兄:ささめく

 摩周へのドライブから戻ってきても朋生の様子に変わったところはなかった。

 「楽しかったね」って笑っていたのに、その数日後からそわそわし始めた。じっと見つめられたり、ぼんやりしてたり、いつにも増して挙動不審だ。

 理由が分かったのはその週末。高山と出掛けてくるって、普段あんまり着ないワンピース姿で出て行った。


 相変わらず、行動が早い。

 千早の前で言わなくとも、とも思ったけれど、余計なお世話なんだろう。案外、千早に焼きもちを焼かせたかったのかもしれない。

 ……本気なんだろうか。

 俺の為に朋生を使う気じゃないだろうか。


 千早も言ってたように、高山は自分の欲求は多少強引でも押し通すようなところがある。その欲求が犯罪に向かわないのは幸いだ。その手口が違法すれすれでも。

 それでも、朋生が悲しむようなことがあれば、俺がますます意固地になるってことくらい解ってるはずだ。

 両刃の剣に手を出すだろうか……

 それとも、振られること前提なんだろうか。二人は数えるほどしか会ってない。


 ぐるぐると、手の中の本のページが進まないまま、余計なことを考える。

 考えても仕方のないことを、いつまでも。


 朋生は冷蔵庫に晩飯を用意していってくれた。昼は適当に食べてねって言い残して。

 時計に目をやると、一時を過ぎてる。胃の辺りがざわついてて、食べたくなんかないのに、腹は減ったと主張する。

 俺は一つ舌を打ってソファの上に横になると、本を開いたまま顔に乗せた。

 明けで眠いはずなのに、一向に眠れない。

 しばらく頑張ってみたが、無駄なようなので諦めて起き上がり、そのまま車のキーを引っ掴んで外に出た。



 * * *



 千早じゃないが、あちこち飛ばして少しスッとする。朋生を乗せていると安全運転になりがちだから、久しぶりだった。

 暗くなった道を家に帰りつくと、窓から明かりが漏れていた。

 予想より早いなとほっとして、高山もいるかもしれないと眉間に皺が寄る。

 玄関のドアを開けて靴を確認してしまう辺り、小さい人間だなと舌を打った。そこにあるのは朋生の靴だけ。

 後ろ手に鍵を閉めると、居間に続くドアが勢いよく開いた。


「お……にい、出掛けてたの?」


 酷く不安げな表情に、首を傾げる。


「ああ。ちょっと」

「そっか……」

「何かあったか?」

「ううん。そうじゃなくて……うん。なんでもない。お帰りなさい。お土産あるよ。ご飯食べた?」


 ぱっと表情を変えて踵を返した背中に「あ」と呟く。忘れてた。


「……飯は、これから……」

「ええ? どうせ昼は食べてないだろうから、夜は早めに食べるかと思ってたのに!」


 読まれてる……


「いや……出掛けてて」


 朋生が不思議そうに振り返った。


「コンビニでも行ってたんじゃないの?」

「いや。ちょっと、厚岸とかぐるっと回って……」

「ひとりで?!」

「ああ」


 スッと吸われた息はなかなか吐き出されなかった。


「ともき……?」

「なんでもない。ご飯、食べる?」

「ああ」


 てきぱきと用意をしてくれて、台所で何かを切り分けると、朋生は俺の前に座った。


「お兄はそれ食べてからね」

「なんだ?」

「スイートポテト! ここの、有名なんだよ」

「へぇ」


 フォークで運ばれていく黄金色した欠片は、口紅の剥げかけた唇に挟まれて消えていく。

 幸せそうに弧を描くその赤を、俺は次の瞬間、親指で拭っていた。

 驚く朋生と目が合う。


「取れかけてる。取っちまえ」

「え。みっともないってこと? いいじゃん。自分なんだし。ティッシュ取ってくれればいいのに!」


 言いながらティッシュを二枚引き出すと、一枚を俺に寄越した。

 みっともないんじゃない。高山が剥がしたんじゃないかと余計な妄想をする自分が嫌なんだ。

 親指を拭き取りながら、視線を外して、気になってることを聞いてしまう。


「今日、楽しかったのか?」

「え? ……うん。まあ」


 急に歯切れが悪くなるのは、照れなんだろうか。


「こないだの返事、聞かれたんじゃないのか?」

「うん……まあ……うん」


 どうなった、とは聞けなかった。

 言いたくなさそうな素振りで大体分かる。断ったなら、報告を躊躇うタイプじゃない。

 喉の奥が詰まったような感覚を、ご飯と一緒に無理やり飲み込む。

 どこかで、朋生なら断るんじゃないかと期待していた。今までだって、彼氏はいたのに。


「高山、手は早いから気をつけろよ」


 小さく息を吐き出しながらそう言うと、カッと赤くなった朋生がフォークを取り落とした。やっぱり、キスくらいされたのかもしれない。


「あ、のね。お兄が嫌なら断るよ? まだ、お試し、みたいな感じだし……」

「別に、俺がどうこういう話じゃない」

「本当に? またみんなでどこか行こうってなったら、来てくれる?」

「なんで、俺が」

「この前は来たじゃん」

「あれは、仕方なく。お前が、忘れ物するから」

「でも、お兄の友達だよね?」

「ともき。そういうつもりで付き合うって言ってるなら、やめろ。そういうのは要らない」


 立ち上がった俺に対抗するかのように、朋生も立ち上がった。


「そういうつもりじゃないのに、そういうつもりだって言われるのは心外だよ! 折角だから、みんなで楽しくの方がいいなって……」


 溜息が出る。


「何が楽しくて、カップルについていくんだ。当てつけか?」

「そ、そうならないようには、気を付けるよ。高山さんとだったら、そんな甘い感じには……千早さんもいたら、きっと向こうの方が仲良いし」


 食器をシンクに運んでしまって、身体ごとその動きについて振り向いた朋生と向かい合う。


「……じゃあ、気が向いたら」


 千早と高山を見ていたら、不安になるってことなのか? その気持ちは分かるような気がするから、つい、そう言ってしまう。

 我ながら、馬鹿じゃないかと思う。ついて行ったら、きっと後悔するのに。


「うん。……うん。それでいいや。……お兄、」


 呼びかけておいて、朋生はその先をなかなか言わなかった。


「なんだ?」

「…………ううん。お休みなさい」


 まだ寝るには少し早い時間だったけど、朋生は俺の横をすり抜けて洗面台で顔を洗い、そのまま部屋へと入っていった。

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