エピローグ

 ――ホテル『バベル』の死闘から一ヶ月後――


 五月。初夏の時期だけに「暖かい」を通り越して少し暑い時期が訪れた。世間は大型連休で浮かれ、それが過ぎれば梅雨を迎え、その後はいよいよ本格的に夏が本気を出し始める。

 勘弁してほしい、こちとら鋼の腕をぶら下げて長袖で隠しているのだ。暑いのは苦手である。

 リビング床の掃除機がけが一段落してテレビをつけてみると、何事もなく無事に本土で稼働した〈サイバーマーメイド・日乃本ナナ〉が今週の天気を天気予報士と共に解説していた。

 某バーチャルアイドルのようなアニメチックな美少女が立体映像で現れるや否や、〈日乃本ナナ〉は単なる国防装置を兼ねた高性能AIという枠を越え、瞬く間に一般市民に広く知れ渡り、親しまれるようになっていた。

「大人気だな」

 民衆ウケは結構だが、国民の生活を監視・管理する存在だと本当の意味で〈日乃本ナナ〉を理解している者はどれほど居るのだろうか……と懸念しようとしてやめる。

 自分一人が難しく考えたところで、大多数の意見が変わるわけでもない。

 今や人類は、AIと共存する時代の中に居る。

 AIを危険な存在と見なす人間も居れば、AIを愛すべき隣人として見る人間も居るだろう。

 逆にAIが人間らしく成長し、常に味方として寄り添ってくれれば良いだけの話だ。そのためにも人間が自らを律し、正しく在る必要があるのだが――

「それも今更か」テレビの電源を切る。

 結局のところ、罪を犯した者は罰せられ、人間は社会と時代の流れに上手く折り合いをつけて生きていく。そこにAIやロボットが加わったところで、大事なことは何一つ変わらないのだ。


 掃除と模様替えが終わり、久しぶりに綺麗になった事務所を見渡す。

 思いのほか今回の事件は長引いてしまった。依頼そのものは一週間足らずで終わったのだが、怪我の療養と事後処理に追われていたのだ。

「ようやく、だな」

 ようやく、クロガネ探偵事務所の営業が再開できる。

 万感の思いを胸に、クロガネはデスクの椅子に腰掛けた。


「お邪魔しまーす……って、何だ、居るじゃない」

 昼下がりに文庫本を読んでいると、真奈がやって来た。小脇に楽器ケースのような黒く細長い箱を抱えている。

「表の掛札が『CLOSE』のままになっていたわよ? 臨時休業の張り紙もそのままだし」

「まだ開店準備中だ」

「もう昼過ぎよ?」

「まだ役者が揃っていないし」

 栞を挟んで本を閉じ、

「こっちも万全ではないからな」

 真奈が抱えているケースを指差す。

「それもそうか。……早速、試してみる?」

 頷くと、真奈は後ろ手に玄関の鍵を閉めた。



「どぉう? 気持ちいぃ?」

「……ああ、かなり良い」

 窓のカーテンを閉めた自室。半裸で布団にうつ伏せになったクロガネの背中を、真奈がマッサージしている。温タオル越しに首筋、背中、肩周りと、ゆっくり時間を掛けてほぐしていた。

「それじゃあ次は本番ね。準備は良い?」

「いつでも」

「いくわ……三、二、一……ッ」

「――ッ!」

 ジャキン! と真新しい義手が装着される。肩側と義手側の神経プラグが接続された瞬間、痺れにも似た痛みが走った。痛覚があるということは、正常に神経が繋がった証左でもある。接続前に肩周りを中心に温めたりマッサージをしていたのは、適度にほぐしておかないと、装着時の神経接続を正確に把握する痛覚に不具合が生じる可能性があるためだ。

「どう?」

 義手の指先がピクリと動き、やがてクロガネの意思に従って五指が滑らかに動いた。

「……問題ない」

 義手の動きを確認する。指を一本ずつ折り曲げて拳を作っては開く。反応レスポンスも上々だ。

「そ。これで完全復活ね。全治一ヶ月、予定より二ヶ月も早まって良かったじゃない」

「ああ、ありがとう」

 まさにスピード復活だ。怪我自体は最先端医療技術と疑似心臓のお陰で完治し、義手も出嶋が協力を申し出てくれたお陰で瞬く間に修繕した。何より真奈の負担が大幅に減ったのはありがたい。

「ふむ、やはりこちらの方がしっくりくる」

「スペアにどこか不具合が?」

 そばに転がっているもう一本の義手――入院中に装着していた予備のものを真奈が拾い上げる。

「いや、それも充分いい出来なんだが、EMPが搭載されてないせいか、落ち着かなくて」

「そんなものを搭載しないのが、本来の在り方なんだけどね」

 スペアも日常生活や戦闘に支障がない程度に軽量かつ頑丈に造られているが、長い間『破械の左手』を装着していたこともあってか、どうにもしっくり来なかった。やはり使い慣れたものが一番だ。

 シャツに袖を通すと、呼び鈴が鳴った。

「……来たのかしら?」

「かもな」

 手早く服を身に付け、二人は揃って一階に戻った。


「よう、黒沢。留守かと思ったぜ……って、海堂女史も一緒とか意外だな」

 解錠して扉を開けた先に居たのは清水だった。実際に会うのは一ヶ月ぶりである。

「……まさか、もうそんな関係に?」

「ちょっ」

 真顔で意味深な発言をする清水に真奈が真っ赤になり、

「ついさっき、ようやく義手の調整が終わってな。予備のものと交換して貰ったんだよ」

 平常運転のクロガネがありのままの事実を告げる。

「……お前さ、『フラグブレイカー』とか呼ばれたりしない?」

「何それ? セキュリティソフト?」

 ふと、真奈がジト目で何か抗議しそうな視線を向けているのに気付く。

「どうした?」

「……いや、別に」

 清水は不憫な真奈に同情を禁じ得ず、鈍感なクロガネに対しては呆れと溜息しか出てこない。

「それで清水さん、用件は?」

「たまたま時間が空いたから顔を出しに来たんだよ。営業再開すんだろ? 挨拶くらいしておこうと思ってな」

「歓迎だ、上がってくれ。そろそろ助手も来るだろうから紹介しよう」

「お前に助手だぁ? 随分とまぁ、物好きが居たもんだな」

 それから十分あまりお茶をしながら雑談していると、再び事務所の呼び鈴が鳴った。

 クロガネが扉を開けて出迎えるなり、

「クロガネさんっ、ただいまっ」

「ちょっ」

 弾んだ声と共に、美優が胸に飛び込んできた。

 その眩しく綺麗な笑顔に、無残な傷などどこにもない。

 クロガネは慌てて重心を落として踏ん張り、見た目以上に重量のあるガイノイドを受け止める。危うく腰に致命的な致命傷が入るところだった。

「えへへ♪(すりすり)」

 美優は上機嫌でクロガネの胸に頬ずりをする。

 何この可愛いの? 猫か? ていうか、誰? 美優ってこんなキャラだったけ?

「くっそ、何て羨まけしからん……ッ!」

「は? 何? あの女の子がアイツの助手、だと……!?」

 後ろで真奈と清水が何か言っているが、それどころではない。混乱しているクロガネは、美優と一緒にやって来た出嶋を見る。

「久しぶり。早速だけど、これ美優だよな? 同じ顔の別ガイノイドじゃなくて」

「――お久しぶり。紛れもなく、正真正銘の安藤美優だよ」

「キャラ変わってない?」

「――バグでも故障でもないのでご安心を。どうもこの一ヶ月、生クロガネに会えない寂しさの反動が一気に噴き出した思春期特有のアレがアレしてこうなったとしか」

 随分と雑な説明である。生って。

「造ったのも直したのもお前だろ?」

「――さすがに精神ソフトは管轄外だよ。あれだ、『男子三日合わざれば刮目して見よ』って諺あったよね? きっとそれだ」

「美優は女の子でガイノイドじゃろい。しばらく見ない内にポンコツ化した見た目男性型のお前に刮目するわ」

「おい、黒沢。まさか本当にその子が助手なのか? 未成年相手に何考えてんだお前? 事案だ事案」

 何も知らない清水の言い分は解るが、とりあえずその手錠はしまってくれ。

「鉄哉、大変!」

 突然、真奈が切羽詰まった様子で、

「私のお茶請けがもうないわ!」

 知らんがな。一瞬でも何事かと思って損した。

「食ったんだから当たり前だろうが」

「青少年育成法違反の容疑で、今すぐ署までご足労願おうか?」

「クロガネさんは何も悪くありませんッ」

「あ、勝手におかわり貰って良い?」

「――勝手にお茶を貰っても良いかな?」

「とりあえず落ち着けお前らぁッ!」



 閑話休題。



 ぱく。


「――仮説だが、新しい義体に換装した際に何らかのフラグが立ち、君と再会したことでより人間らしい言動や感情に覚醒したのではないかな?」

「つまり、あの言動は美優本来の性格であると?」


 もぐもぐ。


「――恐らくは。土台となる疑似人格は莉緒お嬢様の意向で必要最低限の常識を理解する程度しかなく、あとは人間と同じように学習して成長していくんだ。

 ――君との生活で培った経験値が加味されて、現時点での精神年齢は見た目相応か少し下なのかもしれない」

「つまり十五、六歳くらいか。お年頃で多感な思春期女子……まいったな、どう接すれば良いのやら」


 ごっくん。


「(ガタッ)クロガネさん! !」

「……そうか良かったな、とりあえず落ち着いて座って食べれ」

 

 第三者が見れば微笑ましいその様子を、出嶋を除く面々が物珍しそうに眺めていた。

「……飲み食い出来るとか、本当にガイノイドか?」

 呆れるクロガネ。

「おいおい、大丈夫なのか? 壊れたりとかしない?」

 心配する清水。

「というか、今更だが本当にガイノイド? すんげぇ美少女型を侍らせてやがんな、おい。羨ましいぜ」

「おっさんか。真面目にボケ倒すな貧乏くじ」

「ンだと貧乏探偵」

 あぁん? とクロガネに対しメンチ切る清水。警察官らしからぬ態度である。

「あ、おかわりください」

 そしてまったくブレない真奈である。

「もうないよ。むしろ何でメカオタのお前が食い付かないんだ?」

 飲食可能なガイノイドなど前代未聞だ。専門家の真奈がケーキの方にだけ食い付くなどおかしい。

「そんなの『〈ドールメーカー〉が造った義体だから』で一発解決でしょ?」

 ……思わず納得しかけたが、詳しい説明を求めて出嶋に視線を送る。

「――ふふん、そんなに美優の新しい義体が気になる? 気になりますか? 気になるよなぁッ!」

 嬉々とした表情を浮かべ、無駄な三段活用で勿体ぶる狂人の眉間に銃口を突き付ける。

「はよ言え」

「――アッハイ」

 クロガネはリボルバーをしまうと、出嶋は一度咳払いしてから語り始める。

「――前回の『貞操帯仕様』は莉緒お嬢様の子宮をベストな状態で維持するための義体だったが、今回は美優本人の要望をほぼ満たす、限りなく生身の人間に近い『人間社会潜入仕様』だ。

 ――簡単に三行で特徴を挙げると、

 ①飲食による栄養補給と充電が可能。

 ②人間と同様に性交して妊娠が可能。

 ③人間と違って排泄物は出ない。

 ――といったものだ」

 クロガネは絶句し、真奈は呆れた様子でちびちびとコーヒーを飲んでいる美優を見た。

 ちなみに清水は、出嶋が話の内容が獅子堂関連になると勘付き、席を離れてテレビを観ている。賢明な判断だ。

「なるほど、もはやガイノイドの枠を越えてサイボーグに近いわね」

「元々人間ではないだろ?」

 一般的に、生身の身体を部分的に機械へ置き換えた人間を指してサイボーグと呼ばれる。対して無から造り出された美優はガイノイドであり、広義的な意味ではオートマタに分類されるのだが。

「美優ちゃんは完全に規格外イレギュラーよ。果たして彼女が人間なのかガイノイドなのか、判断に困るところね」

 消化器官に代わる装置があれば飲食できるし、生殖器があれば子も産める。生身のものと同じ機能であれば、それはサイボーグ=人間同然だと真奈は語る。

「なるほど。その理屈だと、美優もれっきとした『人間』だな」

 クロガネの言葉に、美優は嬉しそうに微笑んでサムズアップをした。

「とはいえ、五感は全て機械によって疑似的に再現しているから、感覚的に私達とは認識の齟齬そごがあるかも」

「大事なのは本人がどう受け取るかだ。美味しいものを素直に『美味しい』と感じられるんだ、大した問題でもないだろう」

「……それもそうか。あ、美優ちゃん、少し分けて?」

「絶対にNO! です」

 皿ごとケーキを遠ざける美優に、フォーク片手にじりじりと真奈が迫る。

「海堂、大人げないぞ」

「鉄哉が美味しく作るのが悪いのよ」

 ひどい責任転嫁だ。

「え? これ、クロガネさんの手作りなんですか?」

「まぁな」

 チーズケーキはシンプルなスイーツだ。材料は元より調理に必要な機材が揃ってあれば、誰でも簡単に作れる。

「真奈さんと違って女子力高いですね」

 美優が感心したように言うと、

「……ちょっと美優ちゃん?」

 引っ掛かる言い方に真奈がまなじりを吊り上げる。だが美優は一歩も退かない。

「事実でしょう?」

「うぐっ! パティシエとかスイーツ作れる男子なんて世の中にゴロゴロ居るじゃない! スイーツ作れない程度で私に女子力ないとか言わないでくれる?」

「私は作れますよ? レシピを三秒前に習得しました」

「これだから美優ちゃんはズルい!」

「ズルいも何も、好きな人を射止めるためなら料理くらい覚えます」

「ぅぐッ!?」何やら真奈にダメージが入った。

「ここ数週間、料理も練習していました。作ったものを食べてくれて『美味しい』と言ってくれたら、私も幸せですもの」

「ぅぐッ!?」追撃でダメージが加速する。

 真摯な眼差しで断言する美優に、真奈は言葉に詰まってタジタジとなった。

「――クロガネ。美優がはっきり君のこと『好き』って言ったよ?」

「保護者冥利に尽きる」

「――いやそうじゃなくて……何泣いてんの?」

「いや、美優が成長してるなーって思って」俯いて目頭を押さえるクロガネ。

 美優の依頼を受けて間もなく、彼女と交わした『美味しい』の問答を思い出す。

 あの時教えたことを実践している美優の成長ぶりに、不覚にも感動してしまった。

「――ああ、そうだ。クロガネ、これを」

 唐突に出嶋が一枚の紙切れを差し出してくる。

 何気なく受け取って見ると、

「……ぶッ!?」

 そこに書かれたものに目を通した瞬間、意識が遠のいてテーブルに額を打ち付けた。

「ちょっ!?」

「何事ッ!?」

 互いの両手を取っ組み合っていた美優と真奈が驚く。

「……っと、どうした黒沢?」

 話題が変わったと見て清水も寄って来た。

 紙切れは請求書のようで、その請求金額がとんでもない数字であることに気付いた一同が「げっ」と呻いた。

「――新型義体の開発費、その請求書です」

「……ちょっと待て。俺か? 俺が払うのか?」

 顔を上げたクロガネが、何かの間違いであって欲しいと願わんばかりに確認する。

「――当然。君が美優の所有者マスターになると決まった以上、メーカー側としても無償で譲るわけにはいかない。彼女は元々獅子堂の所有物で、開発にも相応の金が掛かっているのを知らないわけではないだろう?」

「だからって、これはいくら何でもぼったくり過ぎやしないか?」


 請求額 4億8千万円 也(請求書の下の欄に、出嶋の口座番号が控えてあった)


「――〈サイバーマーメイド・日乃本ナナ〉の機能を一部利用でき、超々精巧に造られた外観、人間らしい自我を持った自律型AIを搭載し、おはようからおやすみまで尽くしてくれる上に子作りも出来る特注品。これほどの付加価値が付いて五億円は安い安い」

「……」

「――ついでに言うと、君の義手の修理代も含まれている」

 善意かつ無償で修理に協力してくれたわけではなかったらしい。

 クロガネは震える指でPIDを操作し、今回の依頼で手に入れた報酬一億円を出嶋の口座に送金する。これで実質、タダ働きだ。

「……残りは、分割で頼む。こればかりは、マジで……」

「――ふむ、良いでしょう。報酬が良い仕事は僕が斡旋しよう」

「テッ、メ……!」

 つまりは獅子堂からの仕事である。美優を助手にしたことを逆手に取り、完全に足元を見られた結果となってしまった。「手口がヤクザだな」と清水が呟く。

「――安心したまえよ、君のポリシーには反しない内容のものを選ぶから。それとも」

 出嶋は美優を一瞥する。

「――今からでもクーリングオフをすr」

「それは絶対にしない」

 出嶋の台詞を遮って断言する。

 莉緒の頼みと美優の願いを聞き入れた以上、それを反故ほごすることは彼女たちに対する裏切りだ。

「――商談成立だね。今後、獅子堂からの依頼報酬の六割を徴収させて貰うから、そのつもりで」

 出嶋は席を立つと、軽やかな足取りで玄関に向かう。

「――それじゃあ僕はこれで、近い内にまた会おう。それと、美優」

「は、はい?」

「――どうか、お幸せに」

 優しそうな笑顔でそう言い残すと、出嶋は去っていった。



「残り三億八千万……およそ四億、四億、か……」

 頭を抱え、悲痛な顔でブツブツ呟いているクロガネ。

「あの、クロガネさん? 元気出してください。これからは私もお仕事を手伝いますから」

 必死に励ます美優。

「海堂への借金もまだあるってのに……」

「いや、私への返済はご飯とか家事とかだし、現金じゃないだけマシでしょ? 無利子・無担保・無期限なんて好条件は他にないんだから。私の借金に関しては、考えなくても良いんじゃない?」

「とりあえず、やっこさんは返済期限とか利息分に関しては何も言ってなかったみたいだし、そこは喜んでおこうぜ」

 真奈と清水も必死にフォローする。

「そうか、そうだな……ドラフト一位越えの超戦力が手に入ったようなもんだし、良しとしよう。さっきの会話も録音したし」

「その意気です(よ)(だ)」

 何とか立ち直ったクロガネに安堵する三人。

「さっそく私もお仕事頑張りますね。差し当たってまずは副業として、株取引とネットワークビジネスを展開します」

 美優の義眼が緑色に光り輝くのを見たクロガネは、慌てて止める。

「待て待て待て」

「何ですか? まさか、ここの就業規則に副業禁止が?」

「いや、副業は禁止してない。今のご時世、職一つでは生活もままならないからな……ってそうじゃなくて、今〈日乃本ナナ〉に接続しようとしたろ?」

「それが何か?」きょとんとする美優。

「公私混同はするな。〈サイバーマーメイド〉は全人類のために在るのだから、俺個人の台所事情のために私的利用するんじゃありませんっ」

 美優がその気になれば一瞬で四億どころか、その何十倍もの富を得ることが可能だろう。それはあまりにも反則過ぎて不平等過ぎる。

 誘惑を断ち切るためにも、クロガネは強い口調でたしなめた。

「相変わらず、変なところで真面目ね」と真奈。

「変も何も、美優のマジックに味を占めたら一瞬で堕落するだろうが」

「偉いっ」清水は拍手を送る。

「外道や人でなし扱いされるのはともかく、ヒモやダメ人間呼ばわりは御免だ」

「……それはそれでどうなの?」

「……お前の基準がよく解らねぇよ」

 真奈と清水が揃って呆れる。

 結局、クロガネや美優自身の生命の危機などの緊急時を除き、〈サイバーマーメイド〉の私的利用は厳禁となった。

「とりあえず、美優には書類整理と経理を任せて良いか? 無駄な出費は出来るだけ抑えたい」

 今の美優は飲食できる体のため、これまで以上に食費が増えるのは確定事項だ。

「そういうことなら。今後は私が家計簿を含め、データ管理を担当しましょうか?」

「元々それが本職みたいなものだしな。任せていいか?」

「お任せを。家計の管理はお嫁さんの仕事です」

「はいはい」

 さりげなく正妻宣言までしてきた。美優なりの冗談だろうと軽く流すも、

「……ちょっと待ちなさい、流石にそれは聞き捨てならざるよ」

 真奈が食い付いた。

『ゴゴゴゴゴゴ……』と重々しく響く擬音と共に、謎の威圧感が真奈から発せられている……気がする。

「美優ちゃん? この際だからハッキリ言うけど、貴女はガイノイドよ。助手はともかく、冗談でもお嫁さん発言は慎みなさい。鉄哉に悪い噂が付いたらどうするの?」

「いや、今更一つ二つ増えたところで……」

 クロガネが口を挟むも、無視して美優と真奈は対峙する。

「助手だから女房役という例えは間違っていないでしょう?」

「例えであっても、嫁だの女房だの軽々しく口にするなと言ってるの」

 おかしい、両者共に笑顔なのに何故こうも謎の威圧感を放つのだろうか。

「ただの例えなら冗談みたいなもんだろ」(クロガネ)

「私は人間になるガイノイドです。母親譲りとはいえ、ちゃんと子供だって作れる体ですし、私がお嫁さんになることを阻む理由はありません」

「何か重くない?」(クロガネ)

「現実を見なさい。いくら人間に近くても貴女はガイノイド、人と機械が結ばれるなんて前例がないわ」

「……ふっ(嘲笑)」

「……何が可笑しいの?」

「真奈さんはご存じないようですね。2010年には愛犬と結婚式を挙げたオーストラリア人男性、1979年にはベルリンの壁と結婚したスウェーデン人女性など、世界には人間以外と結婚した人がいくらでも居ることを」

「「マジで?」」(クロガネ&清水)

「それは性的思考が人間に向かなかった少数派の人達でしょ」

「ですが実在します。恋愛対象は人間でなければならないという定義も規定も存在しません。人の性的思考は異性愛・同性愛・両性愛・多性愛・全性愛・動物性愛・対物性愛など多岐に渡ります」

「……何が言いたいの?」

「つまり、逆説的にガイノイドである私がクロガネさんに求愛行動を取ったとしても、何も問題はないということです」

「いや、その理屈はおかしい」

「問題ありません。大事なのは、私の意志です」

「俺の意志は?」(クロガネ)

「……このままだと平行線ね」

「そうですね。この不毛な論戦はゲームで決着つけませんか?」

「不毛だと思うなら今和解しろよ」(クロガネ)

「良いわよ。先にそっちから提案してきたんだから、ソフトは私が選ばせて貰うわ」

「お好きなものを。真奈さんが最も得意なもので蹂躙じゅうりんしてあげます」

「言ったわね……その台詞を後悔させてあげる」

「ボロ負けしてリアルファイトに発展しないでくださいね、正妻にはふさわしくないので」

「そっちこそ、負けそうになったら不正行為チートとかしないでよ」

 二人はいそいそとゲームの準備を整えると仁義なき戦いス〇ブラを始めた。

「……お前も大変だな」

 唖然とするクロガネの肩に手を置いて、清水は苦笑した。



「さぁて」

 玄関の掛け札を『CLOSE』から『OPEN』にひっくり返すと、『都合により、しばらく休業します』と書かれた張り紙も剥がして丸める。

 怪我は完治した。

 美優が頼れる助手として帰ってきた。

 真奈(と某狂人)によって義手は修繕され、清水もいつも通り。

 他に変わった点といえば、これまで以上に金欠で家計が火の車どころか大炎上になったという大問題。だが割といつものことなので気にしないことにする。

 ……気にしないことにするっ。

 ともかく、役者は揃った。探偵業の再開だ。

「あのぅ、探偵事務所の方ですか?」

 背後からの遠慮がちな声に振り返ると、どこか冴えない中年男性がいた。

「はい、そうですが?」

「依頼があって来たのですが、良いですか?」

「お話を伺いましょう、どうぞ中へ……失礼、少々お待ちください」

 依頼人の男性を外で待たせ、急いで事務所内に戻る。

「お前ら、依頼人が来たから片付けろっ」

 ゲーム機本体の電源を落とすと、真奈が悲痛な悲鳴を上げた。

「あーッ! 何すんのよッ!? 意外にも私が善戦してたのにッ!」

「依頼人が来たって言ってんだろっ。美優、テーブルを拭いてお茶請け用意して」

「あ、ごめんなさい。戸棚にあったクッキーなら、さっき私と真奈さんで食べちゃいました」

「何してくれてんのッ!?」

「ごちそうさまでした」

「てへぺろ☆」

「ごちそうさまじゃないッ、てへぺろ☆じゃないッ。海堂、大至急最寄りのコンビニでお菓子買ってこい。代金はお前持ちな」

「は? 美優ちゃんも同罪でしょ?」

「美優はこれから仕事でこき使う。早く買ってこい」

「お客さんなのに……」

「本物の客人に出す予定だった菓子を、勝手に食う奴が何を言う」

「……仕方ない。清水刑事、車出して」

「俺は君らの運転手じゃないんだが?」

「では車だけ貸してください。私が遠隔操作で運転します」

「警察の車なんで、やめてくれないか?」

「休憩長過ぎだろ。サボってないで早く仕事に戻れっ」

「(ガチャ)あの~、私の依頼は……」

「すみません! もう少々お待ちくださいッ!」


 鋼和市北区の一角にあるクロガネ探偵事務所。

 大抵の厄介事は力業ちからわざで解決する市内随一のトラブルメーカーな探偵の元に、今日もまた訳ありな依頼が舞い込んできた。


「クロガネさん」

「ん?」

「これからも、よろしくお願いします」

「……ああ、こちらこそ」


 かつては心なき暗殺者だった不屈の探偵、黒沢鉄哉。

 人の心を持った規格外のガイノイド、安藤美優。


 『機巧探偵』として無二の相棒となった二人が、世界の命運を左右する大事件に挑むことになるのは――もう少し未来の話だ。

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【改訂版】機巧探偵クロガネの事件簿 ~機械の人形と電子の人魚~ 五月雨皐月 @samidaresatsuki

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