兄:三文芝居

 三人でドライブ?

 本気で朋生を口説くつもりなら、随分高山らしくない。俺の目を気にしてるのか、やり方を変えたのかもしれないけど。

 朋生が楽しそうにしてるのだから上手くやってるとも言えるが、何か別の思惑があるんじゃないかと考えた方がしっくりくるのは、穿ちすぎだろうか。

 一緒に行く気はないけれど、喉に小骨が刺さったようで落ち着かない。

 千早もいるんだったら、おかしなことにはならないだろうが……


 そんな話を聞いた次の仕事の日、高山が監視カメラの映像を見せてくれとやってきた。

 今回は若い相棒を連れていて、きちんと仕事の顔をしてる。相変わらず、先輩風を吹かせているんだろうか。

 ビデオには倉庫に荷物を運んでいるロシア人が数人と、日本人が数人映し出されていた。どの人物も同じような作業着に身を包んでいて、特に怪しいところはない。


「作業のあった日で、何か変わったこととかありませんでしたかね?」


 高山の質問に、年配の警備員は首を傾げて天井を見上げた。


「……俺ぁ、特に……」


 下りてきた視線が俺を見たので、口を開く。


「前回は、少し離れたとこで見てたら、話しかけられましたよ」

「なんて?」

「『お前はハーフか?』って」

「大空。そんなのは変わったことじゃないだろ」

「まあ、まあ。で? なんて答えたんです?」

「『あいきゃんすぴーくじゃぱにーずおんりい』」


 年配の警備員と若手刑事は、はは、と笑っていたけど、高山は口の端を持ち上げるに留めた。


「英語で話しかけられたんですか?」

「いや。ロシア語だった」

「それで? それだけ?」

「『好みだから口説きたいけど、俺は日本語がよく分からない。残念だなぁ。次の仕事が終わったら纏まった金が入るんだ。そうしたら飲みに行かないか?』ってなことをべらべらと喋るから、何かありましたか? って倉庫に足を向けたら慌てて行く手を遮られて、『ダイジョウブ。オーケー』を繰り返してた。そのうち仲間に呼ばれて戻って行って、『どうだった?』『全然わかってねぇよ。心配し過ぎだろ』なんて会話をしてたから、怪しいと言えば怪しいし、本当にただ口説かれただけかもしれない」


 先程笑った二人はちょっとぽかんとしていた。

 高山が面白そうに解説を求めてる。お前は知ってるだろ。


「ロシア語が出来るんですか?」

「聞き取りは、なんとなく。話せはしない」

「妙な話しかけられ方をした心当たりは?」

「見回りのついでに、ちょっと聞き耳を立ててたから、そのせいかも」

「何か聞いたり?」

「いいや。というか、隠語なのかリアルな荷物の話なのか区別がつくほど堪能じゃない。よくしてくれる日本人協力者がいるって話してたけど、それは変な話でもない」

「いつの話ですって?」


 俺は一時停止されてる画面を指差した。


「たぶん、その日だ」


 高山に画像データを渡す時に、俺はわざとメモリを床に落とした。すみません、と同時に屈みこんだところで顔を上げずに聞く。


「ドライブ、何処に行くつもりだ?」


 高山が視線だけで俺を見た。


「……心配なら、一緒にくればいいじゃないか」

「行かない」

「頑固だなぁ。裏摩周と神の子池の予定だよ。変なところじゃないだろ。気が変わったら参加してくれていいぞ」


 メモリを受け取ると、高山はさっさと立ち上がって「ご協力ありがとうございました」とにこやかに去っていった。



 * * *



 ドライブ当日、久しぶりに晴れていた。

 当直明けの目には少し眩しすぎるくらいだ。

 家に帰ると、靴箱の上に朋生のスマホが乗っていて、人の気配が無い。鍵はかかっていたから、もう出掛けたんだろうとは思うが……

 ただいま、と声をかけて、開けっ放しの朋生の部屋を覗いてみる。


「朋生? いないのか?」


 部屋にはもちろん、洗面所やトイレにもいない。

 スマホを忘れていったんだろうか。

 連絡してみようかと自分のスマホをポケットから出しかけて、自分の手に持っているのが誰のものか思い出す。高山や千早の連絡先は知らないし……

 朋生のロック解除の番号もパターン認証もどちらも知ってはいるのだが(ちょっと危機管理が甘いと思う)、そこまでするべきことなのか流石に迷う。

 必要なら取りに帰ってくるか、誰かから連絡がくるだろうと、俺は取敢えず仮眠をとることにした。




 何かが鳴って、スマホに手を伸ばす。振動はしていないようなので俺のじゃない……?

 意識がはっきりしてきたところで、チャイムが鳴った。さっきのもこれか?

 新聞の勧誘だったりするので、最近は居留守を使うことも多いのだが……


「――っ、起きてっ。いるんでしょ?」


 次のチャイムと同時に、誰かに呼ばれる。

 もう一度、名前を。

 飛び起きて、スウェットに急いで足を通して転がるように玄関まで出る。

 誰、とはあまり考えなかった。

 鍵を開けて、ドアを開くと同時に怒鳴りつける。


「呼ぶな!!」


 朋生が、聞いたら――

 ぎょっとした千早の顔を見て、混乱する。今はいつだ? ここは? 朋生。朋生は……?

 ぐるりと周囲を見渡して、終いに後ろを振り返って見えた家の様子にも自信が持てない。


「……あの……ごめん? そんなに、怒ってると思わなくて……あ、会いたくないっていうのに、来て、ごめんね」


 泣き出しそうな千早に、思わず片手で顔を覆う。


「違う……すまん。寝惚けてた。呼ばれたの、久しぶりで……ちょっと……混乱した」

「久しぶり……? そうか、朋生ちゃんは名前で呼ばないんだね」


 千早の言葉にすっと肝が冷える。


「ともきの前で、俺のこと……」

「え?」

「……いや。とりあえず、ちょっと上がっていけ」

「え? いいの?」

「俺も、ちょっと落ち着きたい。朋生を連れてきてくれた時に、一度上がってるんだろ?」


 意外そうな顔をした千早にソファを勧めて、冷蔵庫に入ってたお茶のペットボトルを渡す。

 自分は立ったまま水をあおっていると、真直ぐな千早の視線が飛んできた。


「……何?」

「会わないって言うから、もっと邪険にされるかと思ってた。怒鳴られても、やっぱりって」


 俺は静かにひとつ息を吐き出す。


「悪かった。千早だと思って出たわけじゃないんだ。千早にだって別に、不満があるとか、怒ってるとか、そういうことはない。ただ、あの頃みたいにはきっと出来ないから、会わない方がいいと思っただけで」

「浩二には何度か会ってるのに」

「あれは、向こうが押しかけてくるんだ。こっちの都合はお構いなしで」

「知ってる。鉄の心臓持ってるのよね」


 くすくすと思わず出た笑いを引込めて、千早はきゅっと表情を引き締めた。


「……あのね、言い訳に聞こえるかもだけど、あの時、隠れてこそこそ病院に通ってた訳じゃないの。本当にたまたまあの日、浩二に告白されて……あなたが課で辛い思いをしてるのも解ってたけど、私じゃ大きな力にはなれないし、浩二は退院したらサポートするつもりでいたんだよ。病室の扉を閉めたまま戻ってこないのをなんでだろう、気を利かせたのかなって思ってたら、浩二から大空はお前のこと好きだったから気まずいんだろう、なんてサラっと言われて……全然そんな風に思ってなかったし、確かめる間もないままご両親があんなことになって……」


 俯く千早から視線を窓の外へ向ける。


「落ち着いたらちゃんと話そう。そう思ってたら、仕事にも来なくなって。おかしいと思った時にはもう辞めたって! あたしにも、浩二にも、誰にも一言も無しに! 家に行っても誰もいないし、そんなに傷つけてたのかとやっと分かっても、謝ることも出来ないんだって……」

「千早」


 息を呑んで現在いまに戻ってきた彼女を確かめる。視線が合っても、きりりとした目元はまだ不安気だった。


「俺は傷ついてた訳じゃない。ちょっと、疲れてただけだったんだ。タイミングが悪かったのは、誰のせいでもない。千早が謝ることはない」

「……会いたくないのは、思い出すからじゃないの?」

「どちらかというと、思い出せないから、だ」


 千早は怪訝そうに眉を顰めた。


「千早も、あの高山でさえ気にしてるっていうのに、俺の中には淡々とした事実しか残ってない。温度差がありすぎるだろ? だから、謝られても困るんだ」

「……それって……?」

「謝るのは、俺の方かもな。こんな俺を心配させて悪かった。千早たちだけじゃない。あれからの俺は、何に対してもそういう感じなんだ。空っぽで、痛む心も無い」

「……だって、じゃあ、朋生ちゃんは?」


 思わず苦笑する。


「ともきは、分かってて俺と暮らしてるんだ。あいつも、心臓に毛が生えてるんだろう」


 千早は、何か言いかけて、口をつぐんだ。


「だから、千早。お前、まだ高山が好きなら、そうアピールした方がいいぞ。俺のことなんか気にせずに」

「そっ……そんな、ことは……!」


 あたふたする千早は分かりやすい。相手が高山だというのが、今も昔もよく解らないのだけれど。

 それ以上つつく気も無いので、話を変える。


「で? それだけ言いに来たのか? ドライブ行くんじゃなかったのか?」


 自分で言って、そういえば、じゃあ朋生は今、高山と二人きりなのかと少しむっとする。


「あ、そうだった。朋生ちゃんのスマホ、取りに来たの。明けでちょっと引き継ぎごたごたしてたら先に行くって言って……早々に行ったと思ったら、スマホ置いてきちゃったから取りに行ってくれって」

「……心配、しないのか?」

「んん? 心配?」


 顎に人差し指を当てて、千早は少し首を傾げた。


「どっちの? だって、朋生ちゃんにはその気がないし。浩二も、このタイミングで手を出すほど馬鹿じゃない。っていうか、多分、一番の目当ては朋生ちゃんじゃない気がする。副産物としては、狙ってるかもしれないけど。別れた身としては、その辺どうこう言えないじゃない?」


 女の勘なのか、元彼女の勘なのか。

 俺は朋生のスマホを取ってくると、千早に差し出した。


「頼みがある。ともきの前では、俺のこと名前で呼ばないでくれ」


 朋生のスマホを手にきょとんと俺を見上げる千早。


「……もう、呼んじまってるか?」

「え? ……うーん。大丈夫だと、思うけど。なんで?」


 答えに、詰まる。


「…………ともきは俺の名前を知らない。このまま、知らせたくない」

「はぁ?」


 素っ頓狂な声を上げて、千早は眉を吊り上げた。


「え? 何? もしかして、それで「呼ぶな」だったの? 朋生ちゃんの耳に入れたくなくて?」


 立ち上がり、ずいと詰め寄られて、思わず後退さる。


「浩二だってたまにふざけて呼んでたし、気を付けてもぽろっと出ちゃうことはあるし、ずっとは無理よ? 浩二にもそう言ったの?」

「……いいや。あいつは言ったら逆に言いそうだから……」

「そうね。どっちみち、詰んでるんじゃないの? 諦めて、自分で言っちゃったら? 二年も暮らしてるのに、名前も教えてないなんて……朋生ちゃんは訊かないの?」

「理由は、あるんだ。……くだらない理由だけど」


 首を振る俺に呆れながらも、睨みつけていた視線を外して、千早は肩を竦めた。


「わかった。今日は気を付けてあげる。でも、それは他人に聞かされるより、本人から聞いた方がいいと思うから。……朋生ちゃんがなんでああ言ったのか、ちょっと解ったわ」

「ともきが、何か?」

「教えない。ねぇ、でも、気付いてる? それって、朋生ちゃんに対しては、ちゃんと思うところがあるってことでしょ?」


 ここで否定しようものなら、張り手が飛んできそうだった。


「たぶん……分かってる」

「そう。じゃあ、これは『お兄ちゃん』が届けた方がいいんじゃない? 浩二に釘刺しておかないと、何度でも同じことするわよ?」

「同じこと?」


 差し出し返されたスマホを思わず受け取って、疑問符を返す。


「あなたの意識を向けるためなら、いくらでも朋生ちゃん弱みを使うってことよ。もちろん、朋生ちゃんのことも可愛いとは思ってるんだろうけど、まだそれ以上とは思えないのよね」

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