跡を残す

LUNA

第1話 私の旦那さん


私は及川由香里、旧姓高橋由香里。二年間好きだった担任の先生と結ばれ、最近籍も入れた。いわゆる新婚夫婦と言うやつだ。欲しかった存在がいつもそばに居てくれる、幸せの絶頂というものがあるなら、今が正にそれなんだろう。


私は大学を卒業してからは介護の仕事に就き、働きながら夫である正人さんと生活してる。正人さんは最近学年主任へと昇格したらしく、またひとつ偉くなったけど、自分のクラスを受け持つことが出来なくなったのは寂しいなぁ、なんてボヤいてた。今日は久しぶりに正人さんと私のお休みが重なる日。正人さんはお仕事上土日しか休みが取れないし、私の休みは基本平日だから、いつもすれ違ってしまう。だから、こんな貴重な日は二人で何処かへお出かけするのがいつものことなんだけど、今日は正人さんの要望により、家でゆっくり過ごすことになった。暖かいココアとコーヒーをマグカップに注ぎ、お茶請けには正人さんの好きなチョコレートのたっぷりかかったドーナツを用意した。


「どうぞ」

「ありがとう」


テーブルの上にそれを置けば、正人さんは優しく微笑んでくれて。この笑顔に高校生だった私は一目惚れしたんだよな。


「今日はごめんね。外へ連れ出してあげられなくて」

「いえいえ、私もお家でまったりしたいと思ってましたから」

「そっか、.....あのね、俺由香里に言いたいこがあるんだ」

「なんでしょう?」


正人さんは頭を掻きながら、どう切り出そうかという雰囲気で、言葉を吐き出した。


「俺さ、由香里との子どもが欲しいんだ」

「子ども、ですか?」


別に正人さんは間違ったことは言ってない。

私はもう高校生ではない、”それ”がいけないことだと阻むものは何も無い。だけど、私にはまだまだ考えられないことだった。


「由香里はどう? 俺との子ども、欲しい?」

「まだ早いと思います、私、二十三歳ですから」

「俺はもう三十五だ。二人目のことも考えると、もうそろそろ一人目を作っておかないと」

「もし赤ちゃんが出来たら、お仕事辞めなきゃならなくなります。一番下っ端の私が、辞める訳には」

「辞めたらいいよ。俺の給料も上がったし、由香里がわざわざ働かなくても子どもと合わせて食べていけるだけの貯えはある。安心してくれていい」


それは正人さんの都合じゃないの? とは言えなかった。正人さんはいつも正論を言う。国語教師だから語彙力が豊富なのか、私より十二年も多く生きているから経験が豊富なのか。でも、私は正論というだけで物事を判断出来るほど出来た人間じゃないから。


「無理に子どもを作る必要は無いと思います。私、正人さんと二人で十分幸せですから」


やんわりと伝えてみた、が、途端に正人さんのオーラが穏やかなそれから鋭いものに変わっていく。ああ、自分の意見を変えるつもりは絶対にないんだ。


「ごめん、その選択肢は無しだ」

「どうしても、作らなきゃだめですか?」

「うん」

「.....」


言いたいことは山ほどあるけど、出てこない。

口喧嘩では正人さんに勝てたことなんてないから、何を言ってもねじ伏せられてしまうような気がして。


「もう少し、考えさせてください」

「ごめん、今ここで答えを出してもらいたいんだ」


答えなら出した。赤ちゃんなんて欲しくない。ずっと二人で一緒に居たい。でもここでの答えとは、正人さんが望む答えってことなんだろう。


「.....夕食の買い物へ行ってきますね」


私は逃げるように、外へ飛び出した。


買い物を終え、家に帰ると、正人さんはそれ以上何も言って来なかった。ご飯も普通に食べたし、お風呂に入って、あとは寝るだけ。

明日から五連勤だから、頑張らなくちゃ。

ちなみに正人さんと部屋は違う。同棲するとき、お互いプライベートな空間があった方がいいと、わざわざ2LDKの物件を契約してくれたから。だから、お風呂上がりの正人さんがそこにいるのも、もう一組布団が敷かれているのも、そういうことをする以外に理由はない。


「正人さん」

「お風呂、出た?」


濡髪で、ゆったりとした寝間着を着ている正人さんは妙に色っぽい。もちろんそういうことをするのは初めてじゃないけど、今日は何となくしたい気分じゃない。


「由香里と同じ部屋で寝たい。たまにはいいよね?」

「は、はい」


一緒に寝たい、と言われれば、妻として断ることは出来ない。証明が落とされて、一番暗いライトだけがぼんやりと部屋を照らした。























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跡を残す LUNA @nanako1107

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