終章

第41話 勝ち取った未来

「お兄ちゃんの馬鹿!」


 家の扉を開くなり、妹であるアイリスに浴びせられた言葉がそれだった。


 帰ったのは翌日の夕方。迷宮自体は当日の真夜中に脱出したものの、治療のために半日以上が費やされた結果だ。おかげで、失った右腕も元通りだ。


 精一杯に睨み付けてくるアイリスの目は充血し、周りが赤く腫れている。彼女にどれだけ心配をかけたかを知るには、それだけで十分だった。


「悪かったよ」


 右手でアイリスの頭を撫でようとするが、小さな手のひらに弾かれてしまう。

「何も言わずにいなくならないで! あんな大金を残されても、私、全然嬉しくない!」


「悪かったよ。けど、あのお金があれば」


「私はお兄ちゃんがいればそれでいいの!」


 泣きはらし、枯れ果てただろう涙。だが、叫んだのを歯切にポロポロと涙がこぼれ始めた。


 嗚咽を漏らしながら抱きついてくる妹にクロイスは何も言えなかった。代わりに、彼女の身体を抱きしめる。


「もういなくならないよね?」


 深い沈黙。異変を感じ取ったアイリスが不安げな顔をあげた。


「お兄ちゃん?」


 震える声。自らの問いに対して行われるクロイスの回答を否定するように、アイリスは首を横に振った。


「ねえ? いなくならないよね? 私のこと一人にしないよね?」


 すがる瞳から目を逸らす。


 戦いを生き残ったクロイスたちは正式に勇者と認められた。つまり、魔王を打ち倒すという使命が与えられたのだ。魔王の力は強大だ。今のクロイスたちでは戦うなど論外。その上、神器は一つしかない。


 神器がすり替えられていたことと、魔人が潜り込んでいたことについては調査が進められている。現在分かっているのは、すでに神器は王都から持ち出されているということだけ。


 強くならなければならないのと同時に、神器も探さなければならない。すでに捜索隊が各地へ派遣されており、その情報に応じてクロイスたちが向かうことになっている。神器を守る強力な魔族がいると予想されるからだ。


 だから、クロイスはここにとどまることを許されなかった。


「あのね、アイリス。お兄ちゃんは世界を救う旅に出ないといけないんだ」


「世界なんかどうでもいい! 私はお兄ちゃんと一緒がいいの!」


「分かって、アイリス」


「お兄ちゃんの馬鹿! もう知らない! 私を置いてどこへでも行けばいい!」


 クロイスを突き飛ばしたアイリスは、そのまま屋根裏の方へ駆け上がって行った。追いかけて説明を試みるも、アイリスはそのすべてを拒絶した。それから出発までの数日間、彼女は一言も口を利かなかった。





「どうしたのかな? 表情が暗いよ?」


「ああ、ちょっとな……」


 顔を覗き込んで来るプランに、クロイスはため息交じりに訳を語る。


 家を出る際に別れを告げようとしたのだが、それにすらもアイリスは無視を決め込んだ。死ぬつもりはないが、万が一ということはある。あれが最期の会話になるかもしれない。妹と和解をできなかったことが、非常に心残りだった。


「元気出してください! 私たちの新たな門出ですよ!」


 生気みなぎる明るい表情のセラリア。胸の前でガッツポーズを決める彼女だが、それが空元気であることはすぐに分かった。


 この門出はいくつもの屍の上に成り立っている。心優しい彼女だからこそ、心の底から喜ぶことができなかったのだろう。


 それはクロイスとて同じだ。むしろ、死を積み上げた張本人でもある。


「気にするな、と言っても無理だろうな。慈しみに溢れているのはセラリアのいいところだが、欠点でもある」


 口にしてから、ソフィアはハッとした表情で大慌てになって訂正する。


「ち、違うぞ? セラリアが劣っているということではない。ときにそれが仇となることもあるということであって、私はそんなセラリアも大好きだ」


 ソフィアは周囲の目を気にしながら、鼻を伸ばしきった状態で声を潜める。


「ところで、その、迷宮を出たら抱いてもいいという約束は――」


「ソフィー? 私というものがありながら、何をセラリアにして貰おうとしてるのかな?」


「あ、い、いや、これは違う! 断じて浮気ではない! プラン!?」


 生きて帰ったら結婚するという迷宮での約束。それを未だに本気にしているソフィアは、必死になってプランのご機嫌を取ろうとする。だが、そんなソフィアを弄ぶプランは、彼女の言い訳を無視してセラリアへ向き直った。


「死んでいった人たちの分も、私たちが背負っていけばいいんだよ。それが唯一できることだから」


「はい。分かってはいるんですが……」


「まあ、少しずつ整理していけばいいんじゃねえの。時間はまだまだあるぜ」


 言いながらセラリアの肩に手を置くヒエラルド。本人にとってはセラリアを励ます意味でしかないのだが、あらぬ想像を膨らませた変態が爆発する。


「貴様! セラリアの肩から穢らわしい手を放せ! 神聖なる乙女の身体に触るなど――このド変態がっ!」


 振り降ろされた剣に、ヒエラルドは慌てて手を引っ込める。一瞬後に、腕があった場所を刃が通り抜けた。


「あっぶねえ! 何すんだよ!」


「ちっ、その手がなければ触れられる心配がなくなるだろう」


「そしたら戦えねえだろ!?」


 クロイスとセラリアを除く三人はいつも通りだった。決して彼らが薄情というわけではなく、死への慣れ具合の問題だった。


 やがて、荷積みを終えた馬車がやってきた。今回の旅のために国から支給されたものだ。全員がそれに乗り込み、一行は王都を出発する。馬車の操作は経験があるというヒエラルドに任せた。


 クロイスを騙して戦場へ引きずり込んだ、胡散臭いサングラスの男を見つけることは叶わなかった。メイドも同じだ。文句の一つも言ってやろうと思っていたのだが、二人ともすでに王都を発っていた。旅先で出会った折には復讐してやると決めている。もちろん命を奪うつもりはない。だが、相応の罰は受けてもらう。内容はまだ決めていない。


 見慣れた街並みを通り過ぎ、内外を隔てる門をくぐる。そこから先へ続く世界は、クロイスが未だ見たことのないもので溢れている。


 長く険しい旅になるだろう。それでも、この仲間たちとならやっていける気がした。ふと視線を感じて顔を向けると、セラリアと目が合った。


「どうした?」


「いえ、何だか、嬉しくて」


 セラリアは胸に手をあて、穏やかな表情で微笑んだ。


「大切な人と一緒に旅をできることが」


 馬車の音で、かき消されそうなほど小さな声。だが、クロイスにはちゃんと聞こえていた。


「僕も嬉しいよ」


 急に黙り込むセラリア。その顔が見る見るうちに赤く染まっていく。


「セラリア?」


「い、いえ、分かっています。クロイスがそういう意味で言ったのではないことくらい……」


 モジモジしながらボソボソ喋っているため、後半はほとんど聞き取ることができなかった。


「悪い、聞こえなかった」


「な、何でもありません!」


 突然の大声に、ソフィアたちの視線がセラリアへ集中する。さらに顔を真っ赤にしてあたふたしている彼女だが、突然ある方向を向いた。積み上げられた荷物の方だ。神妙な面持ちで凝視している。


 クロイスも目を向けると、木箱にかけられた布がわずかに持ち上がり、何かがこちらを見ているのが分かった。


 即座に全員が臨戦態勢を取る。国の中枢部ですら魔人が入り込んでいたのだ。荷物に紛れ込むぐらい造作もないだろう。


 この場において、クロイスはあまり役に立たない。そのことが彼の焦りを加速させた。


 神器による、奪った能力の完全掌握。自分のものではない力を一〇〇パーセント引き出すために、代償が伴わないはずがなかった。


 使った能力は、クロイスの中から消えてしまう。


 魔人との戦いですべてを使ったクロイスは、本来の自分の力しか持ち合わせていない。ただ、迷宮で経験したことはクロイスの中に蓄積されていた。完全なるゼロからのスタートでないことが唯一の救いだ。


 飛びかかってくる様子はないものの、油断はできない。こちらから仕掛けるべきかとクロイスが迷っていると、唐突に布がめくれ上がった。木箱の中にいた何かが出てきたのだ。


「私を置いて行って女の子といちゃいちゃしてるなんて、最低」


 現れたのはジト目でクロイスを睨んでいるアイリスだった。


 目をしばたたかせるクロイス。すぐに事態を理解して、妹に詰め寄った。


「何でいるんだよ!?」


「お兄ちゃんを追ってきたの。私を置いてきぼりにして旅行なんてずるい」


「いや、だからこれは魔王を倒す旅で――」


「何ということだ…………」


 感嘆の声を漏らしたのはソフィアだ。アイリスの全身に舐めるような視線を這わせる変態は、頭を抱えてうずくまった。


「天使は実在したのか」


「天使?」


 アイリスが不思議げに首を傾げる。それを見たソフィアが悶絶し、アイリスに手を伸ばすが。クロイスが全力で撥ねのけた。


「何をする!」


「アイリスに手を出したら殺す」


「ぐっ……」


 クロイスは一睨みでソフィアを黙らせた。溢れ出る強烈な殺気。妹を守るためなら仲間さえも手に掛けるという鋼に意思に、ソフィアは敗北した。


「このパーティー駄目だわ」


「同じく」


 げんなりした表情でため息を吐くプラン。それに同調するヒエラルド。


「アイリス――」


「いや!」


「帰らないと」


「いや! いやだったらいや!」


「尊い……」


 剣の柄に手をかけそうになり、クロイスは必死の形相で自らの手を食い止めた。ソフィアはアイリスを観察することに夢中で気づいていない。


「私はお兄ちゃんと一緒がいい!」


「我がまま言ってないで――」


「そうですよね。お兄ちゃんと一緒がいいですよね」


「セラリア?」


 彼女がアイリスの味方をすることは予想外だった。危険な旅に可憐な少女を連れて行くなど、真っ先に彼女が反対するはず。


「一人では危ないですからね。こんな可愛いんですから、誰かに狙われるかもしれません」


 その言葉にクロイスはハッとした。もちろん、アイリスが可愛くて狙われることに対してではない。


 狙われる、という部分。クロイスは喰鬼だ。生き残りはいるようだが、喰鬼は人間によって全滅したことになっている。もし、アイリスが喰鬼だとバレるようなことがあれば、間違いなく処刑されるだろう。


 セラリアはそこまで考え、アイリスを連れていこうとしているのだ。


「心配しなくても、私たちが守って――」


 アイリスの頭を撫でようとしたセラリアの手を、他ならぬアイリスが弾いた。


「…………泥棒猫」


「え……?」


 敵意丸出しで睨み付けるアイリスに、セラリアは花のような笑顔を引きつらせる。


「ど、どういう意味でしょうか」


「ふんっ」


 アイリスはそっぽを向いて無視を決め込んだ。






 目まぐるしく変化した日常に、クロイスは小さく息を吐いた。数日前には想像もしていなかった非日常。それが日常に変わる。


 この先に待ち受けるだろう数々の困難については棚上げして、クロイスは目の前の光景に頬を緩めた。


 セラリアがいて、仲間たちがいて、アイリスがいる。


 守りたいものがすべてここにある。


 これはクロイスが――クロイスたちが勝ち取った未来だ。


 誰にも奪わせはしない。そのために戦うと決めた。


 勇者として不適切だと言われても知ったことではない。


 どのみち、やることは変わらない。


 魔王が人間を――クロイスたちの生活を脅かすというのなら。その火の粉を全力で振り払う。


 そんな決意を込めて、クロイスは誰にも聞こえない小さな声で呟いた。ここにいない誰かに告げるように。


「世界なんて、ついでに救ってやるさ」

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