幕間9

 ――クロガネがホテル『バベル』を脱出してから十三時間後――


 大ホールで目を覚ました獅子堂玲雄は、豪奢なシャンデリアを真下から見上げていた。

「……は?」

 やがて自身がテーブルの上に仰向けで大の字に寝かされ、両手両足が拘束されていることに気付く。

「な、何だこれッ!?」

 周囲を見回すと、顔を仮面で覆い隠した多数の人間に取り囲まれており、ぎょっとする。ドレスコードはないのか大半は私服姿である。一般人だろうか。

「な、何なんだよお前ら……」

『――さて、ゲストが目を覚ましたところで、メインイベントを開催したいと思います』

 混乱する玲雄をよそに、突如としてマイクで拡大された男の声が響き渡る。

『――お忙しい中、突然のご連絡にも拘わらずお集まり頂き、誠にありがとうございます。

 ――本日お集まり頂いた皆様は全員、そこで無様な姿を晒している獅子堂玲雄に大切なものを奪われ、人生を狂わされた被害者ばかりです。

 ――今回、

 ようやく状況を理解した玲雄は青ざめた。

『――イベントを開始する前に最終確認を行います。お集まりになった皆さんのPIDには獅子堂からの二四時間監視機能が追加されています。削除も編集も一切できない特注のアプリであると同時に、あなた方は鋼和市外への移動が一切不可能となります。

 ――また、今後今回のイベント内容を口外した場合は速やかに殺処分させて頂きます。当然SNSなどのネット上やマスコミなどへの投稿、および警察への出頭やタレ込みも厳禁です。破った者は本人だけでなく、周囲の見聞きした人間をも抹殺対象となり得ますので予めご了承ください』

 少し間を置いて、進行役の男は突然砕けた口調で要約する。

『――えー要するに、そこの社会のゴミをぶっ殺した後は、ここであったことを全部忘れて誰にも話さず記録も残さずにこの街で生きてください、ということです。一生鋼和市から出られず、プライバシーも皆無な人生を送ることになりますが、それらを理解した上でここに集まった皆さんです。

 ――この契約内容を承諾し、あなた方はこの場で起きることを何者にも明かさないと誓いますか?』

「誓います」

 仮面を着けた参加者全員が声を揃えて宣誓する。

『――よろしい。ではこちらにナイフを用意しました。順番にお一人ずつ、彼を切り刻んでください。後の方を考えて、ある程度加減をして頂けると助かります』

 最初にナイフを手にした女性が動けない玲雄の元に歩み寄る。仮面から覗く目には強い怒りと憎しみの炎を宿していた。玲雄は怯える。

「や、やめろよ……俺が何をしたって言うんだ……」

「……貴方は、

 女性の独白に、玲雄はキョトンとする。

「そんな理由で? 俺を知らず俺の許可なく俺の前を横切ったのだから当然の報いだろ?」

「……そんな理由で、最愛の夫を奪われた私の報いを受けてください」

 女性はナイフを振り被り、玲雄の肩に深々と突き刺した。

「ギ、ャアアアアアアアアアアアア――ッ! 痛い痛い痛い痛いいいいいいいいいッ!」

 絶叫が迸り、身をよじる玲雄に構わず、仮面の奥で涙ぐむ女性は、後続の男性と入れ替わる。男性は玲雄の肩に突き刺さったナイフを力任せに引き抜いた。

「……あんたに俺の娘を奪われた、まだ二十歳前だった娘をだ。その二日後には歩道橋から飛び降りてトラックに轢かれて死んだ。世間では自殺と報じられたが検死解剖の結果、飛び降りる前の娘の身体には暴力の限りを尽くされてボロボロだったそうだ……!」

 怒りを必死に押し殺して話す男性に、玲雄は反論する。

「ハァ、ハァ……誰だか憶えちゃいないが、娘を奪ったとか人聞きの悪い……ちゃんと安くはない金を送っただろ? 俺が買った以上、その女は俺の所有物で何をしようが俺の勝手だろうが」

「娘は死んだんだッ! お前がボロボロに追い詰めたせいでッ!」

「知るかッ! どうせ俺の金目的だったんだろッ! そんなアバズレが死んで親としても清々したんじゃないのかッ!」

 男性は怒りのまま玲雄の腹にナイフを突き立てた。

「ああああああああああああああああああああああああああああッ!」

「――失礼、やや急所ですね。少し応急手当をしておきます」

 どこかで見たことのあるような黒服の男性が現れると、ナイフを引き抜いて傷口に黒色火薬の粉末を振り掛け、ライターで火を点けて強引に焼き潰した。雑な止血処置による激痛に玲雄は身をよじり、涙をこぼし、失禁し、絶叫した。

「――では続けてください」

 後ろに控えていた別の男性に、血まみれのナイフを手渡す。

「……僕の妹が――」

 別の女性にナイフが渡る。

「……私の息子が――」

 また別の被害者にナイフが渡る。

 次々と受けた被害と恨み言を玲雄に言い聞かせた上でナイフを突き立てていく。

 誰も玲雄の言い分には耳を貸さず、命乞いをしようが問答無用で切り刻む。

 新たに処刑会場へ一人、また一人と仮面を着けた参加者が現れ、列の最後尾へ順番に並ぶ。絶えることのない無間地獄だ。

 まさに因果応報。

 まさに自業自得。

 己が犯した罪は巡り巡って己に返ってくる。

 ついに気が触れた玲雄は狂ったように嗤い出し、三一人目がナイフを突き立てたと同時に息絶えた。玲雄が死んだ以降も、後続の被害者たちが死体に恨み言をぶつけてナイフを突き立て続ける。少しずつ少しずつ、獅子堂玲雄という原型がなくなっていく。

 もはや誰も彼もが復讐の炎に身を焦がし、狂っていた。



 その光景を上階のマジックミラー越しに見下ろしていたVIP達が目を背け、或いはえずいていた。全員が上流階級の出身で少なからず玲雄との関係を築いていた者たちだ。復讐者たちと同様に、彼らも仮面を着けて素顔を隠している。

「……如何ですかな、お集まりの皆さん」

 唯一仮面を着けていない獅子堂光彦が厳かに言う。

「この度は愚息が皆さま方に多大なご迷惑をお掛けしました。絶縁したとはいえ、父親として非常に申し訳なく、不愉快なお気持ちにさせたことを深くお詫びします」

 席を立ち、深々と頭を下げる光彦に戸惑う出席者たち。

「愚息には相応の罰を与えた上でお許しを頂きたく、このような場を設けさせて頂きましたが、お許し頂けますかな?」

 顔を上げた光彦の目は獰猛どうもうな光が宿っている。それは玲雄に対する怒りか、それとも。

「い、いえ、元より獅子堂様には何も落ち度がなく、恨んだことはございません……!」

 慌てて出席者の一人が言うと、

「私もです!」

「私も!」

 残りが後に続いた。

「恐縮です、皆様のお心遣いには大変痛み入ります」

 光彦は微笑むと、出席者たちは仮面の裏で冷や汗を流し、ごくりと唾を飲み込む。

 この場に居る出席者も多かれ少なかれ獅子堂玲雄を疎ましく思っていたと同時に、玲雄から獅子堂の資産を手に入れようと画策していた。

 罪を犯した実の息子を被害者たちの手によって裁くという機会を設け、獅子堂の家名を汚す膿を除去し、同時に身内に対しても容赦がないことを示すことで獅子堂の権威を示しつつ、下心ある者たちへの牽制と警告も兼ねていた。それは獅子堂家、ひいては獅子堂光彦にそぐわぬ者は誰であろうと処刑するという意思表示に他ならない。

 復讐に走る参加者たちとは違い、この場に居るVIPたちは監視されないとはいえ獅子堂光彦とコネを結んでいる以上、今後は決して迂闊な真似は出来ないだろう。ましてや敵対などもってのほかだ。

「お目面汚しましたお詫びに、別室で極上のシャンパンを用意しました。どうぞこちらへ」



 やがてVIPルームには誰一人いなくなり、その階下では未だ狂宴が続いていた。

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