第2章
第5話 世界平和ために裸を見られるなんて
日の出前に家を出た。アイリスの可愛い寝顔は名残惜しかったけれど、断腸の思いで背を向けた。
馬車は予定通りに着いた。乗っていたのは昨日の男――ではなく、メイド服を身に纏った若い女性だった。
「おはようございます。それでは服を脱いでください」
「――はい?」
「城まで長くはありません。可及的速やかに装備を調え、身なりだけでも勇者候補らしくする必要がございます」
言うなり服を脱がせようとしてくるので、慌ててその手から逃れる。
「何をしているのですか?」
「それはこっちの台詞です! 自分でやりますから!」
「そうですか。それは――」
素早い動きでクロイスの服の裾を掴み取ったメイドが無表情で続ける。
「無理なご相談でございます」
抵抗空しく、身ぐるみを剥がされるクロイス。あっという間に革の軽鎧が取り付けられ、先ほどまでのみすぼらしい外観から一転して、一気に戦士らしくなった。
ハサミやカミソリで髪型を変えられ、よくわからない液体で髪型を固められる。クロイスの身なりを一通り整えたメイドは無表情で頷いた。お気に召したようだ。
「これで見た目は問題ないでしょう。開会式が終わった段階で誘導しますので、決して動かないでください。また、参加者との接触は極力控えてください。数合わせであることが公になれば運営に支障が生じ、最終的には世界平和に影響が及びますので。その場合、報酬はなくなります。お気をつけください。…………聞いておられますか?」
「…………はい」
リンゴのように真っ赤な顔を俯かせ、クロイスはこくりと頷いた。世界平和とかいうスケールの想像できない話が出たけれど、羞恥心でそれどころではなかった。
「恥ずかしがる必要はありません。殿方の裸は見慣れております」
「あなたはそうかもしれませんが、僕は女性に見られ慣れていません!」
「失礼致しました。それは盲点でした。女性経験の浅い男性への配慮が足りていなかったようです。私もまだまだですね」
馬車が止まり、メイドが扉を開く。言われるがまま外へ出て、目にした光景に息をのんだ。天高くそびえる城。クロイスはその麓にいた。一生入ることなどないと思っていた国の中枢。
「こちらへ」
呆然と見上げていたクロイスは、我に返って足を進めた。
「キョロキョロしないでください。怪しまれます」
「す、すみません……」
通されたのは広い空間だった。正面の壁には二階があり、金の装飾が施された豪勢な椅子が一つ。その両後ろには武装した兵士が立っていた。一階にも四方の壁際に兵士が控えている。
部屋の中には明らかに兵士と異なる装備を纏った男女の姿があった。張り詰めた緊張が伝わってきて、クロイスは喉を鳴らした。
部屋に足を踏み入れた瞬間、一斉に視線が募る。様々な思惑の混じったそれらは、決して気持ちの良いものではなかった。値踏みされていることだけはハッキリとわかる。
――自分より強いか否か。
ほとんどの者が一秒もかけずに視線を外した。
「お気をつけください」
背後からメイドが囁く。
「ここに集うは勇者候補。誰しもが勇者になることのできる強さを持っています。中には一騎当千の猛者もおります。戦えば一秒も立っていることができないでしょう」
「それって……」
「それでは後ほど」
クロイスの疑問に答えることなく、メイドは行ってしまった。
言われなくとも開会式が終わったら帰るつもりだ。猛者たちの戦いに喜々として参加するほど命知らずではない。金が貰えればそれでいいのだ。
一人になったクロイスは、居心地の悪さに耐えかねて部屋の隅に移動した。サングラスの男は一〇〇人が集まると言っていたが、まだ七〇人ほどしかいない。開始までにはもう少し時間がかかりそうだ。
誰も彼もが屈強の戦士に映った。剣や槍、弓など様々な武器、そして防具を身につけた彼彼女らの纏う空気は、今まで目にしたことのない剣呑さを孕んでいる。見ただけで危険な相手だとわかった。それこそ、あのチンピラたちが比にならないほどに。
腰に携えた飾りに触れて、自分のチンケさを情けなく思った。剣の使い方など知らない。彼らはそれを自分の手足のように扱うのだろう。もしも、彼らの一〇〇分の一でも自分に力があれば、チンピラに絡まれることもなかったはずだ。
そうやって周囲を観察していると、少女と目が合った。青みがかった白銀の髪が目立つ、綺麗な子だった。
恐る恐るといった感じでこちらへ足を進め始めた少女に運命的な何かの気配を感じたのも束の間、メイドの警告が頭をよぎる。
慌てて目を逸らそうとするが、その必要はなかった。柄の悪そうな二人組が彼女に絡んでいったからだ。彼女には悪いが、彼らの相手をしていて貰おう。
それにしても、あんなのまで勇者候補というのは少し納得がいかなかった。勇者というのは正義感のある者が選ばれるのではないか。それとも、ここでの勇者というのはただ単に強い者という意味なのだろうか。
「あのー、もしもーし」
思考途中、突如視界に割り込んできた女の子。クロイスは驚きのあまり後ろに飛び跳ねてしまい、背中を強かに打った。
「いってて……」
「あ、ごめんね。大丈夫? 驚かせちゃったかな?」
桃色ショートカットがとても似合う少女だった。光沢のある黒い布が全身を覆い、身体の美しいラインを際立たせている。申し訳程度につけられた防具は動きやすさを最優先にした結果なのだろう。
「そんなに胸を見つめられると恥ずかしいんだけど」
頬を染めて呟く彼女。
クロイスは大慌てで視線を逸らした。
「あ、あ、いや、べ、べつに、あの、その……」
服が身体にピタリと張り付いているせいで、大きな胸がありのままの形を主張していたのだ。見るなという方が無理な話。
「ふふふ。いいよ、別に」
真っ赤になってあたふたするクロイスに、少女は距離を詰める。胸が当たりそうなところで足を止めた。
見上げてくる彼女の顔が間近にあり、息をするのも憚られる。下がろうにも背後は壁。逃げ場はない。
「私はプラン。君は?」
「僕はクロイス」
「クロイスか。ねえ、あまり見ない顔だね?」
「そ、そう、か?」
「うん。私、結構な情報通だからここにいる人のほとんどを知ってるんだ。強い人って自然と名が知られていくから」
いきなり大ピンチである。つい先ほどメイドに注意を受けたばかりなのに。話しかけられても無視するべきだった。素っ気ない態度でクールにキメるべきだったのだ。
けれど、彼女の持つ魅惑の塊に抗うことができなかった。このときばかりは男に生まれたことを呪った。一世一代の大チャンスを棒に振るうかもしれない。
なんとかして誤魔化さなければならない。そうでなければ、アイリスに合わせる顔がない。
『お兄ちゃん、おっぱいに負けちゃったんだね……』
涙をため、軽蔑の眼差しを向けるアイリスの顔が浮かぶ。妹の新たな表情を発見できる喜びはあるものの、嫌われてしまっては元も子もない。
「あはは、僕ってかなり地味だからな……」
「ふうん……。何か、隠しごとしてない?」
「し、してない。してない!」
「ほんとかなー」
訝しげに目を細めるプランに、クロイスはぶんぶんと頭がもげるほど縦に首を振った。その甲斐あってか、彼女は納得したように頷いて身を引く。
「まあ、確かに君って地味だし。私も全員を知ってるわけじゃないからね」
嬉しいような悲しいような、微妙な感情を飲み込んで、クロイスは愛想笑いを浮かべた。
「ね、パーティー組まない?」
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