズに挟み込んでいた黒っぽい塊を取り出している。


「止まれ」


 俺の声に捜査員が何人か追いついてきた。

 少年の行く先には裏口がある。外には捜査員が張り込んでいるとは思うが。

 ドアの前で一度振り向いた青年が手にしていた物を俺に向ける。後ろからついて来ていた足音が止まるのが分かった。

 拳銃の上側をスライドさせ、俺が止まる気がないとわかると、彼は目を瞑って引き金を引いた。

 カチリと玩具みたいな音に驚いたのは彼の方だった。

 俺はそのまま飛びこんで青年の手を警棒で内側から弾く。

 拳銃はあっさりと青年の手から離れて、床を滑っていった。

 そのまま青年を拘束して、捜査員に後を任せる。


「ちょっと。俺達の仕事取んなよ。突っ込んでくの感心しない。怪我されたら朋生ちゃんになんて言えばいいの」


 元の場所まで戻ると、高山が苦々しそうにぼやいた。


「囮だったか?」

「いや。想定内。相変わらず、意外と血の気多いのな」

「あれ、シロウトだろ? マガジン空だって知らない訳ないし、引き金引くのに目、瞑ってたぞ」

「あー。向ければ怯むからって教えられたんじゃね? 逃げるなら充分でしょ。じゃなきゃ彼自体捨て駒か、見せ駒だよ。本命から目を逸らせるためのね。今回はお前が銃持ってなくてよかったわ」


 にやりと笑われて、なんとなく疑問に思っていたことを口にする。


「……あの時……なんで犯人を庇ったんだ? 千早じゃなくて」

「は? 何、今? だって、あの時お前ヘッドショット狙ってただろ。まずいだろ、どう考えても! 肩くらいにしとけよ! 千早を傷つける訳ないって確信はあったからな。まさかと思ったコースに弾飛んできてびびったのこっちだっつーの」


 そうだっただろうかと、少し首を傾げるのを見て、高山は半眼になった。それも、すぐインカムに手を添えて仕事の顔に戻る。


「……了解。辺見へんみ係長、ちょっと、いいですか」


 聞き覚えのある名前に、俺はゆっくりと近づいてくる人物に目を向けた。

 苦虫を噛み潰したような顔はよく覚えている。


「……お久しぶりです」


 答えは無かった。逸らされた目は高山を睨みつけるようにしている。


「部外者を、近寄らせるな」

「立会人ですし、知らぬ仲でもないので大丈夫ですよ。先程も、協力してくれましたし」


 にこにこと笑顔の高山と反比例するように係長の表情は厳しくなっていく。


「首尾よく終わりそうですけどね、係長に見てもらいたいものがあってですね」

「見せたい物?」


 内ポケットの手帳に挟んでいたものを、高山はもったいぶるようにして取り出すと、係長の目の前に突き出した。


「これ、係長ですよね?」


 眉間に皺を寄せて、係長はその写真らしきものを凝視した。ちらと見た感じは画像荒めで顔の判別がつくかどうか。


「……さあな。うつむいてるし、よく分からんじゃないか。どこから出てきたんだ?」

「じゃあ、こっちは?」


 もう一枚出したものは同じ服装で、顔もしっかりと判別できそうだった。係長は押し黙る。


「ですよね?……で、」


 三枚目の写真を取り出して、高山は不敵に笑った。


「あんまり分かりづらいんで、専門の人になんとか助けてもらいましたよ」


 最初のと同じ構図の一枚。けれど、一枚目よりずっと鮮明になっていた。


「コートも帽子も靴も、同じものです。同日のものですから、間違いありませんよね?」


 係長は動かない。


「これ、ここの監視カメラに映ってたものです。一度だけ。多分、大空が配属になったのを知って、来るのやめたんですよね?」


 高山が、一瞬俺に視線を寄越した瞬間に、係長は身を翻した。

 けれど、高山は分かっていたようにその手を掴むと、背中へと捻りあげる。


「……う……あっ」

「俺の真面目な大事な後輩、使い物にならなくしてくれて、ホント、腹立ててるんですよ。どんだけうまい汁吸いましたか? ついでにここひと月の俺の頑張りも褒めて下さいよ。あなたに知られないように動くの、大変だったんですから」

「……いつから……」

「大空の発砲を隠蔽した時からですよ。庇うなら、徹底的に庇えばよかったのに。後でゆっくり聞かせてもらいますから。ゆっくりとね」


 手錠をかけて腰縄を打つと、高山は別の捜査員にその身柄を預けた。


「……どういうことだ?」

「ずっと裏から情報を流したり、わざと検挙させたりして自分の手柄にしてたんだよ。数年もすれば刑務所ムショから出て来れる程度の罪だ。袖の下渡したり、もらったりして出稼ぎに来てる奴等を使ってたんだろ」


 俺は憐れな老体の後ろ姿を目で追う。別に何の感慨も沸いてこなかった。


「忙しいって……」

「なー。今日に合わせてちょっと急いだから、久々に身体ガタガタ。な。朋生ちゃんと温泉行ってきていい? 一泊で、ゆっくり。なんなら、一緒に行く? 千早も、誘おうか」

「恩を売ろうってのか」

「違うよ。これは、俺のケジメだし」

「高山係長! ちょっとこれ、確認してもらえますか」

「おぅ。今行く」


 スッキリとした顔で笑うと、高山は撤収を始めた捜査員たちに混じっていった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る