妹:あくまでも妹

 夜中に寒さで目が覚めると、ソファの上だった。

 お兄ちゃんを待ってたんだっけな? ってよくよく思い起こしてみて、高山さんと千早さんの顔が浮かぶ。

 半分寝惚けて、千早さんに支えられながら部屋に入って、ベッドまで連れて行くと言う彼女を、大丈夫だからと敬礼の真似事をして追い返した……まではいいけど、結局ちょっとソファに座ったら、そのまま寝ちゃったらしい。


 トイレに立ってついでにスマホを覗いたら、送信し忘れている『これから帰ります』と、かけた覚えのない通話のマークに画面を二度見した。

 メッセージの方は消したけど、通話は結構長い時間繋がっていた様子に、間違ってかかったわけじゃないと気付かされる。そういえば、スマホは高山さんが返してくれた。「落としそうだったよ」って。

 うっかりやいたずらでかけたなら、お兄ちゃんはすぐ切るだろう。

 喧嘩腰みたいなところはあるけど、お兄ちゃんが素に近い様子で接してるのを見るのは、高山さんくらいかもしれない。高山さんもそれを受け止めてるし……


 ふと、飲むピッチが速くなったきっかけを思い出した。

 高山さんも千早さんも、あたしがお兄ちゃんを好きだと、男として好きだと、そう思ってるみたいだった。最近薄々そうかなって気付き始めたくらいで、ずっとそうだったわけじゃない。その辺の微妙な感覚は説明しても解ってもらえそうにないし、自分でもよく分からないというのが実情だ。

 離れたくないけど、手を繋ぎたいとかキスをしたいとか、そういう欲求があるわけでもない。それを求めても、返ってこないと知ってるからかもしれないけど。


「好きかもしれないけど、今のお兄ちゃんとは、そういう関係になるつもりはありません」


 だから、千早さんが、もしもお兄ちゃんの彼女に立候補するとしても、全然構わないのだ。あたしより千早さんの方が、お兄ちゃんの“何か”を取り戻してくれる確率は、高いかもしれない。

 言い切るあたしに、二人はちょっと不服そうだった。

 でも、その後にお兄ちゃんの“こういうとこあるある”な話になると、思った以上に三人で盛り上がった。わ、悪口じゃないからね?


 千早さんとも連絡先を交換して、またご飯を食べに行こうと約束する。ゴールデンウィークに予定が合えば、どこかに行くのもいいかもね。とも言っていた。

 タクシーに乗り込んだら、緊張が解けたのと、心地いい振動ですぐに眠気がやってきて、隣の千早さんもうとうとしているし、つられるようにスマホを握り締めたまま、眠ってしまったのだ。


 荷物やコートは放り出したまま部屋に戻って、拭くだけのクレンジングで化粧を落とす。そのまま布団に潜り込んで、寝てしまうことにした。

 お兄ちゃんはこの時間起きてるのかな? 暇過ぎて困る、なんて言ってたっけ。

 何も無い方がいい。怖いものがないお兄ちゃんは、何かあれば躊躇なく動くに違いないんだから。



 * * *



 次の日仕事にはちゃんと行ったものの、連続でお酒に浸かった頭で、なんだかぼぅっと一日が過ぎた。小さなミスが続いてひやひやする。色々諦めて、キリのいいところで帰ることにした。

 冷蔵庫の中身を思い浮かべて、献立を考える。なんとかなる、かな?

 帰ってきているはずのお兄ちゃんに連絡して、どこかスーパーに連れて行ってもらうことも出来るけど、なんとなく顔を合わせづらくてバスに乗りこむ。昨日の朝までは機嫌悪く怒ってたくせに、話の向きが九十度くらい変わってしまって、今度は顔を合わせるのが照れくさいなんて。

 高山さんが、お兄ちゃんに何の電話をしたのかも気になるし……失態を報告されていたなら、それはそれでまた気まずい。

 帰り着くまで一問一答を頭の中で繰り返して、アパートが見えてきたところでお兄ちゃんからトークが届いた。


 ――迎えに行こうか?


 昨日の通話について、一切触れないところがお兄ちゃんらしい。


 ――もう着く。お味噌汁温めておいて。


 既読はついたけど、返事もスタンプも返ってこない。これも、お兄ちゃんらしい。

 スマホを仕舞ってうちまで走る。

 顔を合わせづらいなんて、誰が思ったんだっけ?

 ただいまとドアを開けると、お味噌汁の香りがほわっとすり抜けて行った。




「そういえば、昨日あたし電話した?」


 野菜炒めをつつきながら、わざとらしく切り出したら、お兄ちゃんは特に構えもせずに「いいや」と首を振った。


「高山がかけてきた。お前、ちょっと管理甘いぞ」


 藪蛇の気配にぐっと言葉に詰まる。


「あんまり飲むなって、だから言ったのに」


 呆れた瞳がちらりとこちらを向いた。


「そ、そんなには飲んでない、です」

「千早が運んでくれたのか?」

「い、一応歩いてきました。支えてもらって、ソファまで……」

「あいつらは酔っ払いの扱いに慣れてるけど、ちょっと気を許し過ぎじゃないか?」

「ええと……ちょっと、楽しくて……あ、そうそう! 千早さんが言いたいことがあるって。直接会えたらって言ってたから、今度お兄も行こうよ」


 誤魔化したくて話を逸らしたら、それまで止まらなかったお兄ちゃんの箸と口が、ぴたりと動きを止めた。


「高山達にそう言えって言われたのか? ……行かない」

「え? 違うよ! あたしいるの嫌だったら、三人でとか、二人でとか……」


 言ってるうちに、自分でも尻すぼみになっているのに気付いたけど、どうしようもない。

 お兄ちゃんの溜息が、いやにはっきりと聞こえた。


「ともきがいないなら、尚更行かない。何を聞いたか知らないが、あいつらとこれからも付き合うつもりなら、俺の方はもう気にしてもいないし、放っておいてくれって伝えとけ」

「気にしてないなら、会ったっていいじゃん……」


 キッと睨まれて肩をすくめる。


「俺はから。以前の俺を求められても困る」


 お兄ちゃんはきっとそれ程変わってないんじゃないかとか、高山さん達は、別に以前のお兄ちゃんを求めてる訳じゃないと思うとか、色々頭を駆け巡ったけど、結局言葉に出来ずに黙っていた。今のお兄ちゃんにはどれも言い訳臭く聞こえるんだろう。代わりに、一番訊かなくてもいいことが口をついて出る。


「……以前のお兄は千早さんのことが好きだったの?」


 少しだけ、お兄ちゃんの目が泳いだ。

 馬鹿な事を聞いた。そう思った時はもう遅かった。


「誰が、そんなことを?」

「高山さん」


 一瞬、噤まれた口はすぐに開いた。


「そんなこと、ない」


 ごちそうさまと、お兄ちゃんは立ち上がってお茶碗を下げに行った。

 ここにきてどうして誤魔化すのか、はっきりと言われてもそうだったのか、もやもやと嫌な気持ちが湧いてくる。


「あたしに誤魔化さなくてもいいじゃん。なら、千早さんと会ってれば“心”の一部は戻ってくるかも。千早さん、今はフリーみたいだったよ」

に……お前が、あいつに戻してもらったからって、俺も一緒だと思うな」


 背中越し、冷え切った声に言い過ぎたと気付く。


「涼はどちらかというときっかけをくれただけで……」


 他のほとんどは、お兄ちゃんと暮らしてた中で返ってきた物で……なんて、自覚すると恥ずかしくなった。

 あたしも片付ける振りでお兄ちゃんを振り返ると、シンクの中のお茶碗を睨みつけている姿が目に入る。


「……ごめん。お兄が決めることだもんね。千早さん、素敵な人だったから、つい。お義姉ねえさんになるなら、ああいう人がいいなって」


 お兄ちゃんは、並んだあたしを少しの間見下ろしてから、自分の部屋の方へと足を向けた。


「……俺はだけで手一杯だ」

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