第8話 優勝候補

 互いにその姿を認識した瞬間、空気が凍り付いた。


 相手は四人組。剣、大剣、槍が男で、杖を持っているのが女。使い込まれた武具は、全員が強者であることを言外に語る。


 彼らが即座に武器を手にしたのを見て、クロイスも慌てて同じようにした。


「何やってんのバカ!」


 しかし、プランはクロイスの腕を掴み、別方向へ走ろうとしていた。


「いや、だって……」


「あいつらは優勝候補! 勝てるわけない! 逃げるが勝ち!」


 切羽詰まった様子にクロイスは素直に従った。二人が逃げようとしたそのとき、一人の男が口を開いた。


「ああ、よかった。僕らも戦う気はないから、行っていいよ」


 その言葉に足を止めたプラン。クロイスは彼女の背中へ激突してしまう。ただ、尻餅をついたのはクロイスだけだった。


「どういうこと?」


 プランの問いに答えるのは、先ほどと同じ剣士だ。


「世界を救う同志だっていうのに、殺し合うなんて酷い話だからね」


 金色の髪に整った顔立ち。強い意志を感じる瞳。腰に携えた剣には丁寧な装飾が施されており、その外観はまさしく勇者と呼べるものだった。


 プランは眉を顰め、彼の鎧に付着した赤色を睨んだ。


「けど、もう殺したんじゃないの?」


 彼らの表情が強ばる。伏せた眼差しからは悔恨がうかがえて、殺人が本意ではなかったことが伝わってくる。


「ああ。僕たちからは決して手を出さない。けれど挑まれれば……仕方がない。僕たちは世界を救わなくちゃならないんだから」


 悔いはあっても、迷いはない。その姿勢を受け、クロイスは彼らこそ生き残って欲しいと思った。だが、すぐに思い直す。彼らは四人。クロイス自身が生き残る枠はない。それは駄目だ。


「そ。じゃあ、お言葉に甘えさせて貰うから」


「ああ。健闘を祈るよ」


「そっちもね」


 言って、プランはクロイスを引きずるようにして進んだ。彼も挨拶をしようと思ったが、彼女はそれを許さない。しばらく歩いてからようやく立ち止まったプランは、大きく息を吐いた。脱力して壁にもたれかかる。


「あー、死ぬかと思った」


「強そうな人たちだったな」


「いやいや、強いとかそんなもんじゃないよ? さっきも言ったけど優勝候補。次期勇者はあいつらって、もっぱらの噂なんだから」


 素直に感心していると、プランは呆れ顔で言った。


「あの場で剣を抜こうとした君の度胸も凄いよ」


 流れでああしたのであって、褒められても困る。もし戦いが始まってしまったなら間違いなく殺されていた。


「良い人そうでよかったな」


「脳天気なやつ……。最後まで残ったら戦うんだよ?」


 プランは気持ちを切り替えるように自分の頬を叩いた。弛緩していた空気が締まる。


「とりあえず先に進もう。早くしないと迷宮に飲み込まれちゃう」


 彼女が見ているのはコンパスだった。ここへ飛ばされる前に配られたもので、針が迷宮の中心を示し、盤を満たす光が残りの時間を表している。盤には四重の円が刻まれていて、その円に達するごとに迷宮は縮小していくらしい。


「どうしてわざわざ縮小させるんだろう」


「さあね。まあ、この広さで続けてたら一生終わらないからじゃない?」


 確かに時間制限がなければ戦わないで逃げ続けたり、隠れたりできる。当然、死にたくない者はそうするだろう。待っているのは持久戦。食料などは現地調達できるから、下手をすれば一生終わることがない。その間に世界は魔王によって滅ぼされてしまう。


 つまり、フィールドの縮小は戦いを増やすための措置なのだ。人数が残れば残るだけ、戦いが激しくなる。クロイスはそれを想像して戦慄した。間違いなく死ぬ。


 二人は道なりに進んだ。魔物にも人にも遭遇することなく拓けた場所に出た。正面に道が続いており、そこからは石畳になっている。


「ここを抜ければ第二層ね」


 迷宮は切り株の年輪のように層を成している。層はコンパスと連動しており、最初の円に光が達すると第一層が収縮でなくなる。それまでに第二層へ進んでいなければ自動的に死ぬ。進むことのできなくなった臆病者は容赦なく切り捨てられ、どんな状況でも前に進むことのできる者だけが生き残る。


 そのまま抜けようとした二人だが、ふと人の気配に気がついた。


 男二人の声に混じり、くぐもった女の声が耳に届いた。部屋の壁際に固まって何かをしているようだ。相手はこちらに気づいていない。無駄な戦闘を避けるため、さっさと通り抜けるべきだろう。そう尋ねようとしたクロイスの耳に、プランの舌打ちが聞こえた。


「最低……」


 一瞬、自分のことかとドキリとしたが、彼女が見ているのはくだんの三人の方だ。声に嫌悪がむき出しであるため、彼女がそう感じるほどの悪事なのだろう。プランの横から目を凝らすと、その光景に絶句した。


 男二人が少女を押さえつけ、服を脱がそうとしていたのだ。


 しかも、少女には見覚えがあった。青みを帯びた白銀の髪。ということは、あとの二人はあのとき彼女に声をかけていた柄の悪い男たちだろう。


「あいつら……っ!」


 勇者候補として恥ずかしくないのだろうか。人々を守るはずの存在が、反対に人を傷つけている。そんなことがあっていいはずがない。


 そして、この現状を引き起こしたのは他ならない自分自身だという自覚があった。もしあのとき割って入っていれば、少女は酷い目に遭わずに済んだのだ。罪悪感がチクリと胸を刺す。助けなければならないと思った。


 走り出そうとしたクロイスを、しかしプランは引き止めた。


「どうして止めるんだよ」


「冷静になってよ」


「冷静って……このままじゃあの子が」


「助けてどうするの? あんなことされても、ろくな抵抗ができないんだから弱いに決まってる。ここで助けても道中で絶対に死ぬ」


「だからって見捨てて行けって言うのか?」


 頷いたプランを見て、頭にカッと血が上った。同じ女性として、この光景を前に助けようと思わないのだろうか。クロイスは女性ではないが、今犯されようとしている少女の気持ちを想像することはできる。


 何より妹が同じ状況に陥ったらと思うと、いても立ってもいられなかった。


「あいつら、結構強いよ。生き残るためなら手段を選ばないから。正攻法で行ったって勝てない」


 それは忠告だった。クロイスでは敵わないと言っているのだ。


 クロイスは強く頷いた。そんなことは分かっている。それでも、この胸に熱く煮えたぎる怒りを抑えることができない。怖い。人間を相手に戦うと思うと、手の震えが止まらない。だが、あそこにいる少女はもっと怖い思いをしている。


 助けなくちゃいけない。


 誰かの不幸の上に成り立つ幸せなんて偽物だ。


 ただ、言ってしまえばすべて自分のためなのだ。生きて帰ったとき、妹に胸を張れる人間でありたい。そのためにクロイスは剣を抜いた。


 プランは呆れ顔でため息を吐くと、クロイスの隣に並んだ。


「危なくなったらすぐに逃げるからね?」


「プラン……ありがとう」


 後は男たちを退けるだけだ。


 殺してしまうかもしれないという恐怖はある。


 殺されるかもしれないという恐怖もある。


 クロイスは深呼吸をして、柄を強く握り直した。


 それでも、彼女を助けたいという気持ちが勝ったから。


 クロイスはプランに目配せをして、走り出――そうとした瞬間、男たちの近くの岩陰から何かが飛び出した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る