14

妹:強引ぐまいうぇい

 どうしてこうなった。

 予定よりも、予想よりもかなり早く高山さんは迎えに来た。


「千早、引き継ぎごたごたしそうだって言ってるから、先に行こう」


 にこにことそういう高山さんを玄関で待たせて、あたしは大急ぎで支度をした。

 さて靴を、と思ったところでスマホが鳴る。ちらりと確かめると、千早さんで。


 ――ちょっと遅れそうって言ったら、浩二先に行くって。自分の車で追いかけるから、現地で会いましょう!


 もう来てるんだけど!

 高山さんに視線を向けると、にっこり笑われた。


「そういえば、服返してくれるんじゃなかったっけ」


 あっと声を上げたあたしに、高山さんはさっと片手を差し出した。手に持ってた鞄を差し出された手に預けて、スマホは、たぶん、靴箱の上に置いて、踵を返したんだ。

 洗濯した服を入れた紙袋と、クリーニングから返ってきたジャケットを両手に持って行ったら、もう高山さんは玄関を出るところで。


「あ、ちょ……高山さん! 鍵!」


 急いで追いかけたら、鍵はかけたんだけど、スマホをそのまま忘れてきたんだよね……

 悪いと思いつつ、戻って下さいって言ったんだけど、「大空帰ってくるんでしょ? 千早に取りに行ってもらおう」だって。

 あの、胡散臭い笑顔はなんだか嵌められた気分になった。


「ほら、千早も会いたがってたし、いいきっかけじゃない?」

「そう……かなぁ」


 直接会って言いたいことがあるって、千早さんは言ってたし、忘れ物を取りに来たくらいでお兄ちゃんが邪険にするとは思わないけど。

 こういう、不意打ちみたいなのは、なんだかそわそわする。

 高山さんがかけたカーステレオからは、お兄ちゃんもよくかけてるアーティストの音楽が流れてきた。


「これ、うちの車でもよくかかってます」

「あ、まだ好きなんだ。このアーティスト薦めたの俺なんだよね。ロックな感じなんだけど、よく聞くと女々しかったりして深読みするの楽しい」


 さっきとは違って悪戯少年みたいな笑顔で、ちょっとだけ歌詞を口ずさんでる。いつもあまり表情の変わらないお兄ちゃんを相手にしてるせいか、なんだかくるくる変わる表情が眩しかったり。

 ちょっと年齢不詳だけど、お兄ちゃんのいっこ上って言ってたから、三十手前のはずで。


「千早さん、フリーって言ってましたけど、高山さんはどうなんですか?」

「ん? ふふ。気になる?」

「え。いや、そうでもないんですけど……」


 ひどい! って顔をして、高山さんは溜息をついた。


「そこは、気になるって言っといてよ。君達兄妹、血は繋がってないんだよね?」

「え? もちろん。一滴も。あ、でも血液型は一緒かも」

「一緒に暮らしてると似てくるのかな? こう、ざくざくストレートにもの言うところとかさ」

「あー。それはですね。お兄に遠まわしに言っても伝わらないんですよ。だから、はっきり目に言う癖がついちゃったのは……あるかな?」

「……なるほどね。俺も今はフリーかな。忙しくて出会いもないし」

「お休みの日とかは?」

「友達と遊びに出たり、寝てたり。仕事に呼び出されたり」

「あー。デート中に呼び出されたりすると、彼女怒っちゃいそうですね」

「そうそう。そういうの、面倒になってくんだよね〜。だからうち、身内同士とか、看護師とか似たような勤務形態の人とくっつくの多いよ」


 へぇ、と相槌を打って、何気なく窓の外へ視線を向ける。両側は牧草地で、牛があちこちで気ままに草を食んでいた。その中を、ちょろりと茶色いものが歩いていく。


「あ、キツネ」

「ほんとだ」


 高山さんはスピードを落として、しばらくゆっくりと走ってくれた。キタキツネはこの辺では別に珍しくも無いけど、ドライブ中に見かけるとなんとなく目で追ってしまう。


「高山さんも運転上手いですよね。ドライブとかよくするんですか?」

「うん。まあ。仕事でも乗るしね。学校で訓練もするから」

「そうなんですか!?」

「パトカーに乗るの、内部検定受けなきゃいけないんだよ。高速隊とか、白バイ隊員は別途訓練受けるしね」

「ふぇぇ」

「車好きも多いよ。運転すると人変わったり」


 お兄ちゃんがあたしの運転嫌がるの、ちょっと解った。


「お兄ちゃん、あたしにあんまり運転させてくれないんですけど、やっぱり他人の運転って怖いですか?」

「あー。人によるかな。他人のは誰でも嫌! ってヤツもいるから。大空は……うん……」


 くすくすと可笑しそうに笑って、高山さんは語尾を濁してしまった。

 そのまま、オフロード好きな人の話とか、三泊で北海道一周した人の話とかを面白おかしく聞いているうちに、裏摩周へと着いてしまったのだった。



 * * *



 裏摩周とは字のごとく、第一、第二展望台のある側と反対側から湖を望める場所だ。こちらの方が標高が低く、湖に近いので、霧が出ている時にも見えやすいのだとか。

 とはいえ今日は車から降りてみるまでもなく、辺りは真っ白だった。霧なのか、雲なのか。

 出てきた時は晴れていたのに。


「見事だね」


 苦笑交じりに高山さんは言って、それでも外に出ていった。

 後を追って展望台へと登って行く。もう雪は残ってなかったけど、もちろん、展望台からは何も見えやしなかった。


「まあ、カップルで来て見れなかったら長続きするって話だし、結果オーライ?」

「カップル……に、なるんですかね? ここからの景色、好きなのにな」

「また来ればいいよ。今度は開陽台辺りまで足伸ばしてさ。ほら、こういう約束ができるから、長続きするっていうんだよ」


 そういうことか、と感心していたら、高山さんのスマホが鳴った。

 しばらく黙って操作していた彼は、最後に人の悪い笑顔を浮かべて、ケースをぱたりと閉じた。


「呼び出しとかですか?」

「いや。千早、もう少しで着くって。意外と早かったなぁ。ここでちょっと待ってよう。冷えちゃいそうだから、車でね」


 もうちょっと、というには少し長い時間を車の中で待っていた。

 お菓子や乾物やトランプがどこからともなく出てくるから、退屈は全然しなかったんだけど。

 何台目かの車の気配に視線を向けると、オレンジのコンパクトカーが入ってきた。


「来たな」

「え? あれ? あれ、千早さんの車ですか?」

「千早、バイクも乗るから車にはあんまり金かけられないってぼやくんだよな」


 笑いながら出ていく高山さんを、慌てて追う。千早さんがライダースーツ着ているとこを想像して、ますますカッコイイな! と思ったりしながら。

 車は駐車スペースに切り返すことなく停められて、ちょっと離れてあたし達はそれを見ていた。

 千早さんの車の助手席には、誰かが乗っていた。反射で顔は良く見えない。でも、その服を知っている気がして、あたしの心臓はドキドキし始めた。


「高山さん……誰か、一緒に来るって言ってました?」


 助手席から目を離せないでいたあたしに、高山さんは答えなかった。

 すぐにドアが開いて、千早さんが手を振る。高山さんも片手を上げた。


「相変わらず、だな」


 舌打ちと同時に助手席から降りてきたのは、良く知っている人で。


「寝てていいって言ったのに」

「寝られるか! とばし過ぎだろ!?」

「早く来たかったでしょ? ああ、でも見事に真っ白ね」


 並んで歩いてくる千早さんとその人が、なんだかしっくりしていて。あたしの知らない人みたいで。

 あたしは無意識にじりじりと後退りしていたらしい。


「……おっと」


 高山さんの手が背中に当たって我に返る。


「大丈夫? ……ああ。もう。可愛いなぁ」


 やけに近くで声が聞こえたと思ったら、左の頬に何か柔らかいものが触れた。温かくて、柔らかいもの。

 その時、信じられないかもしれないけど、時が止まったんだよ。

 ほんの、一瞬だけ。

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