第12話 氷姫のティータイム

どんよりとした雲が空一面を覆い、小雨がぱらつく月曜日の朝。

雨の日特有の倦怠感と、未だ回復せずにいる全身の筋肉疲労に耐えながら、

ようやく豊倉とよくら高校の正門までたどり着いた。

「大丈夫、洋くん?やっぱり保健室行く?」

下駄箱前で靴を履き替えるのに手間取っていると、河江が心配そうに声を

かけてきた。ちなみに、このセリフを言われたのは、本日通算で6度目だった。


「いや、ほんと大丈夫」

ショッピングモールを一日歩き回った結果、筋肉痛になってしまったので、

学校に着いて早々に保健室というのは、どうにもばつが悪すぎる。

それに、湿布でも張られてしまった日には、「くさっ……」と教室内で

非難を浴びること間違いなしだ。

「分かった……でも無理しちゃダメだよ?」

河江はそう言うと、俺の脱いだ靴を代わりに、下駄箱にしまってくれた。

「すまん」

「幼馴染のよしみですよ。あとクラスメイトとしてもね」

河江はお決まりの敬礼ポーズをしながら、ニコッと笑った。


「クラスメイトか」

俺は河江に聞こえぬように小さな声で、そっとつぶやいた。

河江のおかげで、最近は歓迎会で一緒だった飯田や近藤、それに竹宮とも

ちょくちょく教室で、話すようになった。

それが一部のクラスメイトから、よく思われていないことは、自覚している。

まぁたしかに、今までぼっちだった存在が、それこそ

急に話すようになったら、癇に障るのも無理はない。


「ホント顔色悪いよ?ねぇ、無理せず保健室行こ、ね?」

そんなネガティブ思考をしていると、通算7度目の問いかけを、河江から

受ける羽目になってしまった。

「いや、いい。自分で選んだことだから」

俺はそう答えると、軋む肉体に鞭を入れ、教室へと歩き出した。





「おいっ、高桐っ!!お前の席すごいことになってんぞ!!」

教室へと続く廊下で、飯田が俺の姿を見つけるや否や駆け寄ってきて、

そうまくし立てた。

「なっ、何?」

突然のことに動揺しながらも、ちょうど先ほど考えていた、冷ややかに俺を

見るクラスメイトのイメージが頭をよぎり、嫌な予感がした。

「とりあえず、早く来い!!」

そう飯田は言い放つと、先に教室内へと駆け込んでいった。


「何かあったのかな、洋くん……」

隣では河江が、不安そうに俺を見つめていた。

中学3年間のぼっち生活で、陰口やら仲間はずれみたいなのは、幾度となく

経験済みだったが、物理的に何かをされたことはなかった。

そのため、実際そういったことが起こった時に、どう対処するばいいのか

分からないのが、本音だ。

「行くしかないか」

とりあえず覚悟を決め、俺は教室へと一歩一歩進んでいった。


「よく見えん……」

教室の前まで着くと、確かに俺の席の周りに、人だかりができているのが、

分かった。

ただ、人の壁に視界を遮られ、その奥で何が起こっているのかは、

ここからだと確認することができない。

「ちょっとごめん」

前を通るため、壁となっていた数名のクラスメイトに声をかけると、振り返った

全員が驚いた顔をしたのち、黙って道を譲ってくれた。周りからは「おい、来たぞ」

といったひそひそ声が聞こえてくる。ようやく人だかりの隙間から、自分の席が

見える位置まで来た。

そこには、俺の席で優雅にティータイムを楽しむ、映画研究部部長の姿があった。


「何してんすか、望月先輩……」

貴族のお茶会に出て来そうな焼き物のティーセットと、お茶うけのクッキーを

乗せたハンカチを、俺の机に並べたであろう張本人に、今の状況の説明を求めた。

「おはよう、高桐君。河江さんもお元気そうね」

特に現状の説明をすることもなく、ごく自然に望月先輩は挨拶をすると、紅茶っぽい

飲み物が入ったカップに口を付けた。先日、ほぼ脅迫と言っていい手段で、

本入部させられた時から、変な人とは思っていたが、ここまでの奇行に走る人とは、

思いもしていなかった。


「あら、このクッキー美味しいわね」

一口サイズのクッキーを上品に口に含むと、望月先輩は、自分の隣に立っていた

竹宮に、味の感想を伝えた。

「ホントですかぁ~」

竹宮は喜びの声をあげ、顔をニヤつかせると、茶色の髪をクルクル指に

巻きつける。

「こんなにおいしいもの……本当に頂いて良かったのかしら?」

「紅茶には断然クッキーっしょ!と思ったので、どうぞ~」

どうぞ~じゃないんだよ、どうぞじゃ!


「竹宮……なんで先輩餌付けしてんの?」

「だって恵奈~料理研究部だし」

「答えになってないだろ……てか料理研究部なのかよ、竹宮」

キャラと部活にギャップありすぎだろ。そもそも、そんなデコった爪で

調理できんの?


「あの~望月先輩、なんで洋くんの席でティータイムしてるんですか?」

河江は、もっともな質問を投げかけた。そうだよな、この状況明らかに

おかしいよな!?

「あっ、これ?鑑賞会用にネットで買ったのだけれど、全然使ってなかった

から、いい機会だと思って」

「だから、そうじゃなくってですね……」

俺はそう言うと、深いため息をついた。おそらくこのままでは、話が一向に前へ

進まないので、目の前に広がる異様な光景には一旦、目をつぶることにした。


「何か用ですか?」

「放課後部室に来てちょうだい、河江さんもね。できれば、倉石さんにも声を

かけておいてもらえるかしら。大事なお話があるの」

「……それだけ?」

「ええ、そうよ。私、この前は舞い上がってしまっていて、つい連絡先を聞き

そびれていたでしょ?だから直接呼びに来たわ」

望月先輩はそう答えながら、空になったコップに薄茶色の飲み物を注いだ。


「分かりました、倉石にも伝えておきます」

ざわつく周りの状況も踏まえて、早くこの状況に終止符を打つべく、俺は手短に

返答した。

「ありがとう。本当は連絡先の一つや二つ、知る方法はいくらでもあるの

だけれどね……ほら、こういうのは、直接顔を合わせて伝えることが重要でしょ?」

「……そうですね」

やっぱこの人めっちゃ怖いわ、絶対逆らわんとこ。


「ホームルーム始めるぞ~席つけ~。んっ、望月~何してんだ、ここで?」

望月先輩への絶対服従を再確認していると、教室に丸山先生が入ってきたのが、

声で分かった。そういえば、この人が映研の顧問だったな。

「部活の後輩に連絡事項です。お騒がせして、申し訳ございません」

「別に構わないが、お前もそろそろ教室戻れ~」

「はい、そうします」


望月先輩は素直に丸山先生の言うことを聞くと、足元に置いてあったバスケットに

ティーセットなどをササッとしまい込み、立ち上がって、教室の外へと歩き出した。

周りの人だかりも、彼女が近づいてくるのが分かると、通れるように道をあける。

「それでは失礼します……では、放課後またお会いしましょう」

教室の入り口付近で振り返った望月先輩は、一礼したのち、俺たちのほうへ

手を振りながら、去っていった。


「ほらっ!早く席につけ~」

丸山先生が再度、教室全体にそう呼びかけると、ガヤガヤ音を立てながら、

全員自分の席へと戻っていった。

「ねぇねぇ、先輩が飲んでたのって、ダージリンかな?」

俺が席につくと、後ろから河江が話しかけてきた。

「気になるの、そこなの?!」

とうとう限界に達した俺は、バッと振り返って河江にツッコんだ。





「洋平君、今日も学食なら一緒にいいかな?」

昼休みになり、俺が席を離れようとした時に、近藤から声をかけられた。

「いいけど、いつも弁当じゃなかった?」

この高校には学食があるものの、クラスの大半は弁当を持参しているイメージだ。

河江も昼は、シキや竹宮を含めた女子グループ数名で、弁当を食べているらしい。


「ははっ、今日寝坊してしまいまして。作る時間がなかったんです」

近藤は、照れながらそう言うと、眼鏡を片手で軽く押し上げた。

「何二人で内緒話してんだよ~」

そこへ飯田が、俺と近藤の肩に手を回しながら、会話に割り込んできた。


「昼は学食にするって話です。幸喜こうきは弁当だし、関係ありませんよね?」

近藤は鬱陶しいと言わんばかりに、自分の肩から、飯田の手を払いのける。

「俺も行くわ~。弁当と学食ダブルで食うべ」

「今日の部活で吐きますよ、絶対」

「いやいやいや、俺の胃袋チョーツエーから!」

「食う時間なくなるから先行く」

本当に昼休みが終わってしまうので、俺はそう言い残して、学食へと向かった。

後ろでは、未だに二人の漫才が続いていた。





「そういえば、洋平君は映研だったんですね」

近藤は俺にそう話しかけると、肉うどんをズルズルとすすった。

七三のヘアースタイルに丸眼鏡の風貌から、サラリーマンの昼飯にしか見えん。

「ああ、なんかそうらしい」

汁の味が染み込んだカツを飲み込んだ後、俺は返事をした。にしても、

やっぱ学食のカツ丼はいつ食っても、びゃあ゛ぁ゛゛ぁうまひぃ゛ぃぃ゛。

「そういや氷姫。チョー美人だったけど、噂通りの変人だったなー!」

学食で頼んだチャーハンに、弁当の白飯を追いライスしながら、飯田が喋る。


「氷姫って望月先輩のことか?」

お前も十分変人だよと思いつつ、飯田にそう質問した。

「んっ?そうそう、望月祭もちづきまつり先輩。校内じゃ割と有名人だぜ」

「私も知ってますよ。水泳部の先輩から色々噂と……忠告もされてますから」

「例えばどんな?」

「たしか映画の撮影でプールを使いたいと言われ、当時の水泳部部長が断ったらしいです、練習があるからって。そしたら、氷姫さんから「二人っきりで少しお話ししましょう」と奥へ連れていかれ、数分後、青ざめた表情で部長が「今日から一週間練習を休みにする」と言ったそうです」

なにそれこわい。


「この話にはまだ続きがありまして……聞きたいですか?」

近藤が眼鏡をクイッとしつつ、険しい表情で俺をジッと見つめる。

俺は一度、唾を飲み込んでから、黙って頷いた。

「続きってなんだよ!さっきの話だって俺聞いてねーぞ!なんで成希なるきだけ

色々知ってんだよ!」

マジで雰囲気ぶち壊しである。


「この話を先輩がしてた時、幸喜こうきもいましたよ!聞いてないあなたが悪いんです」

話の腰を折られてか、近藤は語気強めに、言い放った。

「はぁ……ごめんね、洋平君。さっきの続きだけど、部長が勝手に練習を休みに

したものだから、顧問が激怒したらしいんだ「勝手なことをするな」って。それで

ことの発端でもある、氷姫さんに注意をしようとしたんだ。そしたら……」

そこで近藤が、声を詰まらせ、一旦水を口に含む。隣では飯田がチャーハンon

ライスをかきこんでいた。


「そしたら次の日、水泳部全員が集められ、顧問がこう言ったらしいです、

「私も含め水泳部全員、映研の撮影に協力するように」っと……涙目で」

あるんですよね、こういうことって……というセリフが、聞こえた気がした。

「全然怖くねーけど!つか、どういう意味?」

ゲップをしながら、飯田が頭にはてなマークを浮かべている。

「はぁ……まぁ、洋平君には伝わったと思いますので、くれぐれも氷姫さん

には気を付けてくださいね」


ため息をつくたびに、中堅サラリーマン間が増していく近藤に同情しつつ、

放課後、氷姫からどんな話があるのかが、どうしても気になってしまい、

残ったカツ丼を味わう余裕は、とうになくなっていた。








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