15

妹:かけひき

 高山さんに「付き合おう」って言われて、あたしはめっちゃ動揺したんだけど。他のみんなにはそんなこと日常茶飯事なのか、みんな普通で、うっかりそのペースに流されてしまった。

 ほっぺたにされたキスは、千早さんとお兄ちゃんが諌めてくれたので、怒るとか、照れるとかいうタイミングを逃しちゃったし、なんとなく、それはその場のノリで終わる出来事のような気がしていた。


 数日後に、高山さんからトークが届くまでは。


 ――デートしない? 今度はちゃんと二人で。会って話したいから、今は断らないでね。


 お蕎麦を食べた後、疲れたからと高山さんはお兄ちゃんに車のキーを預けた。

 そのまましれっと千早さんの車に乗り込んできたので、あたしは千早さんに、お兄ちゃんの運転する高山さんの車に乗るように、と言われてしまった。

 他人の車で、お兄ちゃんと二人きりなのは、なんだか妙な気分だった。

 千早さんの先導で(よく車が見えなくなっちゃうんだけど)途中でソフトクリームを食べたりしながら帰って来て、うちの前で解散になった。


 高山さんと千早さんはやっぱり仲が良くて、どうして別れたんだろうと不思議になる。それぞれ、いろいろあるんだろうけど。

 お兄ちゃんだって、その場にいたら全然普通で。あんなに会うのを拒否してたのに、昔の話で千早さんと視線で会話したりなんかしてた。演技なんかじゃないよね。ごく自然に、同じ空気を纏ってた。


 千早さんに言われたから、千早さんの運転で一緒に来たくらいだもんね。


 千早さんと並んだ姿を思い出すと、子供っぽい嫉妬だとは分かっていても、小さな棘は取り除くのに苦労する。ビジュアルがお似合いなだけに、なかなか厄介だ。

 そんなぐだぐだした気分を反芻していた時に、そのトークは入ってきたのだ。


 返答に困る。

 お兄ちゃんに相談……することでもない。好きにしろって言われて終わる。

 本気だったんですかっていうのも失礼だろうし、「後で」って約束も確かにしたし。

 既読をつけてしまって、だいぶ経ってる。

 ここで逃げ出す道は高山さんに読まれて塞がれてる。

 断っても、前みたいに待ち伏せされる気もする。高山さんは、あたしというより、きっとお兄ちゃんを繋いでおきたいんだよね。それは、別に構わないんだけど。

 最近変化の出て来たお兄ちゃんが、どう反応するのか判らないのが怖い。

 変わることを、望んでたはずなのに。


 溜息をつきつつ、結局了承の返事を送った。会わないと、何も進まない。



 * * *



 その週の、土曜日。さくさくと予定が決まって、高山さんが迎えに来る。

 今日は帯広まで旨いものツアーという予定で、あたしはお腹にゆとりのあるワンピースをチョイスした。


「急がせてごめんね。ちょっと、仕事が忙しくなりそうだからさー。ワンピも可愛いね」


 助手席に収まると、開口一番そんなことを言われる。褒められ慣れていないので、なんだかむず痒い。

 街中を抜けてしまうと面白味のない一本道だ。


「……緊張してる? あんまり気負わなくていいよ。朋生ちゃんが俺のこと別に好きじゃないのは解ってるから。まだ数えるほどしか会ってないしねぇ」

「え、えーと」


 くすくす笑う高山さんは、細いボーダーのTシャツに長めのジャケットの袖をまくって羽織っていて、腕に巻いた細い革のブレスレットが見えている。お兄ちゃんはアクセサリー系は(サングラス以外)着けないから、それだけでお洒落に思える。

 だけど、反対の腕には丸いひきつれたような傷跡があって、やっぱり危険のある仕事をしてるんだと再認識する。


「今、彼氏がいるっていうなら、この話は無かったことにするけど、その辺は?」

「い、いないです」

「じゃあ、彼氏を作る気は?」


 妙な確認に、あたしは茹だってた頭が少し冷えてきた。


「……ないって言ったら、話は変わるんですか?」


 にやりと笑って、少しの間だけ、高山さんはあたしに視線を寄越す。


「だって、ねぇ? 『お兄ちゃん』には、勝てないし。君たちがそのままがいいっていうなら、何言っても無駄でしょ? でも、朋生ちゃんには何人か彼氏がいたって聞いてる。『お兄ちゃん』を好きなのに、他に彼氏を作ろうとしてる。『お兄ちゃん』を嫉妬させたいのか、逆に心配をさせたくないのか……どちらかでしょう? それでいて朋生ちゃんは「お兄ちゃんとはそういう関係になるつもりはない」って言い切ってた。じゃあ、嫉妬させたい訳じゃないんだなぁって」


 的確過ぎて相槌も挟めない。


「何か理由があるんだろうけど、そういう感じで彼氏を選ぶなら、後腐れの無い軽いオトコ、だよね。でもさぁ、それってちょっと勿体無いと思うわけ。まあ、気が変わったから彼氏作る気ありませんっていうなら、それはそれ。黙って引き下がるよ。でも、その辺のただただ軽いオトコ選ぶくらいなら、俺にしない? 適度に軽くて、飽きたら捨てていい物件。どう?」

「……その話、高山さんにメリットないじゃないですか」

「えぇ? 俺は朋生ちゃんと付き合えれば」

「高山さんも、別にあたしのことそれほど好きじゃないですよね?」

「可愛いと思ってるよ?」

「“好き”じゃないですよね」


 うーん、と口元に手をやって、高山さんは苦笑した。


「なるほど。大空が押し切られるわけだ。この間キスの後なら、きっと押しきれたのになぁ。んー。わかった。正直に言うと、俺は大空と交流を再開させたい。せめて連絡先交換するくらいまでは。知る手立てはあるんだけど、それじゃ大空は歩み寄ってくれないしね。朋生ちゃんが間に立ってくれてればなんとかなってるから、それを続けたい。だからっていいかげんで付き合いたいって口走ったわけじゃないよ? ちゃんと朋生ちゃんは可愛いと思ってるし、彼女にだって、奥さんにしたっていいと思ってる。そのくらいの覚悟はしてる。軽く見られるけどさぁ、俺、意外と一途だし。一番じゃなきゃ嫌だって言われると、確かにちょっと弱いんだろうけどさ。その辺は、お互いさまっていうか……これから築いたって構わないだろ?」


 さっきとは違って、高山さんの笑顔には少し緊張が見えた。高山さんが考え無しで行動してるんじゃないってことは分かってる。どちらかというと、だから厄介なわけで。


「覚悟しなきゃ奥さんにしてもらえないっていうの、いらないんですけど」


 ははって、高山さんは吹き出した。


「うん。そうだね。ごめん。大空なら、責任とれって言いそうだからさ。そういう覚悟。こればっかりはやってみなきゃ分かんないからさ。でもきっと朋生ちゃんなら結婚しても後悔しないんじゃないかな。大空が黙って暮らしてるんだから。俺達ね、惹かれるものが似てるんだよ。性格は全然似てないのにね」


 前を見つめる高山さんの瞳には、優しさの中に少しだけ寂しさが見え隠れしていた。


「千早さんとか、ですよね」

「……うん。そう。そうだね」

「なんで別れちゃったんですか? 今でも、あんなに仲良いのに」

「聞くんだ」

「それ聞いてから、決めます」


 「きっついなー」って言った後、しばらく高山さんは黙っていた。もしかしたら、あたしと結婚するより覚悟のいることだったのかもしれない。

 別にあたしは促さなかった。話してもらえなくても良かった。

 助手席の窓から時々見える海を見ながら、黙って待っていた。

 どのくらい経った頃か、深々と息を吐いて静かに高山さんが口を開く。


「結局ね、俺が横恋慕して千早を手に入れたみたいになったの。別に悪いとは思ってないよ。あいつだって何にも口にしてなかったし、だから千早は気付いてなかった。俺は気付いてたけど、お知らせする義理はないだろ? だけど、そうやって付き合うことになった現場をたまたま見られてさ。逃げ帰るみたいになったあいつには、後日ちゃんと報告するつもりではいたんだ。そしたらタイミングの悪いことにその晩、あいつのご両親が事故で亡くなっちゃって。他の身内がいなかったのか、縁を切ってたのか、葬式はうちで手を貸した。そんなことを話す雰囲気でもないだろう? ぼんやりはしてたけど、喪主としてちゃんとやってたから、納骨終えて落ち着いたらなんて思ってたら、そのまま消えられたんだよ」


 思いがけず、お兄ちゃんの話から始まって、あたしは高山さんを振り返った。


「ちょっとね、その前に色々あってさ。大空は自宅謹慎してたり、俺は入院してたりしたもんだから、すれ違いも多くて……」

「自宅謹慎?」

「そう。意外だろ? ちょっと、あいつ人間関係でも上手くいってなくて……色々重なってたのは確かなんだ。方々探したけど見つからなくて、千早は自分のせいじゃないかって気に病み始めた。自分が、最後の引き金を引いたんじゃないかって。そんなことない。最後っていうならご両親の事故だ。でも、あのタイミングじゃなければ、大空は消えなかったんじゃないかって。大空に何もしてやれないまま、大空に認めてもらってないまま、関係を続けたくない。あいつを忘れたみたいに自分たちだけ幸せになるのは嫌だって」


 無意識なんだろう、深い溜息が挟まれる。


「たぶんね、そうなら一番悪いのは俺なの。千早が気に病むことはないし、そう言ったところで簡単に気持ちをひっくり返せるものでもない。だましだまし続けてたんだけど、俺の異動を期にもう無理だって。大空の死体が出て来なくて良かったよ。そうしたら千早は立ち直れなかった。どこかで生きてると思うことで、何とか自分を保ってたんだ。きっとね、千早も大空のこと好きな気持ちはあったんじゃないかな。大空がもう少し気持ちを表してたら、俺は振られてたのかも、とも思うんだよね。別れた後、千早は無駄に仕事に打ち込んで……暇があればバイクを飛ばしてるみたいだった。友達だけは続けさせてくれって懇願した俺の所にもよく顔を出してたよ。去年俺が戻って来てから、またたまに一緒に飯食うようになって、調子が出てきたのは大空が戻ってきたって知らせてからさ」


 肩を竦めて、ようやく軽い調子に戻ったけど、苦い感情が残っているのは解る。


「じゃあ、高山さんには、まだ千早さんへの思いが燻ってるんじゃないですか? あたしじゃなくて、千早さんに言えばいいのに」

「……ああ、もう。余計なとこまで突っ込まないでよ。つまりね、大空が帰って来て、今はイーブンなの。千早も大空に言いたかったことは言えたはずだから、再スタートなの。どの可能性も潰したくないんだよ」


 焦ったように一番感情的に付け加えられて、あたしはようやく納得した。

 高山さん、いい人だなぁ。

 ふふっと笑いを零したら、半眼で睨まれる。


「隙の多い、分かりやすい子だと思ってたら……で、そういうことなんだけど、朋生ちゃんの答えは?」


 なんだか投げやりになって、もういい答えは期待してないみたいに言うから、あたしはにっこり笑って答えてあげた。


「いいですよ。お付き合いしましょう。よろしくお願いします」

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