第15話 姿作りはやめてください
タリーが投げた銛は唸りをあげて飛び、セイレーンに深々と突き刺さった。
銛が命中したことを見届けたタリーは甲板にへたり込むが、その両頬には涙が流れ落ちていた。
「マルグリッド」
「やめろホルスト。それはマルグリッドではなくて魔物なんだ」
貴史は、手すりを乗り越えて海に飛び込もうとするホルストを止めるのに懸命だったが、ホルストは唐突に動きを止めた。
「そうですよね。マルグリッドが泳いで来るわけがないんだ」
「泳げないくせに海に飛び込んでどうするつもりだったんだ!」
貴史はホルストの肩を揺すって叫ぶが、ホルストの反応はなんだか鈍い。
セイレーンが絶命するのと同時に魅入られていた人たちは正気に戻ったようだ。
しかし、その人々のほとんどは喪失感が強く、立ち直れない雰囲気が漂う。
「何が起きたんだ?ただ事でない邪気をじて起きてきたのだが」
出港以来、船酔いで船室に籠っていたヤンが甲板上に姿を現してヤースミーンに尋ねた。
「ヤンくん。船酔いには慣れたのですか?私達は今し方セイレーンに遭遇して船上にいた人の大半がセイレーンの呪いに掛っていたのです。海上にいるセイレーンが、亡くなった自分にとって大切な人に見えたみたいで次々に海に飛び込みそうな雰囲気でした。助かったのはタリーさんがセイレーンに銛を打ち込んでくれたおかげです」
「船酔いにはいまだに慣れていなくて死にそうだけど寝ている訳にも行かないみたいだ」
ヤンは甲板の上で悲しみに暮れる人たちに浮かない表情で近寄ると、小声で呪文を唱え、それぞれの人に魔法をかけていく。
「ヤンが魔法をかけた人々は、その場で倒れて昏睡していった」
「ヤン君はセイレーンの呪いから治癒させる魔法を知っていたのですか?」
ヤースミーンは尊敬の眼差しでヤンを見ながら尋ねたが、ヤンは頭を振った。
「俺はこの人たちを魔法で眠らせているだけだ。考えてもみろよ、この人たちはさっきまで愛する人を失ったことなんてそぶりは見せずに生活していただろ?魔法で手伝ってひと眠りさせたら、目が覚めてからはまた悲しみと折り合って生きていくことが出来るはずだ」
ヤンがはセイレーンの被害を受けた人々に魔法をかけていき、タリーの順番が来た。
ヤンはタリーも魔法をかけて眠らせてしまおうとしたが、タリーはヤンを遮った。
「私にはその処理は必要ない。その代わりにさっき銛を打ち込んだセイレーンを引き上げたいので付き合ってくれないか」
タリーは明らかに心理的なダメージを受けているが、気丈に振舞っている。
貴史は、無理しないでタリーも寝てしまえばいいのにと思ったが、それでもタリーの要請どおりにセイレーンに打ち込まれた銛につながるロープを手繰り始めた。
「タリーさん、セイレーンなんか引き上げてどうするつもりなのですか?」
貴史は何の気なしに質問したのだが、タリーは深刻な表情で貴史に話し始めた。
「シマダタカシ、私のいた世界は君がいた世界と似通った近代文明に根差した世界だった。しかし、そこは世界を二分する戦乱が続いていたのだ。私の母国フランスは第三帝国に占領されて久しく、住民はジェノサイドの予感に怯えて暮らしていた。私は辛くも中国に亡命することに成功し、後に日本に渡って義勇兵としてパイロットになるのだが、それは亡命中に私の恋人が強制収容所で死んだという知らせを聞いたからだった。あのセイレーンはその恋人の顔で私を手招きしやがったのだ」
貴史はどう答えたらよいかわからず、聞き役に徹することにした。
「それで、あのセイレーンをどうするつもりなのですか?」
「引き上げて姿造りにしてみんなで食ってしまおう」
貴史がロープを手繰る手が止まった。
「あれって一応人に見えるような上半身をもっているので、姿造りはまずくないですか?他の人が困ってしまいますよ」
「そうですよ。人型の魔物を食べるのは倫理上どうかと思うし、ましてや姿作りとか姿焼きにすると残虐行為にとられかねないですよ。今はパロの都のバイヤーもいるのだからそれだけはやめましょう」
貴史とヤースミーンが口をそろえて説得したので、タリーも多少考え直す気になったようだ。
ヤースミーンは普段なら魔物を食べること自体好ましく思っていないが、「姿作り」を辞めさせるために食べることについては仕方なく譲歩しているようだ。
セイレーンの影響を受けなかったアンジェリーナも心配そうにタリーを覗き込む。
「タリーさんは変わった人だと思っていたけど、異世界から来た人だったのね。恋人を亡くすような辛い思いをしたことが、この世界に来るきっかけになったのかしら」
アンジェリーナはタリーが恋人を失って悲嘆して自殺したのではないかと思ったようだが、タリーは首を振って自身の過去を説明した。
「それはちがうよ。私は同盟軍の起死回生の奇襲攻撃にパイロットして参加したが、その計画は敵に読まれていた。私が最後に見た閃光は対空核ミサイルが起爆した閃光で、私は乗機もろとも跡形もなく蒸発してしまったはずだ。そして私のいた世界は全面核戦争となり今では人類が滅亡し無人となった地球が太陽系を公転し続けているに違いない」
タリーの話はアンジェリーナには理解できない部分も多かったはずだが、彼女は何となく雰囲気を察した様子で沈黙した。
その横で話を聞いていたパロの都の商工会長のジョセフィーヌは、タリーの肩にそっと手を置いた。
「癒えかけていた心の傷を、思い切り抉られたのはわたしも同じよ。姿作りはやめておくとしてもお刺身にするために切り刻むのはいいかもしれないわね」
貴史はジョセフィーヌがタリーを宥めてくれると思っていたので、ジョセフィーヌの言葉を聞いて血が凍るような気がした。
「私の気持ちを理解していただけたようですね。刺身で食べるには醤油が欲しいところですが、無ければオリーブオイルと塩とライムを使ってカルパッチョに仕立ててもいいですよ」
「あら、私が試供品として持ってきた荷物の中に東方から取り寄せた醤油もあったはずよ。無償で提供するから刺身パーティーにしましょうよ」
タリーとジョセフィーヌが妙な雰囲気で盛り上がっているとホルストが会話に加わった。
「それはいいですね。僕も手伝いますよ」
貴史が手を止めていたので、ホルストが代わりにロープを手繰ってセイレーンを引き上げる作業を始めた。
ホルストが見た幻影のマルグリットはホルストが親友のイザークと奪い合った女性は、彼女は最終的にイザークを選んだのだ。
その一件はホルストにとっては、命を捨てる覚悟でヒマリア軍に加勢することを決断させるほどに傷心な出来事だったのだ。
「ヤースミーン、魔法を使って人の記憶を探って弱みに付け込むというのは、やってはいけない行為のようだね」
「そうですね。魔法書で禁忌にされているわけではありませんが、本人にばれたら八つ裂きとか火あぶりで私刑にされる可能性は高いですね」
ヤースミーンは怖いことをサラッと言い、ヤンはため息をついた。
「だからこそ、ひと眠りさせてワンクッション置きたかったんだ」
甲板上ではセイレーンの被害を受けた人々が、あまり楽しそうではない表情でセイレーンの料理を始めようとしていた。
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