第34話 sideシメイ08 心象風景

 黒竜の動きが止まった。

 しかし身に纏う破壊の力はそのままだ。

 迂闊に近づくことは出来ない。


 ――いつの日か……。手を取り合って……――


「……っ!?」


 まただ。

 また声が聴こえてきた。

 柔らかな響きを伴う女性の声。


「な、なんだ、この声は……?」


 俺だけではない。

 皆が戸惑っている。

 頭の中に直接流し込まれるようなこの声は、この場に集った全ての者に伝わっているらしい。


 竜には感応能力が備わっていると聞く。

 この現象は、その力に依るものだろうか。


 ――ペルエール……。希望を繋いで……――


 声はどんどん大きくなっていく。

 ふっと何かが頭に浮かんだ。


(……なんだ? ……これは……?)


 浮かんだものは風景だ。

 霞がかったそれは、次第にはっきりと、脳裏に映像として現れ始めた。


 森を彷徨う黒髪黒瞳の娘。

 青年との出会い。


 ふたりは互いを『オイネ』と『ペルエール』と呼び合っている。


(これは……若き日の英雄王ペルエールか……?)


 少しずつ縮まっていくふたりの距離。

 暖かな日々の始まり。

 悪政を敷く亡国への憤り。

 立ち上がったオイネとペルエール。

 それら全てが、実感とともに胸を駆け巡っていく。


 ……おかしい。

 これは俺の知っている王国の成り立ちとは、まるで異なる。


 魔国を興した魔女オイネは、黒竜へと変じる力を持っていた。

 所謂、『滅びの黒竜』である。


 建国間もない我がペルエール王国で、かの竜は破壊の限りを尽くし、その後に英雄王ペルエールに討たれたはずだ。


 しかし、いま胸の内で繰り広げられているこの映像は、おそらくはオイネの心象風景。

 魔女は英雄王と手を取り合い、民を救わんと懸命に戦っている。


(……過去が……捻じ曲げられている……?)


 わからない。

 俄かには判断が難しい。

 なにが真実であるのか……。

 だが脳裏に浮かぶこのふたりの想いは、圧倒的現実感を伴って俺の心を掻き乱してくる。


 ――……希望を、繋いで……――


 オイネの心象風景が、ゆっくりと俺を侵食していく。

 闘争の終結。

 そして新たに芽生えた、憎しみの連鎖。


 そうか。

 そうだったのか……。


 俺は全てを理解した。

 それは皆も同じことであろう。


 腐敗し尽くした亡国は、オイネやペルエールと共に立ち上がった群衆に倒された。

 これで国に平和が訪れる。

 誰しもがそう思い、そう願った。


 しかしそうはならなかった。

 これまで悪政に組み敷かれる側だった群衆が、今度は圧政を敷く側へと変わり、亡国に巣食っていた元王侯貴族たちを激しく弾圧し始めたのだ。


 それは宛ら魔女狩りがごとき激しさだった。

 オイネとペルエールはそれを嘆き悲しんだ。


 そしてオイネは、居場所を失った元王侯貴族たちを引き連れて北東の枯れた大地へと移住し、魔国オイネを建てたのだ。

 いつの日か、両国の民から憎しみが消え去り、ともに手を取り合える未来がくると信じて……。


 ――……希望、を……――


 オイネの声が遠ざかり始めた。

 だが代わりに、何者かの声が大きく響き出す。


 ――……憎い。……余は、ペルエール王国が――


 これは……魔女イネディットの想いか?

 どうやらこの黒竜は、魔女が変じたものらしい。

 気付いてみればたしかに、竜の周囲には6つの魔力球が浮かんでいる。


 魔女のなかには怒りが渦巻いていた。


 胸を締め上げる想いは、嘆きだ。

 侵略により愛する民を蹂躙される憤り。

 飢えて死にゆく民に、なにもしてやれぬ無力感。


 イネディットの心は、そんな罪悪感にも似た苦しみで満たされていた。


 ――……余は……。余は……――


 彼女の悲哀が、慟哭が、真っ直ぐに胸を打つ。

 いつしか俺の頬を涙の雫が伝っていた。




「…………」


 集まった騎士たちは、皆一様に言葉を失っていた。

 誰かがポツリと呟いた。


「……俺たちは……なんの為に戦っているんだ?」


 その言葉を誰が呟いたのかはわからない。

 だが皆、同じ想いを共有していた。


 活動を停止していた黒竜が蠢いた。

 それにいち早く気が付いたのはキルケニーだ。


「みんな! 防衛ラインを築き直すんだ!」


 叫んで回る。

 俺も含めて呆けていた騎士たちが、我を取り戻した。


「いまのうちに! 早くしないとまた竜が動き出すぞ!」


 手早く陣を構築していく。

 残った戦力は、黄金騎士団、千五百と王竜騎士団、六百の計二千百。

 当初の半数以下となっていた。

 少ない兵数で、慌ただしく防衛ラインを構築していく。


「……グルォ」


 なんとか守りの体制が整うのと同時に、黒竜が再び前進を始めた。


 ――滅びを……。王国に滅びを……!――


 イネディットが王国を憎む気持ちはわかった。

 だが、だからといって座して滅びを享受するわけにはいかない。


 辺りを見渡せば、配下の竜騎士たちは過去から続く悲しみの連鎖と、魔女の憤りに当てられて意気消沈している。


 これではいけない。

 皆はもう、魔国と戦う意義を見失っている。

 全てを解したいま、俺も同じ気持ちだ。


 王国は、魔国と和睦すべきである。

 それがこの場に集った皆の答えであろう。


 とはいえ猛り狂った黒竜は、侵攻を再開する。

 近い将来手を取り合おうにも、この場を凌がねば王国そのものが滅びかねないのだ。


「王国の騎士たちよ! 逃げ出さず立ち向かうことを選んだ兵たちよ! 今こそ奮い立て!」


 皆が俺に注目した。


「お前たちも見ただろう! 王国と魔国の真実を!」


 黒竜を剣の切っ先で指し示す。


「あれなるが、我らが過ちの末路! あがなわねばならぬ罪の象徴!」


 沈んでいた騎士たちが、顔をあげた。

 誰もが真っ直ぐに、災厄の竜を見据える。


「過去より連綿と続く、凄惨なる戦いに幕を引くは、ここに集った俺たちに他ならない!」


 騎士が、兵が、立ち上がった。


「なんとしても竜を退け、王国と魔国の未来を切り開くぞ!」


 黒竜が大きく口を開く。


「グルォオオオオオオオオオオオオオ!」


 だがしかし、大気を震わすその咆哮にも、怖気付くものはもういない。


「皆のもの、俺に続けえええええええ!」


 下した号令のもと、最後の戦いの火蓋が切られた。

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