兄:手作り弁当

 車のエンジン音と、そのドアの閉まる音に文字列から顔を上げる。時計を確認するともう二十一時を回っていた。念の為スマホも確認してみるが、朋生からの連絡はない。珍しいなと思うと同時に何かあったのかと眉を寄せる。

 今のシフトにまだ慣れてないから、勘違いしてるだけならいいのだけれど。

 そういえばと台所に行って冷蔵庫を開けてみる。前に晩飯が用意されていたことがあった。が、特にそれらしきものも無い。目についたミネラルウォーターを手にしたところで、玄関の開く音がした。


「ただいまぁ……」


 ビニール袋を提げて帰ってきた朋生はどこか疲れて見えた。


「遅かったんだな」

「うん……ちょっと。ごめん、お兄、これ温めて」


 袋を渡されて、本人は自分の部屋へと入っていく。中身は弁当だった。

 二つ目が温まる頃、部屋着に着替えて朋生が戻ってくる。一緒にテーブルに着くと、ちらりと視線を寄越して小さく「いただきます」と言った後に、意を決したように背筋を伸ばした。


「今日、高山さんに会った」


 先程のエンジン音が頭をよぎる。


「送ってもらったのか」

「うん。コーヒー飲んで……」

「そうか」


 そのうち会いに行くんだろうとは思ってたから、別に驚きはしない。


「断って帰ってこようと思ったんだけど」


 何も言ってないのに、朋生は言い訳のような事を口にする。


「手帳、見せられて……」


 ゴマの乗った米を口に運んで、一瞬動きを止めてしまう。朋生と目が合った。


「お兄、警察官だったの?」


 口の中の物を咀嚼して飲み込んでしまうまで、朋生は黙って待っていた。


「……そうだな。聞いたんじゃないのか?」

「訊いたら、お兄のことは口止めされたから言えないって言われたよ!」

「……そういえば……そう、言ったかな」


 高山があの程度で律儀に黙っているとは思わなかった。少し見直す。

 朋生は騙されたって子供みたいに膨れていて、なんだか可笑しくなった。


「すまん。ちょっと行き違った。そんなに聞きたいことがあったのか?」

「……え? あ、ううん。本当にお兄も警察官だったのかって訊いただけ」

「同僚だからな。正確には向こうがひとつ年上だから先輩なんだが」

「そ、そうなんだ。で、えっと……もうひとり仲良くしてたって……千早、さん? 会ってくれないかって言われたんだけど……」


 上目づかいでちらちらとこちらを窺いながら、語尾がしぼんでいく。


「好きにすればいい。面倒なら断ればいいし」


 魚のフライに箸をつけると、思わず零れたという風の朋生の溜息が聞こえた。


「……全然知らない人だし、どうしていいか分からないんだよ。どういう人かくらい、教えてくんない?」

「千早とは同期だ。世話焼きでカラッと人当たりもいいから心配することはない」

「そう……お兄は、一緒に……」

「行かない」

「……だよね」


 しゅんと見るからに肩を落として、もそもそと弁当に手を付け始める。

 自分のしがらみに無理に付き合せている気にさせて、引っ張り出す気なんだろう。その手には乗らない。


「構わなくていいから。ほっとけ」

「う、うん」


 悩みつつ、結局会いに行くんだろうなとぼんやり思う。高山が何を考えてるのか知らないが、千早と俺が会ったって、もう変わるものはない。朋生に言伝を託すのも違う。だから、これでいい。

 これでいいと思いつつ、難しい顔で弁当を口に運ぶ朋生を見ていると、少し可哀相な気もする。俺と違って、朋生は気に病む心を取り戻してる。


「……ともきなら、あいつと気が合うかもしれないから、気になるならコンパに参加するような気分で会ってみればいい。どうするにしたって、気にしないから」

「気にならないの?」

「ああ」


 肩をすくめる俺を、朋生はじっと見つめている。

 やがて一息吐き出すと、頭をひとつ振った。


「うん。色々、考えてみる」


 先程よりはいつもの調子に戻った様子に、俺も食事を再開した。



 * * *



 港近くの倉庫の管理室の窓が叩かれたのは、そんなことがあってから数日後だった。

 「すいません」と、手帳を掲げながら笑っているのは高山だ。

 

「何か」

「ここのカメラってどこまで映してます?」


 地図上でいくつかある防犯カメラの位置を教えると、腕を組みながら「なるほどねぇ」と呟いた。


「いや、ありがとうございます。近いうちにご協力をお願いするかもしれません。その時は、どうぞよろしく」


 おどけた敬礼に頷き返して窓を閉めようとしたら、寸前で阻まれた。


「ちょっと、外でもう少し聞かせてもらえませんかね。そろそろ、お昼でしょう?」

「……弁当なんで」

「たまには、いいですよねぇ?」


 高山は奥を覗き込んで、もうひとりの警備員にそう声を張った。


「大空」


 その中年の警備員は面倒臭そうに片手を振って、行けと指示する。視線では余計なことは言うなと牽制しながら。最近こっちに配属された俺はまだ細かいことを知り得てない。知らないことは喋れないとの判断だろう。

 そんなとこまで高山が見越して来たのかは分からないが、断る理由が無くなって渋い顔をしてしまう。仕方なく上着をひっかけると、弁当を抱えて部屋を出た。


「職権乱用だろう?」


 ぼそりと口に出すと、高山はにやりと笑う。捜査ならひとりで来ることはない。


「本当に仕事の一環なんだって。協力しろよ」


 海側に向けてぽつりと停められている車に促されて乗り込む。足元が狭かったからシートを下げて膝の上で弁当を開いた。運転席に回った高山が、それを目にして顔を顰める。


「お前っ、自分だけ食うつもりかよ!」

「弁当だって言ってんだろ。食い終わるまでは話を聞いてやる」

「なんかむかつく」


 横から伸びてきた手が、卵焼きをひとつ摘まんで、口に放り込んだ。


「……甘いタイプかぁ。出汁巻きの方が好きなんだよな」

「人の奪って文句言うな。出汁巻きの時もある」

「へぇ。毎日作ってくれんの?」

「ああ。断らなければ」

「今度、出汁巻きの時連絡してくれ」


 割と真剣な顔に呆れる。


「……嫌だ。弁当の話をしに来たのか?」

「ん? ああ、そうだった。情報提供タレコミがあってさ。検査終わった荷物のすり替えされてるって。カニの殻被った薬とか、チャカとか……あるかも? どこの倉庫かまだ分かってないけど、怪しい動きがあったら教えてくれ」

「俺達は中身の検分までしないぞ」

「ロシア絡みの荷物ブツだけ気を付けてくれればいいよ。カタギそうじゃない引き取り手とか。妙に出入りが多かったり。横から掻っ攫おうとしてる馬鹿も出るかもしれない」

「警備上何かあれば通報はする」

「ん。よろしく」


 もう一度伸びてきた手を払い除ける。恨めしそうな顔したってダメだ。


「なんだよ! 毎日コンビニ飯の俺を労われよ」

「最近のコンビニ飯は旨いって話じゃないか」

「じゃあ、買ってやるから取り換えよう」

「……嫌だ」


 ほうれん草のお浸しを口に運び、残り少ない米を掬い上げる。


「昔はお前だって平気でコンビニ飯食ってたじゃないか。贅沢になりやがって……」

「言っとくが、別に毎回バランスいい訳じゃないぞ。冷凍食品だって使ってる」

「それでも、取り換えるのは嫌なんだろ?」


 言われて、少し考える。


「そう、だな」


 弁当箱を空けるだけなら、誰が食ってもいい、のか?

 隙をつくように伸びてきた手を、弁当箱を持ち上げて躱す。そのまま最後のウィンナーも口に入れた。


「ケチ。そんなに妹可愛いかよ。可愛いよな。そんなに親身に世話されてりゃ」

「そうでもない……うるさいのは食事くらいで」

「本当に?」

「何人か彼氏だっていたし、そのことに口出したこともない」


 少しうんざりと告げると、高山は難しい顔をして首を傾げた。


「じゃあ、例えば俺が立候補したりしても?」

「嫌だが、ともきが決めることだ」


 ふぅん、と高山はハンドルにもたれかかると、海の方に視線を流してしばらく黙っていた。

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